Russell on Slawkenburgius

瑣事を一つ。


当日記、2011年8月14日の項目 ''What Wittgenstein Didn’t Take Over from Lichtenberg'' で、Wittgenstein の Tractatus に関し、その therapeutic な読みが正しく、かつ Lichtenberg の aphorism に Tractatus の表現形式が影響を受けているとするならば、Wittgenstein は Tractatus に Lichtenberg のような humor を盛り込んでもよかったはずなのに、何故 Tractatus に humor が見られないのだろうか、と述べました。しかし、本当に全く Tractatus に humor が欠如しているのかどうかは、よくよく検討してみる必要があるかもしれません。Tractatus はそこここに humor が満ち溢れている、というのは恐らく正しくないでしょうが、言葉の片隅に、humor を感じ取れる部分がもしかしたらあるかもしれません。一文一文じっくり Tractatus を検討してみる必要があるかもしれません。


このように思ったのは、本日次の文献を拾い読みしていたからです。

  • Kenneth Blackwell  ''The Wit and Humour of Principia Mathematica,'' in: Nicholas Griffin, Bernard Linsky and Kenneth Blackwell, ed., Russell: The Journal of Bertrand Russell Studies, n.s., vol. 31, no. 1, 2011, Special Issue: ''Prinpicia Mathematica at 100''

この論文の全文を読んだ訳ではないのですが、Blackwell さんの調査によると、真面目に書かれた難解な Principia にも、ところどころ humor を感じさせる文章が見られるとのことです。Principia のような serious な本にも humor が見られるならば、Wittgenstein の Tractatus にも humor が見られたとしても、それほどおかしくはないかもしれません。初めから Tractatus には humor を感じさせる文はないはずだ、と即断してしまうのではなく、きちんと調べてみる必要があります。


このように感じたのも、上記の Blackwell さんの文章を読んでいて、humor と言いますか、(Whitehead and) Russell の遊び心を予感させる文が、serious に見える Principia にも確かに含まれていることを思い出したからです。
長大な Principia のすべてを読んだことはなくとも、記述の理論のところだけでも読んだという方はおられると思います。Principia の Introduction の Chapter III, Incomplete Symbols, (1) Descriptions の箇所で、確定記述句を定義するには、それは文脈的に定義されねばならないとして、そのことを説明する例として、(Whitehead and) Russell は、次のような例文を持ち出しています*1

    • [T]he author of 'Slawkenburgius on Noses' was a poet

私訳でもって日本語に訳すと、「『スラウケンベルギウスの鼻論』の著者は、詩人であった」という感じになるようです*2。そして Russell たちはこの文を偽であるものとしています。というのも、'Slawkenburgius on Noses' という本が書かれたことはなかったからだそうです*3。しかし、そもそも Slawkenburgius (スラウケンベルギウス) とは誰なのでしょうか。私は全く知りませんでした。「Slawkenburgius (スラウケンベルギウス) は詩人であった? この文は偽である? 何の事だかわからないけれど、まぁいいか。それにしても変な例文だなぁ。」と、ただただ思いながら、Principia を読んでいました。しかし今日、上記の Blackwell さんの文章を読んでいて初めて教えられました*4。これについては英文学を勉強している方は Slawkenburgius (スラウケンベルギウス) が誰なのか、わかるかもしれません。特に18世紀の英文学を専門としている方は、気が付くかもしれません。中には夏目漱石にものすごく詳しい人は、あるいはご存知かもしれません。Slawkenburgius (スラウケンベルギウス) の本名は、Hafen Slawkenburgius (ハーフェン・スラウケンベルギウス) のようです。この人は、Laurence Sterne の Tristram Shandy に出てくるみたいです。Laurence Sterne の Tristram Shandy と言えば、話の本筋が、脱線に次ぐ脱線を繰り返す、奇想天外な小説として知られています。そこで早速岩波文庫で調べてみました。すると、第三巻の終わり辺りから (岩波文庫では、上巻の終わり辺りから)、第四巻の初め辺り (岩波文庫では、中巻の初め辺り) に出てきます。どうやら人間の鼻について論じた書物を著した人のようです。朱牟田夏雄先生による岩波文庫上巻末尾の訳注によると、この人の名前のいみは、しびん・汚物の山、となるようです。もちろんこんな名前の人は架空の人物です。そしてこの人物による鼻論の一部が、第四巻の初め辺りに長々と紹介されています。


という訳で、(Whitehead and) Russell は、ちょっと遊び心を利かせて 'the author of 'Slawkenburgius on Noses' was a poet' というような文を、Principia で持ち出しているようです。全く些細なことではありますが、Blackwell さんの文章を本日読んでいて、「ああ、あれはそうだったんだ」と気付かされ、「先日、Tractatus に humor はないだろうと言ったけれど、Slawkenburgius の例からすると、ひょっとして Tractatus にも、この種の遊びがどこかに隠されているかもしれないな」と思いましたので、念のためここに記してみました。Tractatus に humor が本当にないかどうか、遊び心が本当に隠されていないかどうか、これらについては丁寧に検討してみる必要があるかもしれません。


PS
少し調べてみると、Principia 中の例文 'the author of 'Slawkenburgius on Noses' was a poet' の Slawkenburgius が Tristram Shandy に出てくる人物だということは、既に

  • Kenneth Blackwell  ''A Bibliographical Index for Principia Mathematica,'' in: Russell: The Journal of Bertrand Russell Studies, vol. 25, no. 1, 2005, p. 77

で指摘されていることがわかりました。

*1:Alfred North Whitehead and Bertrand Russell, Principia Mathematica to *56, Cambridge University Press, Cambridge Mathematical Library, 1997, p. 68. 邦訳、A・N・ホワイトヘッド、B・ラッセル、『プリンキピア・マテマティカ序論』、岡本賢吾、戸田山和久、加地大介訳、叢書思考の生成 1、哲学書房、1988年、215ページ。

*2:哲学書房から出ている邦訳では、この文に対し、少し異なる訳を付けておられます。ここでは一応私訳を提示しておきます。

*3:Whitehead and Russell, loc.cit.

*4:Blackwell, p. 156.