Memo: Sortal Predicatesを見分ける三つの基準

図書館の後、cafeで次の論文を読む。

  • John R. Wallace  “Sortal Predicates and Quantification”, in: The Journal of Philosophy, vol. 62, no. 1, 1965

この短い論文では、sortal predicatesを古典論理に含めるには、どのようにしたらよいかを示唆してくれている。これは、Logics of Sortalsを生み出すにあたって、その基本的アイデアを述べた先駆的論文である。この論文だけでlogics of sortalsができたわけではないが、sortal predicatesを形式化し、論理学に彫琢して行く先駆けをなした論文である*1


この論文は前半と後半に別れている。


まず前半で、自然言語に見られる名詞に相当する語句が、sortal predicateか否かを見分ける基準を三つ上げ、それらの基準が不充分であることを指摘している。
しかし、sortal predicatesを見分ける基準が不充分であることから、‘sortal predicates’という言葉が曖昧・漠然としたものであるとしても、形式化して論理学に組み込んでしまえば容易に操作可能となり、有益な結果がもたらされる。
そこで論文後半で、形式化のためのアイデアが述べられる。


今の私の関心は、logics of sortalsにあるのではなく、sortal predicates自身にある。したがって件の論文の後半よりも前半に興味を感じる。そのような訳で以下に、Wallaceさんが上げる、sortal predicateか否かを見分ける三つの基準を、少し敷衍しつつメモしておく。


基準(1): 数えることができること(可算)

    • (1a) 名辞‘F’がsortal predicateであるならば、何を数えるかを、Fであるものということで定めることができる。言い換えると、‘F’がsortal predicateであるならば、何が数えられるべきかを、「Fを数えよ」と指定することで確定することができる*2
    • (1b) ‘F’がsortal predicateであるならば、数えることで、しかじかのところにFであるものがいくつあるかを調べることができる*3
    • (1c) ‘F’がsortal predicateであるならば、しかじかのところにいくつFであるものがあるかを誰かに問うことは、いみをなす。


基準(2): 指示対象を分割できないこと(指示対象分割不可能性)

    • (2a) ‘F’がsortal predicateであるならば、Fを二つに分割して二つのFを得ることはできない*4
    • (2b) ‘F’がsortal predicateであるならば、Fのどの二つの部分もFではあり得ない*5


基準(3): 実詞・実名詞であること(Substantives)

    • (3a) ‘F’がsortal predicateであるならば、‘F’は、定冠詞を伴うことができ、複数形を許し、‘same’, ‘other’, ‘another’などの言葉を付すことが可能である。
    • (3b) ‘F’がsortal predicateであるならば、‘F’は、次のような数量化の限定名辞を伴い得る。‘all’, ‘every’, ‘no’, ‘some’, ‘a’, ‘many’, ‘most’, ‘few’, ‘one’, ‘two’, ‘three’など。
    • (3c) ‘F’がsortal predicateであるならば、指示詞・直示語(demonstratives)である‘this’, ‘that’を付けることができる。


なお、上記の基準(1)〜(3)であるが、これらによりsortal predicatesが、かつそれのみがすべて選り分けられる、というわけではない。今取り上げている論文著者のWallaceさん自身ご指摘のように、これらの基準で完全にsortal predicatesを選別できるというわけではない。これらは不充分な基準に過ぎず、当座の目安でしかない。


補遺: 実詞・実名詞とは何か?
基準(3)の名前となっている実詞・実名詞とは何かについて、補足しておく。
‘substantives’とは何かを調べてみたら、意外なことに、英文法辞典のようなものにはあまり載っていない。しかしある英語学辞典によると、OEDで使われ、O. Jespersenが使用した言葉だとある。元は名詞あるいは名詞類をいみする言葉で、修飾・被修飾関係の観点から見ると、修飾される語 headwordsのことである。
そこで‘substantives’が載っているというO. Jespersenの『文法の原理(The Philosophy of Grammar)』、安藤貞雄訳、岩波文庫岩波書店、2006年、上巻、実詞と形容詞に関するを章を調べると、次のようである。すなわち、Jespersenによると名詞と形容詞は強い類縁・類似関係にある。名詞が形容詞として使われたり*6、形容詞が名詞として使われたりする*7。形だけでは名詞か形容詞か、どちらかわからないことも多い*8。こうしたことからJespersenはこれら名詞と形容詞は名詞的に働くので一まとめに「名詞(Noun)」と呼び、もともと「名詞」と呼ばれていたものを「実詞(substantive)」と呼ぶことにした。これを図式的に書けば、名詞 = 実詞 + 形容詞 となる。こうして実詞・実名詞とは、狭義の名詞のことであるとわかる。

*1:もともと、自分は以前から、古典論理古典論理たる所以を詳しく知りたく思っていたのだが、そのためにも古典論理を非古典論理と対比してみるならば、古典論理の何たるかが浮き上がって見えてくるだろうと思い、あまり目立たない非古典論理にも注目していた。そんな非正統的な論理学であるlogics of sortalsの先駆的アイデアを述べた論文として重要であると思い、件のWallace論文を随分前にcopyして持っていた。しかし、Fregeの数の定義において、sortalsとは、もしもそれが彼の数の定義と関係があるとするのなら、それはどんな役割を果たしているのかという関心から、この論文を読むことになろうとはまったく思わなかった。ただしこの論文ではほんのわずかにしかFregeには触れられていない。

*2:例えば望遠鏡を覗いて木星とその衛星を観察していたとする。その時、「数えてごらん」と言われたならば、何を数えてよいかわからないので、「何を?」と問い返すだろう。これに対し、「木星の衛星だよ」と返答があるならば、この「木星の衛星」が今問題にしている‘F’の例になる。

*3:「しかじかのところ」とは、例えば、目の前のスプーンの上に砂糖粒はいくつあるかと言う時の、スプーンの上のことであったり、太陽系の惑星の数を問う時の、太陽系内であったり、7より小さい自然数はいくつあるかと問う時の、0もしくは1から6の間のことである。

*4:例: Sortal Predicate ‘bag’の指示対象を二つに分割してしまったら、もはやそれはbagの体をなさない。

*5:例: ‘bag’の指示対象のどの二つの部分も、それ自身はbagではない。

*6:‘University Student’の‘University’。

*7:‘the poor’の‘poor’。

*8:面白い例を上げておく。Jespersenが上げている例である。ShakespeareHenry V から。‘Normans, but bastard Normans, Norman bastard.’「ノルマン人だが、庶子のノルマン人であり、ノルマン人の庶子である。」 最初と二つ目の‘Normans’は名詞、最後の‘Norman’は形容詞。また最初の‘bastard’は形容詞だが、二つ目の‘bastard’は名詞である。