Trope 概念の有用性についての感想文

Tropeという概念がある。私はその詳細についてはよく知らない。ここ二、三日でいくつかの論文や本を参照し、tropeとは何であるかを自分なりにまとめてみた。若干の文献を眺めてみてわかった限りでは、目の前にある本の赤さはtropeと呼んでよいようである。その本の形もtropeのようである。その本のつやつやした感じもtropeであり、触った時のすべすべした感じもtropeである。その本の紙の柔らかさもtropeであり、その本が持つかすかな匂いもtropeである。この他にもこの本は、ものすごくたくさんのtropeを持っているようである。
Tropeが何であるかについて、大体のところはわかったが、細部に関しては疑問点がある。そのため、正確に言ってtropeとは何であるのか、疑問の余地のないよう説明せよと言われたならば、それは私には無理である。Tropeが何であるかはしかるべき文献に当たっていただければと思う。
私の少ない読書経験から感じるのは、tropeという概念は、普遍者 (universals) があるかないかというような文脈で語られることが多いようである。あるいはtropeという概念を持ち出すと、普遍者はあるのかないのかという話に避けがたく落ち込んで行くかのようである。これは私の印象に過ぎないので間違っているかもしれない。ただ、私自身はそのように感じており、しばしば普遍論争めいた話の中でtropeがどうしたこうしたと語られているように思われる。
ところで普遍があるのかないのかという話は、大変難しいようである。何も知らない人間が気やすく語れるような領域の話ではない。それに単に難しいばかりでなく、もしかするとその分野の話は大概どこか混乱しているのではないかという疑念を覚える。そこは泥沼の領域ではないかと不信感さえ抱いてしまう。普遍があるのかないのかという話に興味がない訳ではないが、難しく and/or 混乱していると思われる領域のこと故、大抵の人は、私も含めて、その種の話はしばしば敬して遠ざけざるを得ないと感じているように思われる*1
私の印象では、tropeは普遍のあるなしの話の場面でしばしば出てくるので、取り合えずtropeについては今まで勉強せずにパスしてきた。「普遍の話はまぁいいや、だからtropeについてもまぁいいや」とパスしてきたのである。
しかし先日、2007年の『現象学年報』第23号をぱらぱら眺めていると、柏端先生の次の論文に目が止まり、

  • 柏端達也  「トロープと心的性質」、『現象学年報』、日本現象学会、第23号、2007年

冒頭部分を読んでみると、大変興味深いことが書かれてある。
私はてっきりtropeというものは、思弁的で空想的な形而上学におけるパズル解きに出てくるものだとばかり思っていた。しかしtropeの概念は因果関係を表わす文の分析に大変有用であり*2、かついわゆる心身問題を解く鍵にもなり得る概念であると書かれてある*3。Tropeは雲の上の空想めいた思弁的パズル解きの概念なのではなく、あるいはそればかりではなく、もっと down to earth なありふれた因果文を分析するためにも必要であるということらしい。これは私にはちょっと意外でした。
そういえば、かつて可能世界意味論の哲学的側面を検討する際に、可能世界は存在するのか否かについて、議論があった。もしかすると今も多少あるのかもしれない。可能世界意味論が、何の応用も持たず、つまり単なる一数学理論/論理学理論であることに終始していたならば、そのような場合、数学的/論理学的概念としての可能世界があるのか否か、あるいはどうあるのかなどを議論することは思弁的に感じられ、そのような議論の重要性はあまりなさそうに思われたことだろう。しかし実際にはその意味論はありふれた反事実的条件法の分析に威力を発揮してみせたのであり、こうなると、可能世界があるのかないのか、あるならどうあるのかというこれらの疑問について、真剣に考察することも、無駄ではないと感じられるようになる。
Tropeの概念も、この可能世界意味論の可能世界の概念と同様のことが言えるかもしれない。Tropeが単に普遍論争の中で語られているだけならば、大抵の人はtropeにそれほど興味を抱かないだろうし、重要視もしないかもしれない。それは高度に抽象的で思弁的な形而上学の道具であり、天空に住まうことのない哲学の住人には差し当たり関係のないものである。しかしtropeが因果文や心身問題を分析する際の有用で決定的な tool であるということがはっきりすれば、多くの住人もtropeを無視し得なくなるだろう。それがどのようなものかについて検討せざるを得なくなるだろう。Tropeという概念は単なる思弁的おしゃべりの jargon ではなく、普遍論争と比べてもっと地味で technical で一般受けしない、散文的な論証・論議においてこそ、目に見える具体的な有効性を発揮してくれる効果的な tool なのかもしれない。そんなふうに感じ、tropeというものを見直した次第です。


以上、単なる感想です。よく読み返していないので、誤解・無理解、誤字・脱字等ありましたらお許し下さい。

*1:本当は真面目に取り組まなければいけない。

*2:柏端、42ページ。そこで先生が挙げておられる因果関係を表わす文とは「ケーブルの弱さが橋の倒壊の原因だ。」である。この文の「弱さ」という語のいみが、ケーブルのtropeに当たる。

*3:Ibid., 42-43ページ。