However Vast the Universe is, the Size of it Does Not Logically Entail Insignificance of Our Life.

発売されたばかりの次の本を店頭で眺めていると、

その終章で人生の意味について語られている。科学的な世界観の中に、私たちの人生の意味をどのように位置付ければよいのかが述べられている。その際、Thomas Nagel さんの論文

に見られる考察を援用しながら面白いことが書かれていた。そこでその Nagel さんの論文を見てみると、次のようにある。

 われわれが人生の無意味さを表現するのに用いる言葉は、多くの場合、空間または時間と関係している。われわれは、宇宙の無限の広がりの中では、ほんのちっぽけな点にすぎず、われわれの人生は、宇宙論的な時間は言うにおよばず、地質学的な時間の尺度から見ても、ほんの瞬間にすぎない。われわれの誰もが次の瞬間にはもう死んでいるのである。しかし、言うまでもなく、これらの明白な諸事実のいずれも、人生を無意味に −それが無意味だとして− している当のものではありえない。というのもわれわれが永遠に生きると仮定してみよ。七十年間続くとき無意味であった人生は、永遠に続くとすれば無限に無意味なものとはならないだろうか。また、もしわれわれの人生が現在の大きさで無意味であるとすれば、われわれが宇宙全体を満たしたとき (われわれ自身が大きくなるか、または宇宙の方が小さくなるかのいずれかの仕方で)、どうしてその無意味さが減ることがあろうか。自分が時間空間的に小さな存在であるという意識は、人生は無意味であるという感情と密接に結びついているように思われる。しかし、それがどのような結びつきなのかは、明らかではない。*1

戸田山先生は、この Nagel さんの見解をそのまま引き継いで、宇宙が大きいからといって、それで人生が無意味になるわけではない、と記しておられる*2。この Nagel さん、戸田山先生の見解は、私にはとても面白く感じられた。


私たちは冬の澄んだ夜空を眺めると、その美しさに感嘆するとともに、この広大な宇宙の中では、自分たちがどれほどちっぽけな存在であるかを思い知らされることがある。そして、こんな大きな宇宙から見れば、自分たちの人生なんて、大して意味のないものだなと、感じ至ることがある。私は冬に限らず夜空を眺めると、世界のすごさ、素晴らしさを感じるとともに、人生の無意味さも感じることがしばしばあった。

しかし上記の Nagel さん、戸田山先生の話を読むと、宇宙の大きさは人生の無意味さとあまり関係がないように思われてきた。人生の無意味さと言われるものが何であれ、それと宇宙のサイズとは、直接には関係がないように思えてきた。

例えば、宇宙がこれほど巨大であるがゆえに私たちの人生が無意味になっているのだとしたら、宇宙の大きさによっては私たちの人生が有意義になることがあるのだろうか。今ある巨大な宇宙が、ある日縮小に転じ始めたとしてみよう。どんどん小さくなっていって、アンドロメダ銀河ぐらいまでの距離に宇宙が縮まったなら、私たちの人生は意味あるものとなるのだろうか。あるいは私たちの銀河ぐらいの大きさまで縮まったとき、人生は意義あるものへといきなり転じるのか。それとも太陽系ぐらいまで縮まったときか。はたまた月の軌道のすぐ外側ぐらいまでか。ひょっとして成層圏ぐらいまで縮まったときか。しかし成層圏ぐらいまで宇宙が縮まってしまうと、そのまま宇宙に押しつぶされる恐怖におののくことになるだろう。そうなってもまだ私たちの人生に、その大きさゆえに意味があると言えるのだろうか。

このように考えてみると、宇宙が大きいからといって、そのことゆえに私たちの人生が無意味となるわけではないように思われる。大きさと無意味さとは関係がないと考えられる。これぐらい大きいから無意味で、これぐらい小さいと意味あるものとなる、というわけではなさそうだ。ただ、宇宙の大きさがゼロである場合は別だろう。少なくとも、宇宙の大きさがゼロの場合は、私たちの人生の意味も、いわばゼロだろう。この時ばかりは私たちの人生も無意味であることに、誰も反対はしないだろう。


ところで Pascal さんの有名な格言に「人間は考える葦 (roseau pensant) である」というものがある。私は Pascal さんについては無知なのでよく知りませんが、この格言のおおよその内容は、次のようなことだろうと個人的には理解しています。つまり、人間は巨大な宇宙に比べてちっぽけな存在だが、人間には宇宙にはない理性がある、たとえ宇宙がどれほど大きく私たちがどれほど小さくとも、私たちの理性はその力によって宇宙を超える。広大な宇宙に私たち人間は圧倒され飲み込まれるような思いを抱くが、私たち人間には理性があって、この理性によって宇宙を逆に飲み込み把握するのだ、ということです。この格言に対しては、次のようにも読めるかもしれません。すなわち、人間は巨大な宇宙に圧倒されて、卑小な思いを抱きがちだが、理性があることによって、偉大な思いを回復できる、ということです。ただ、私は Pascal さんとは違い、人間に理性があるからといっても、私個人は宇宙の巨大さに圧倒されて、心安らぐことは少しもありませんでした。しかし、上記の Nagel さん、戸田山先生の話を読んで、何だか少し気が楽になったような感じがします。これからは宇宙の巨大さに対し、そんなにおびえる必要はなさそうな気がしてきました。もちろん今後とも、この宇宙に圧倒され続けるでしょうが、それでもそのことゆえに人生の無意味さがストレートに帰結するというものではないだろうと考え直し、落ち着きを取り戻すことがいくらかはできそうな気がします。

*1:ネーゲル、18-19ページ。

*2:戸田山、408ページ。