Young Ludwig Meets Young Thomas?

ささいなことを一つ。


今日大学生協書籍部で次の新刊を拝見しました。


この本を見ていると、そこに一つの写真があった。イタリアの Monte Cassino の修道院の写真である。
私はこの修道院の姿をここで初めて見た。「これが Monte Cassino 修道院なんだ、なるほどね」と。
Thomas はここで初等教育を受けたそうである。「へぇ、そうなんだ」と、写真の眺めていた。
その時、ふと思い出した。そういえば、Wittgenstein は Monte Cassino 修道院に捕虜として収容されていたのではなかったか?
そこですぐに調べてみた。Monk, McGuinness さん達の伝記翻訳や、大修館の『ウィトゲンシュタイン小事典』、飯田先生の講談社 Wittgenstein 本などである。例えば飯田先生の本にはこんなくだりがある*1

[1918年] 十一月三日、ウィトゲンシュタインはイタリアのトレントの近くでイタリア軍の捕虜となり、翌一九一九年の一月にモンテ・カッシーノの捕虜収容所へと送られた。

上記の本たちの該当箇所を調べてみると、Wittgenstein は修道院に収容されたのではなく、修道院がある丘のふもとの捕虜収容所に入れられたようである*2。収容されたのは修道院ではないようだ。私の記憶違いのようである。


しかしいずれにせよ、Wittgenstein は自身のいた収容所から Monte Cassino の修道院を見上げただろうか? そしてそこにかつて Thomas がいたことを知っていただろうか? もしも知っていたとしたならば、何と思っただろうか? わからない。私には全然わからない。でも、そんなこともあったかもしれないと思うと、何だか面白い。

*1:飯田隆、『ウィトゲンシュタイン 言語の限界』、現代思想冒険者たち 07、講談社、1997年、115ページ。

*2:「ふもと」というのが文字通りのことなのか、若干の修辞的意味合いが込められているのか、私が先ほどから上げている諸文献では判然としないようである。どうやら Cassino という街に、Monte Cassino という丘があるようである。