プレイバック

「あなたのようにしっかりした男がどうしてそんなにやさしくなれるの?」と、彼女は信じられないように訊ねた。
「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」
私は彼女に外套を着せて、私たちは私の車のところへ歩いていった。 … *1

本当のやさしさを持っていなかったならば、生きているに値しないだろう。そして本当のやさしさを持つことは生やさしいことではない。
誰でも普通はやさしいことができる。あいさつをしたり、席を譲ったりすることができる。でも、それはここで言う本当のやさしさではない。愛する相手が実は自分を愛していないとわかっていても、それでもなお空しさを振りほどきながら、相手のためにやさしくしてあげること、相手の心が私ではなく別の他人へ向かっていくことがわかっていながら、それでもなお相手のためにやさしくしてあげること、このことを、精神的に崩れてしまうことなく、静かに成し遂げてみせることは、たやすいことではない。
しかしやさしくなければ生きている資格がないとすると、人はこのような容易ならざることを成し遂げてみせねばならない。そしてそのためには人は強くなければならない、さもなければ生きていることはできないだろう。
今の私ならマーロウのセリフを、このように勝手に解釈してしまう…。


244ページには次のような胸迫るセリフもあった。

「さよなら、ベティ。僕はもっていたものをぜんぶ出しつくしたが、それでも充分ではなかった」

そうだった、確かにそうだった。好きな人と別れたとき、確かにそう私も思った。至らなかったと、ひどく思った…。

*1:レイモンド・チャンドラー 『プレイバック』、清水俊二訳、ハヤカワ文庫、早川書房、1977年、243ページ。