ある論理学史に関する文章について

先日林晋先生は田中一之先生が編集された論理学・数学基礎論史の本について、以下のように書評されていた*1

歴史を公平に見るということは、その我々の現代とまったく異なる世界を、そのまま理解しようと努めることである。それを完全に行なうことは、もちろんできない。しかし、それでも、できうる限りのことをする。[…]
そういう歴史学の観点から見れば、編者[田中一之氏]の執筆態度は疑問である。[…]
編者は現代の日本を代表する優れた数理論理学者であるが、歴史については素人であり「歴史通の論理学者」というべきだろう。

「歴史については素人」というあたり、少し角のある文言だなぁと、私個人的には感じられました。


そして続いて田中先生の文を読んでいると、次のような記述が見られた*2

アリストテレスに始まる(分析的推論の形式)論理学は、一八世紀の哲人カントが指摘したように二千年以上に渡ってほとんど進歩がなかった。心理学や形而上学の話題で論理学を拡張する試みはあったが、それは本当の発展ではなく畸形であるとカントは苦言を呈している(『純粋理性批判』第二版序)。しかし、すでに完成していると思われた形式論理学に、一九世紀から二○世紀にかけて劇的な変革が起きたのである。

この田中先生の文を読むと、先生はカントの意見に同意されているように読める。
ただ、20世紀後半の、いわゆる西洋論理学史についての研究文献をちらちら眺めると、そこにしばしば垣間見えるのは、上記引用文中のカントの発言に対する明確な異議申し立ての試みである。
今もってこのような試みが熱っぽくなされているのかどうかは、その辺りについて不勉強な私にはわからない。
しかしカントの上記の発言をそのまま素朴に受け入れることができる状況では、今やないことは明らかだろうと、私自身は感じている。
少し具体的に言うなら、要するにstoic logicやmedieval logicのことを私は念頭に置いている。
専門家にご発言願おう*3

As for logic, the great historian of logic I. M. Bochenski ([1961]*4, pp. 10-18) remarked that the later Middle Ages was −along with the ancient period from roughly 350−200 BCE and the recent period from Boole and Peano on− one of the three great, original periods in the history of logic. Although we have learned much about the history of logic since Bochenski wrote, and although we can find individual notable figures in logic who fall outside any of his three great periods, his observation is still by and large correct. From the time of Abelard through at least the middle of the fourteenth century, if not later, the peculiarly medieval contributions to logic were developed and cultivated to a very high degree. It was no longer a matter of interpreting Aristotle, or commenting on the works of the "Old Logic" or the "New Logic"; wholly new genres of logical writing sprang up, and entirely new logical and semantic notions were developed.

そもそも論理学が進歩するとは何の謂か、ということについては、必ずしも容易に答えられるものではないかもしれない*5
しかしまぁ細かいことを別とすれば、Aristotleの論理学からいきなりBoole, Fregeの進歩へと話が飛ぶということは、哲学properではAristotle辺りからいきなりDescartesに飛ぶという感じであり、数学ではEuclidやArchimedesからNewton, Leibnizへ飛ぶという感じである。つまり中世をすっかり無視してしまっている。まるで中世には何もなかったかのようであり、暗黒の時代だったかのようである。この点に関し、以下のような文を引用しておく*6

現代科学史学の父と言われたアメリカの故ジョージ・サートン George Sarton は、その大部な書誌学的著作『科学史序説』のなかで、「中世は暗黒ではない。中世が暗黒だというのは、じつは中世に関するわれわれの知識が暗黒なのだ」という意味の皮肉を放っている[…]

林先生の田中先生に対する評言は、少々きつい言い方だなぁと思った私でしたが、以上からするとちょっと田中先生に分が悪いですね。
なお申し添えておかねばならないが、田中先生の文章は字数制限の厳しい商業用PR誌に気楽な気分で書かれたものであろうから、細部を詮索するのはフェアではないので、そのような文章に対し、あまり細かく突っ込むのは失礼であろうと思われます。いずれにせよ、両先生の足下にも及ばない私です…。


最後に。以上の文はよく読み返していないので、誤字・脱字があるかもしれません。

*1:林晋、「書評 歴史学の難しさ 田中一之編 ゲーデルと20世紀の論理学」、『科学』、岩波書店、2007年11月号、1220-21ページ。

*2:田中一之、「論理学からロジックへ」、『UP』、2007年11月号、no. 421、東京大学出版会、38ページ。引用文中の丸括弧は田中先生のものである。

*3:Paul Vincent Spade, “Medieval Philosophy”, in: The Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2004. 引用文中の丸括弧及び‘[ ]’は、Spadeさんによるものである。

*4:Bochenski, I. M. [1961]. A History of Formal Logic. Ivo Thomas, rans. Notre Dame, Ind.: University of Notre Dame Press. A translation of the author's Formale Logik [1955]. Freiburg/Munchen: Verlag Karl Alber.

*5:飯田隆、「現代論理学が伝統的論理学よりもすぐれていると考えるのはなぜだろうか」、藤田晋吾、丹治信春編、『言語・科学・人間』、朝倉書店、1990年、を参照。

*6:伊東俊太郎、『近代科学の源流』、中公文庫、中央公論新社、2007年、30-31ページ。1978年刊行の校訂文庫版。