Frege as Kantian

上記入手文献中のHaaparantaさん論文を電車の中で流し読む。
Frege's Context Princepleをepistemologicalな観点から読もうという論文。そのような観点から読むならば、FregeはKantに近いと述べておられる。この論文の一番最後にこうある。

If the context principle is interpreted as an epistemological principle as I have suggested, it is most natural that the ideas of contextuality and objectivity are connected in Frege's philosophy. What is, however, more exciting here is how very close Frege's views really come to Kant's epistemological doctrines.

具体的にKantの認識論のどこがどういうようにFregeの見解と似ているのか、Haaparantaさんの論文では述べられていないように見える。
しかし今引用した文中の‘Kant's epistemological doctrines’というのは、多分例のKant自身による自己規定、自らの立論は「超越論的観念論にして経験的実在論」であるという、例の自己規定のことを言っているのではないかと思われる*1。ただしHaaparantaさんは論文中で‘transcendental idealism’とか‘empirical realism’などの言葉は使っていなかったようである*2
なお、本当にHaaparantaさんの言うようにFrege's Context Princepleを読めるのかは、私にはわからない。もしもHaaparantaさんのように読むことができ、それは超越論的観念論にして経験的実在論のことだとするならば、Fregeは超越論的観念論者にして経験的実在論者だということになる。これには慎重な検討が必要だと思われる。

*1:Kantの『純粋理性批判』においては、このような自己規定はいくつかの場所で見られると思われる。私自身はKantについては極めて無知なので詳細を記すことはできない。しかし例えばA版のSS. 367-72、取り分けSS. 370-71辺りが有名かもしれない。和訳の平凡社ライブラリー版では中巻の116-126ページ辺りになります。

*2:電車の中でぐいぐい読んだので、もしかしたら一部見落としているかもしれない。面倒なので読み返して確認するのはまたにします。