HumeとKant

今日、社会思想史をやっておられるHumeの専門家の先生と少しお話させていただく。
以前先生からHumeは当時、哲学者としてではなく歴史家として知られていた、哲学者として知られるようになったのはここ100年ぐらいのことでしかない、というような主旨のお話をされ、このことをお聞きした時、意外なことに驚いた。てっきりHume=哲学者と思っていたが、彼が存命の頃は歴史家として名を馳せていたらしい。その後、ではKantはHumeを読んで独断のまどろみから目覚めさせられたというが、その時KantはHumeの著作を歴史家の著作物として読んで、それでまどろみから眼が覚めたのだろうか?という疑問を持つようになった。
この後、自分で調べればよかったのですがなかなか時間もなくいい加減な性向なので確認せずに来たのですが、今日先生にこの疑問を尋ねてみた。先生のお話によるとKantを独断のまどろみから目覚めさせたHumeの著作は、それでもやはり(哲学的なので)哲学的文献としてKantも読んでいたであろうとのことでした。それよりもKantがHumeのどの著作を読んでいたのか、正確なことはよくわかっていないとのことで、Humeのoriginalの本を読んでいたかどうかもはっきりしないようだとのことです。Humeの文献にはsecondhand的に接していた可能性があるらしい。当時としてはよくあることだったようです。本も今みたいな流通量はありませんでしたし。しかもHumeは彼のいわゆる『人性論』があまりに売れず、後になって「あれは自分が書いたんじゃない」と言い出す始末だったそうです*1
しかしHumeは確かに当時歴史家と見なされていたようで、しかもいま私たちがイメージする歴史家=歴史学者ではなく、今でいういわゆる思想家みたいな感じで受け取られていたとの話です。彼ぐらいの頃から歴史を学問として確立していく流れが出てきたみたいです。彼以前には歴史を書くことは特定の政治的党派に意図的に組してその派閥に都合のよい話を書くのが普通だったようで(政治的パンフレットを書くみたいなものなのかな?)、Humeはもっと中立的に書こうとしたみたいです。ただしそれが成功していたとは限りませんが。なるほど、そうなんだ。
ちなみに手元にある弘文堂の『カント事典』で「ヒューム体験」(by 石川文康)という項目があるのでそこを見ると、Kantは『人間悟性論』の独訳を読んで眼が覚めたらしいとあります。ただしKantによるこの独訳からの引用文は、どうやら独訳書原文とは少し違った形で引用しているようであり、また言及する際のページ数も不正確で、本当にちゃんとこの独訳をKantは読んでいたのか、怪しいという感じを抱かせる記述となっています。さらにこの項目によるとKantが『人性論』を読んでいたのか完全にははっきりしていないようで、決定的証拠が見つかっていないようです。ただこの項目を書いた石川さんは多分読んでいただろうというような記述をされているように見えます。
いずれにせよこのHume und Kant問題はかなり昔から話題になっていたようだ。知りませんでした。ふ〜む。


PS.ある文献も入手したが、もう今日は遅いので明日以降それを記すかもしれない。おやすみなさい。

*1:恐らく失敗作と見なしたか、あるいはあまりの人気のなさに恥ずかしかったためかと私は推測するのですが。なおこの話は『人性論』ではなく、いわゆる『人間悟性論』だったかもしれません。先生の話をよく思い出せない。