Frege の Gottingen Years

以下の論文の前の方を拾い読む。

  • D.E. Rowe  “Klein, Hilbert, and the Göttingen mathematical tradition” in: Osiris, 2nd ser., vol. 5, 1989

そこに興味深いデータが掲載されている。それを次に記す。
その前に確認事項を列挙する。
Fregeは1869年にJena大学に入学している。そして1871年までそこで勉強している。次に1871年5月から1873年8月までGottingen大学(Georg-Augst Universitat zu Gottingen)で勉強している。そしてその8月に博士論文をGottingen大学に提出し、同年12月に哲学博士号を授与されている*1
さて興味深いデータとは、フレーゲが学生をしていた頃のドイツの主要大学の研究活発度とでもいうようなことを示すデータが上記論文の193ページに出ているということである。つまりそれは当時の主要大学の数学分野での博士号授与数を比較した表で、大まかながら、この数が多いか少ないかで研究者・技術者などを養成する力量・規模・活力が測れるというものである。
この表では1870年から1879年における各大学の博士号授与数と1880年から1889年の授与数を掲げている。取り上げられている大学はLeipzig, Berlin, Gottingen, Halle, Jena, Marburg, Rostockの七つである。
まず70-79年において、数学分野博士号授与数のトップを確保しているのは60を授与しているGottingenである。次にJenaの49、続いてRostockの39である。
今度は80-89年を見てみると、トップに躍り出るのはHalleの56であり、次にMarburgの54、続いてLeipzigの53である。前回トップだったGottingenは授与数を落として42であり、Leipzigに次ぐ第4位になっている。Jenaも落として第5位の36である。
ここからわかることの一つは、1870年代はGottingenとJenaで数学の研究・教育がドイツの中でも特に顕著に行なわれていたらしい、ということである。そしてその後これら二つの大学は少々力を落とす。
ところで先に確認したように、Fregeはこの1870年代初め頃にGottingenとJenaの両大学で学んだ。このことからすると彼は当時のドイツの大学で、数学研究・教育が最も活発だったと思われるトップ2の両大学二つともで勉強していたということになる。もしかして彼はかなり恵まれた環境の下で勉強できていたのかもしれない。そして上記70-79年におけるGottingenでの博士号授与数60のうちの一つは、1873年にGottingen大学に博士号論文を提出し、同年学位を授与されているFregeの学位がカウントされていることになる。
ただし言うまでもなく、以上のわずかなデータだけで簡単に早急な結論を引き出すべきではないだろう。細かい調査が必要とされる。
なおGauss以来の栄光の時代がGottingenに再び訪れるのは、KleinとHilbertの双頭体制が始まる1895年以降である。

*1:以上のFregeの情報は主として以下に拠る。野本和幸 『フレーゲ入門 生涯と哲学の形成』、勁草書房、2003年、「第5章 修行時代 −イェーナとゲッティンゲン」。