Mengerのこと

今日、イギリス経済学説史をご専門にされている先生にお会いした時、先生が最近Carl Mengerのmicrofilmを大学図書館に買ってもらったというようなお話をたまたまされたので、Karl MengerはCarlの息子さんだったんでしょうか?と質問したらその通りだと教えていただきました。9月6日の日記でも記しましたが、この点記憶が曖昧でしたのでお尋ねしたわけです。まぁもちろん自分でちゃんと調べなければいけないことでもあるのですが…。
で、先生とのお話の際、先のmicroは国内某大学にあるMenger文庫の文献をreprintしたものだともお話されていました。ちなみにこの文庫のMengerはCarlのことです。それで部屋に帰ってからこの文庫にKarlの情報はないかと、この文庫を持っている大学HPで調べてみたのですが、軽く見た限りではないようでした。しかし文庫書庫に入って調べれば何か出てくるかもしれません。
また既に以前から入手済みの以下の文献を覗いてみました。

前者は面白そうです。特に以下に引用する一節に興味を覚えました。

[K.]メンガーはたとえば,「オッカムの法則の反対側」に関する論文を書いた。それはとくに目的・手段という意味での合理性が求める判断基準であるオッカムの節約法則,すなわち「少しで済ませられるところに,多くを投入しても仕方がない」という考え方を論じたものである。果たして人間の知はそのような方向で思考を行うものであろうか。[…]
答えは否である。メンガーは知能テストにおいて「テストされる側は,そのテストの発案者がたまたま考えついたことが何かを当てるよう,期待され,要求されているに過ぎない」と述べ,それが社会的な推理力を測るものではありえても,知能とはまったく関係ないと結論している。知能テストにおける正解は,最も時間節約的であるに過ぎないのである。人間の知の豊かさはむしろ逆に,「多くを投入できるところを少しで済ませても仕方がない」という方向,すなわちオッカムの節約法則と逆方向にある。こうしてメンガーは,目的・手段の節約的(エコノミーな)合理性を批判する。そして多様な「合理」性すなわち理にかなった性質や,多様な論理を許容する言語を志向したのである。

取り分けこの引用の最後の「多様な論理を許容する言語を志向した」という言葉にピンときました。というのも9月1日に入手した

  • History and Philosophy of Logic vol.26 no.3 2005

に掲載されている

  • Thomas E. Uebel ‘Learning Logical Tolerance: Hans Hahn on the Foundations of Mathematics’

をぱらぱら眺めているとK.MengerのLogical Pluralismが論じられているのを思い出したからです(190ページ以下)。Uebelさんによると、いわゆるCarnapの寛容の原理はHahnに先取りされているとのことです。そしてK.MengerもCarnapと似たLogical Pluralismの立場を取っていたそうです。しかしUebelさんによると、KarlとCarnapのLogical Toleranceの原理は同じではないそうです。この辺り、若干異論を含んだ議論があるようです(M.Friedman、1999年刊の文献)。ふ〜ん、そうなんですか。


次に、B.Smithのものは今手元には本がなく、彼のHPから調べてみると残念なことに、参考文献表はあっても索引がなく、しかもきちんと読んでいないので正確にはわからないのですが、上記のChapter TenはCarlの話に終始し、Karlの話は出てきていないと思われます。というのも少なくとも参考文献表にはKarlの文献は上がっていませんので。

ところで上の中山論文引用の続きにはK.Mengerが「多様な論理を許容する」立場のみでなく、経済学の場面でも多様な論理=合理性を許容する観点を採っていたとし、続けて以下のように述べておられます。

ところで上記に述べたような[K.]メンガーの考え方は,アメリカ亡命後に初めて構想されたのではない。むしろ彼が学問的基礎を築くに至った1920年代の初頭に,すでにその起源が見出される。彼は,父Carl Menger の遺稿を整理する中でこのような見方を獲得したというのが私の仮説である。整理された遺稿は『経済学原理』第二版として出版された(1923年)。そこには,「欲求」概念と,より広義の市場概念の検討をふまえて,広義の「経済」概念が論じられている。それはメンガー自身の意向を反映した編集となっている。父Carl Menger が生涯をかけて主著を改訂し続けたなかで構想した経済と社会の一般理論は,こうしてメンガーに受け継がれたのである。

中山さんの仮説が正しいとするならば、K.Mengerの(Logical)Pluralismは父Carlにまでさかのぼることになります。すると多分ですがLogical Pluralismに関しては下記のような流れが考えられると思われます。

    • Carl Menger → Karl Menger → R.Carnap

あるいはCarnapへの直接的影響がなかったとすると

    • Carl Menger → Karl Menger

またはKarlの先生はHahnだったのでその影響を考えると

    • Carl Menger + Hans Hahn → Karl Menger → R.Carnap

あるいは

    • Carl Menger + Hans Hahn → Karl Menger

などなど。ただし事実はもっと複雑だったと思います。

いずれにせよ大体ながらこんな感じだとしますと、上に上げたCarlに関するSmithの文献は、CarlのなかにKarl流の(Logical)Pluralismが含まれていたのではなかろうか、ということを検討する際の助けになるかもしれません。そのような意味で、Karlの話は載っていなくともSmithのものは興味深い文献です。


しかしながら、自分は元々Godel絡みでK.Mengerにかかわったのに、しかもそんなに深入りするつもりは毛頭なかったのに、ずいぶん遠くまできてしまった感じがする。感じがするだけなのかもしれないが。けれどもGodelの哲学的影響の系譜図をきちんと誠実に描こうとするのならば、もっともっと遠くまで分け入って行かなければならないんだろうな、やれやれ、大変である。別に私はそれをしようとするつもりはありませんが…。