SpinozaとMarranoをめぐって

イベリア半島ユダヤ人が宗教の弾圧を受けて諸邦へ亡命し、改宗したことにしているユダヤ教徒を‘Marrano’と呼ぶことは、Spinozaが確かそのMarranoであるということで、聞いてはいた。しかしそれは昔の話だと思っていた。
今日ユダヤ系の先生と話をした。先生はいくつもの言葉を理解しておられるのだが、自由自在なのはヘブライ語スペイン語と英語だという。なぜイスラエルの方がスペイン語を解するのかと不思議に思い尋ねてみると、おばあちゃんがスペイン系で、子供の頃おばあちゃんがそばにいたから覚えたのだそうである。先生の出自を聞いていると、どうやら先生は地中海北岸を回ってイスラエルへと到達したようである。
先生はMarranoではないようですが、スペイン語を解する元スペイン系のユダヤ人というのは現在でもおられるのですね。まったく知らなかった。MarranoとしてのSpinozaというのは哲学史の中の昔話とばかり思っていたが、これに近い話はいまだにあるみたいである。
私はSpinozistではないので、このことで特別にSpinozaさんに思いを馳せるということはないのですが…。