読書: 廣松渉、大黒岳彦 「新カント派が遺したもの」

Cafeで昨日入手した『理想』の新カント派特集から、何本かの文章を読み散らかす。特に

の、大黒さんによる新カント派の流れと背景の説明はとても参考になった。以下、極一部をかいつまんでみる。

ヘーゲル1831年になくなった後、ドイツでは1840年から1870年にかけて哲学の沈滞が起こる。その理由は2つあり、一つはヘーゲルが世を去って思弁的で体系的な哲学が勢いを失ってしまったことと、もう一つはそのころ電気学や熱学の分野で色々と大きな新発見が相次ぎ、自然科学が隆盛を見たことの煽りを受けたことによる。
しかしその間にも存在していた哲学には2つあった。唯物論帰納形而上学といわれるものである。前者にはさらに2つあって、それはヘーゲル左派の唯物論と素朴な自然科学的唯物論である。後者の帰納形而上学とは「実証的な自然科学の目的論的な原理として形而上学を導入し」、ものごとを説明しようとする哲学である。
つまりヘーゲルが亡くなり思弁哲学が後退し、自然科学が力を得て、唯物論とその自然科学を補完する形而上学が細々と考えられている中で新カント主義が芽を出し始める。
新カント派の起こりは大体1860年代で、最初はツェラー、リープマン、ランゲが主導した。彼らを含む前期新カント派には、大きく言って生理学的新カント派、形而上学的新カント派、実在論的新カント派があり、順にヘルムホルツおよびランゲ、リープマン、リールがその代表である。この後、いわゆるマールブルク学派と西南学派が出てくる。
前期新カント派とマールブルク学派・西南学派の盛期新カント派との違いは、ア・プリオリをどう見るかによって区別されるという。前期はア・プリオリをsinnlichあるいはubersinnlichなものと見做すのに対し、盛期はそれをunsinnlichなものとしてlogischに解していく。このことは盛期新カント派を構成する両学派に共通だそうである。
またそもそも新カント派というのは、カント解釈に関し、『純理』を自然科学の基礎付けという形で捉えようとするところがあるそうで、哲学が沈滞に陥っていた時代に、カントの『純理』を自然科学の基礎付けを試みるものと解していく傾向があったそうである。


まだまだかいつままなければならないが、とりあえずここまでとします。しかし盛期の新カント派は、ア・プリオリに関してそれを前期と異なりlogischに捉えていったということについては、Fregeを考える上でとても示唆的ですね。心理学的臭みをア・プリオリから払拭して考えるという点では、Fregeも盛期新カント派も共通していますね。
また新カント派が全般的に、カントの『純理』を自然科学の基礎付け目指すものと読み込んでいたということも、Fregeを考える上で非常に教えられるところがある。あるいはもしかするとFregeはこの新カント派の波に乗り、カントの『純理』に自然科学ならぬ数学の基礎づけを目指すものとして読み込み、この読みを実行すべく自らそのために必要な新たなる論理学(概念気法)を考え出して、論理主義をかざしてその読みの妥当なことを裏付けようとしたのでもありましょうか? この意味でFregeは新カント派の運動の一翼を担っていたのいえるでしょうか?

もちろんこの予想は今のところただの思いつきですが…。