What is the Significance of the Theory of Definite Descriptions in Russell's Philosophical Development?

以下の文は自らに注意を喚起するために書かれたものである。Russell 読みの方々には恐らく常識的なことしか書かれてはいない。


Russell の記述の理論の重要性とは何であろうか? これについては今更何も言うことはないであろう。典型的にはそれは、grammatical form よりも、logical form の方が重要であることを教えていることにある*1。このことを、英語という自然言語の断片に関して分析を施し、明らかにしているのが記述の理論であると考えられている。この際に採用される意味論に伴って、私たちにとってより望ましいと思われる存在論が帰結し、その結果、しばしば哲学者を悩ませる存在論上の問題を解決してみせているのが、記述の理論の一つの重要な効用であると考えられている*2。これはこれでよい*3
しかし、このことは、そのまま Russell 自身にとっての記述の理論の重要性と、同じであろうか? Russell 自身も上述のような重要性を記述の理論は持っていたと、この理論を考え出した当初、思っていたであろうか? 私にはわからない。Russell はそのように思っていたかもしれない。しかし Russell は、関連はするが、これとはまた別の重要性を記述の理論に感じていたであろうことは確かである。少なくとも彼がその理論を考え出した当時を振り返ってみた時に思い出される記述の理論の重要性の一つは、上述の重要性に尽きるものではないことは確かである。私たちはともすると、Russell の記述の理論を言語哲学の入門書から、そしてそれのみから学んで事足れりとしてしまうことから、Russell 自身にとっての、当時彼にとって喫緊事であった問題に対する重要性に気付かずじまいとなりやすい。事実、この私がそうであった。

当の Russell は後年記述の理論の発見に関し、どのような思いを持っていたであろうか? 次にそのことがわかる Russell の言葉を引用してみよう。

In June 1901, this period of honeymoon delight*4 came to an end. Cantor had a proof that there is no greatest cardinal; in applying this proof to the universal class, I was led to the contradiction about classess that are not members of themselves. It soon became clear that this is only one of an infinite class of contradictions. I wrote to Frege, who replied with the utmost gravity that “die Arithmetik ist ins Schwanken geraten.” At first, I hoped the matter was trivial and could be easily cleared up; but early hopes were succeeded by something very near to despair. Throughout 1903 and 1904, I pursued will-o'-the wisps and made no progress. At last, in the spring of 1905, a different problem, which proved soluble, gave the first glimmer of hope. The problem was that of descriptions, and its solution suggested a new technique.*5

Russell は paradox を解決しようと苦しんでいた。そして paradox の解決とは別の問題を解くことにより、paradox 解決への第一歩を踏み出すことができた、その別の問題とは、記述に関する問題である。このようなことを引用文では述べていると思われる。これは1944年に刊行された回想である。

When The Principles of Mathematics was finished, I settled down to a resolute attempt to find a solution of the paradoxes. I felt this as almost a personal challenge and I would, if necessary, have spent the whole of the rest of my life in an attempt to meet it. But for two reasons I found this exceedingly disagreeable. In the first place, the whole problem struck me as trivial and I hated having to concentrate attention upon something that did not seem intrinsically interesting. In the second place, try as I would, I could make no progress. Throughout 1903 and 1904, my work was almost wholly devoted to this matter, but without any vestige of success. My first success was the theory of descriptions, in the spring of 1905, of which I will speak presently. This was, apparently, not connected with the contradictions, but in time an unsuspected connection emerged. In the end, it became entirely clear to me that some form of the doctrine of types is essential. I lay no stress upon the paticular form of that doctrine which is embodied in Principea Mathmatica, but I remain wholly convinced that without some form of the doctrine the paradoxes cannot be resolved.*6

やはり Russell は paradox を解決しようと苦しんでいた。苦しんだ挙句、最初に突破口を開いたのは記述の理論だった。この理論は、一見したところ/明らかに/実際のところ (apparently)、paradox には関係していなかった。しかしそのうち (in time) 思いもかけぬ関係が現れてきた。このようなことを引用文では述べていると思われる。これは1959年に刊行された回想である。

当時 [1903年と1904年] わたくしは、前に述べたような矛盾 [= Russell Paradox などの諸矛盾] を解決しようと懸命に努力した。毎朝、一枚の白紙の前に坐るのを常とした。間にちょっと昼食の時間がはさまるだけで、あとはまる一日中その白紙をみつめているのが常だった。夕方になっても、紙は依然として白紙のままで残っていることがしばしばだった。
冬は、わたくしたち [妻のアリスとラッセル] はロンドンで過ごした。冬の間じゅうわたくしは、全然仕事をしようとしなかったし、1903年と1904年の二度の夏は、知的に完全な行きづまりの時期としてわたくしの心に残っている。当面する矛盾を解決しないではどうにもならないことが明瞭であったし、どんな困難があっても「プリンキピア・マテマティカ」の完成だけはなし遂げようと決心した。けれども、わたくしのその後の全生涯は、どうも、あの白紙をみつめながら暮らす暮らしかたについやされるだろうと思われた。
さらに一層わたくしをいらいらさせたことは、その未解決の矛盾というのがそうたいして取るに足らないものであるということであり*7、わたくしの貴重な時間が、深刻に注意を払うに値しないと思われるような事柄を、くよくよ慮ばかる[ママ]ことについやされるということであった。

[…]

1905年、事情が好転しはじめた。アリスとわたくしは、オクスフォードの近くに住むことを決めた。そうしてバグレイ・ウッドに自分たちの家を建てた。(その当時、そのあたりには他に一軒も家が無かった[ママ])
わたくしたちは、1905年の春、そこに移り住んだ。そうしてそこに移って間もなく、わたくしの「セオリィ・オブ・デスクリプション(記述の理論)」を発見したのである。それがすなわち、長い間わたくしを困らせてきたところの難しい問題を、克服することとなる第一歩であった。*8

ここでも Russell は paradox を解決するために専心し、非常に苦労したことが述べられている。そしてこの解決の第一歩が記されたのは記述の理論によってであったと述べていると思われる。これは1967年に刊行された回想である。


以上の引用文どれにも共通していることは明らかだと思われる。それは、当時 Russell は paradox の解決に取り組んでいた、そして記述の理論を思い付いた、そしてこの記述の理論が paradox 解決のための第一歩だった、ということである。記述の理論は paradox 解決のためとは別の問題から来た理論だが、その理論こそが paradox 解決のための鍵だった、ということである。結局、少なくとも Russell 本人が思い返してみたところでは、記述の理論というのは paradox 解決のための理論だったのである。それこそが Russell にとって何をおいても記述の理論の重要だった理由である。彼の記憶の中では paradox の解決と記述の理論とは tight に結びついているのである。記述の理論とは paradox 解決策の一環だったのである。


次に、記述の理論を発見した直後と思われる頃の Russell の書簡を引用してみる。

自分自身の仕事はその後も順調につづけて来ています。長い間ぼくは、時折、つぎのような謎について論じてきています −すなわち、もしも二つの名称か描写記述が同一の物にたいして当てはまるならば、その一つが真である場合は他もまた真であると。そこで、次のような論法を考えてみましょう −ジョージ四世は、スコットが『ウェーヴァレイ』の著者であるかどうかを知りたがっていた、そうして、スコットは実際のところ、ウェーヴァレイの著者と同一人物であった。そこで、『スコット』を『ウェーヴァレイの著者』の代わりに入れると、ジョージ四世は [スコットが] スコットであるかどうかを知りたがっていた、というふうになることがわかります。これは、ヨーロッパのファースト・ジェントルマン、ジョージ四世にとってそうである以上に『思惟の法則』において大きな興味ある問題なのです。この小さな謎は解くのにまことに困難な問題でした。ぼくはその解決をいま見いだしたのですが、これを解いたために、数学の基礎と、それから思惟と事物との関係に関するあらゆる問題にいっぱいの光明がさしているのです。*9

ここで私の関心を引くのは次の三つの疑問である。
まず、記述の理論は「『思惟の法則』において大きな興味ある問題」なのだと Russell は述べている。「思惟の法則」とは恐らく‘laws of thought’の訳だと推測される。これは論理法則のことを述べているのではないかと考えられる。言い換えると、これは論理学の基本原理のことではないかと思われる。記述の理論にとって、その重要性の核心は、それが論理学の基本原理とでも言えることにかかわっているからだと Russell は考えていたと推測される。これは一体どういうことなのだろうか? いわゆる存在の一義性テーゼと関係していることを言っているのだろうか? 記述の理論は論理学の基本原理にかかわっているとは、どういうことだろうか?
次に、「この小さな謎は解くのにまことに困難な問題でした」と述べられている。先ほどからの引用文では、paradox 解決の長い苦難の道のりについて語られていた。「この小さな謎は解くのにまことに困難な問題でした」とは、paradox 解決が困難であったと述べているのであろうか? それとも paradox の解決とは別に、記述の問題にも長い間頭を悩ませていて、その問題を解くのが困難だったと述べているのだろうか?
最後に、「この小さな謎は解くのにまことに困難な問題でした。ぼくはその解決をいま見いだしたのですが、これを解いたために、数学の基礎と、それから思惟と事物との関係に関するあらゆる問題にいっぱいの光明がさしているのです」における「数学の基礎」という言葉に関して、先ほどからの引用文のうち、1959年刊行の My Philosophical Development では、記述の理論と数学の基礎に関連する paradox の問題とが結び付いているということがそのうち (in time) わかって来たと述べられていたが、今上げた書簡は記述の理論発見直後のものと思われるので、記述の理論と paradox の問題との結び付きは、そのうちというよりもすぐに明らかになったということだろうか? すぐにとするならば、このことは記述の理論と paradox の解決とが非常に緊密に結び付いていることを表していると考えられるが、どうであろうか?*10


さて、Russell は1903年から数年に渡って、paradox の解決に専心していた。しばらくは deadlock の状態が続いて、何も得るところがなかった。この暗中模索の中、思い付いたのが記述の理論だった。最初、記述の理論は paradox の解決には無関係と思われた。しかし程なくしてこの理論が解決のための breakthrough となることがわかった。ではそれはどのようにして paradox の解決に資するのだろうか? Professor Gregory Landini がこの点を極めて簡潔に表してくれている。以下にその言葉を引いてみよう。

Definite descriptions are “incomplete symbols”, with no meaning in isolation. Statements involving definite descriptions apparently referring to golden mountains, round squares, and the like were revealed to express propositions whose logical form was quite unreflective of their surface grammatical form. On the same pattern, Russell has it that a statement apparently “about” a class (or propositional function) is revealed to express (when it is meaningful at all) a proposition whose logical form is quite different than its surface grammatical form. A statement apparently about a class is really about the unique entity (usually a proposition) resulting from a substitution. The theory of descriptions is therefore at the heart of the substitutional theory's solution of the paradoxes.*11

この引用文の末尾に Landini さんは註を付けておられる。その註も引用する。

In fact, Russell was working on substitution with the Principles theory of denoting concepts when he came to abandon denoting concepts in favour of the new theory of “On Denoting”. It was only with the new theory of descriptions that substitution could be made to work.*12 […]

確定記述句は不完全記号である。クラスの名も確定記述句とみなせる。したがってクラスの名は不完全記号である*13。不完全記号としての確定記述句を substitutional theory に組み込むことができる。こうしてクラスの名を確定記述句として substitutional theory に組み込んで消去できる。よって問題のあるクラスの名を消去できる。これで問題を引き起こす paradox を回避できるだろうと考えられる。Paradox の解決策に記述の理論を援用し、この理論を substitutional theory に組み込むことで、解決を完遂すること。このような方針を Russell は得て、substitutional theory の完成に向けて邁進し始めたのが、記述の理論の発見後の Russell の姿のようである。記述の理論を substitutional theory に接続することで、paradox が解決できると Russell は考えたと思われる。


Russell にとって記述の理論は、paradox の解決に対して重要であったということ、この解決のために記述の理論は substitutional theory に組み込まれて考えられて行ったということ、さらにはこの果てにそれは Principia の ramified type theory に結実して行ったということ。したがって、記述の理論と substitutional theory が正確にはどのような関係にあるのか、substitutional theory と ramified type theory は正確にはどのような関係にあるのか、そして記述の理論は Principia の ramified type theory でどのような扱いを受けたのか、少なくともこれらのことが明らかにされなければならない。このことは Whitehead and Russell の Principia における Logicism が paradox からどの程度 free であるのかという問題に恐らくつながっており、そしてこのことを通して、どの程度彼らの Logicism が成功しているのか、あるいはどの程度成功していないのか、成功していないとするのなら、内的な破綻の原因は、Poincaré, Chwistek, Wittgenstein, Ramsey, Gödel, Copi, 大出、Myhill 各氏らの原因追及とはまた別に、それが別にもあったとするのならばだが、その原因は、以上の観点から見た場合に、どこにあったのか、何よりもこれらのことが明らかにされねばならない。
取り合えず以上のことを確認して今回の話を終わりとしたいと思います。


最後に、上記引用文のうちの My Philosophical Development に関する引用文中で次のようにあった。

My first success was the theory of descriptions, in the spring of 1905, of which I will speak presently. This was, apparently, not connected with the contradictions, but in time an unsuspected connection emerged. In the end, it became entirely clear to me that some form of the doctrine of types is essential.

記述の理論が paradox 解決に役立つとわかり、ついには the doctrine of types が、その解決のために不可欠だということが明らかになったと述べられている。ここでの‘the doctrine of types’が正確・厳密に言ってどのような理論のことを Russell は念頭に置いていたのかは、自明ではない。これが正しく言って何のことなのかを分明にする必要がある。しかしいずれにせよここでは記述の理論と何らかの type theory がしっかりと結び付いていることが闡明にされている。ではそれらはどのような結び付きにあるのだろうか? このことをはっきりさせるには Landini さんによる substitutional theory の研究を参照する必要があるが、差し当たり次の文献が大変ためになります。

  • 久木田水生  「ラッセルの記述の理論とタイプ理論の関係について」、『哲学論叢』、京都大学哲学論叢刊行会編、第32号、2005年


なお、本日の日記については、本日記の2006年6月10日も参照下さい。そこでは

  • Peter Hylton  “The Theory of Descriptions”, in: N. Griffin ed., The Cambridge Companion to Bertrand Russell, Cambridge University Press, Cambridge Companions to Philosophy Series, 2003

について、まとめています。

(加えて、以下の文献も参照した方がよいようである。

  • Alasdair Urquhart  “Logic and Denotation,” in Nicholas Griffin and Dale Jacquette ed., Russell vs. Meinong: The Legacy of "On Denoting," Routledge, Routledge Studies in Twentieth Century Philosophy Series, 2008

この論文の first section だけを読むと、本日の日記の内容ととてもよく似た話を Urquhart さんは既にされておられます。また後日論文全文を読もう。2009年12月31日記す。)


最後の最後に。
本日の日記は例によってよく見直していないので、誤解や無理解、誤字・脱字等がございましたら、あらかじめお詫び致します。


PS
2005年10月30日の日記に、末木剛博先生の逸話を投稿してご紹介していただいた方がおられます。私はその投稿を今日の今日まで気が付きませんでした。先ほどお返事を差し上げました。誠に遅れましたことをお詫び致します。大変ありがとうございました。

*1:L. Wittgenstein, Tractatus, 4.0031. David Kaplan, “What is Russell's Theory of Descriptions?,” in W. Yourgrau and A. Breck, ed., Physics, Logic, and History: Based on the First International Colloquium held at the University of Denver, May 16-20,1966, New York, Plenum Press, 1970, p. 279. 飯田隆、『言語哲学大全I 論理と言語』、勁草書房、1987年、176-77ページ。Peter Hylton, “The Significance of “On Denoting”,” in R.I.G. Hughes ed., A Philosophical Companion to First-Order Logic, Hackett, 1993, this article first published in 1989, p. 188ff.

*2:三浦俊彦、『ラッセルのパラドクス −世界を読み換える哲学−』、岩波新書岩波書店、2005年、110-111、127ページ。W.G.ライカン、『言語哲学 入門から中級まで』、荒磯敏文、川口由起子、鈴木生郎、峯島宏次訳、勁草書房、2005年、第2章「確定記述」。

*3:Kevin C. Klement さんは“On Denoting”が未だに関心を引く理由として、その論文に次のような重要と思われる論点が含まれているということを、簡潔に列挙されておられる。(1) 文の logical form と grammatical form が一致しないことがありえるということの論証、(2) Meinong への非存在対象論批判、(3) Frege's theory of Sinn und Bedeutung 批判、(4) いみと指示 (sense and denotation) を区別することへの一般的な反論としての Gray's Elegy Argument, (5) 同一性についての理解、(6) 存在しない対象についての理解、(7) スコープの区別について、である。Cf. Kevin C. Klement reviewer, “Guido Imaguire and Bernard Linsky (eds.), On Denoting 1905-2005,” in: Notre Dame Philosophical Reviews, 2006.10.09, the first paragraph.

*4:That is, in a very short time Whitehead and Russell worked out together such matters as the definitions of series, cardinals, and ordinals, and the reduction of arithmetic to logic. For nearly a year , they had a rapid series of quick successes.

*5:Bertrand Russell, “My Mental Development,” in Paul Arthur Schilpp ed., The Philosophy of Bertrand Russell, 5th ed., Open Court, The Library of Living Philosophers, vol. 5, 1944/1989, p. 13.

*6:Bertrand Russell, My Philosophical Development, Revised ed., Routledge, 1995 (First Published in 1959), pp. 60-61.

*7:バートランド・ラッセル、『ラッセル自叙伝 I 1872年-1914年』、日高一輝訳、理想社、1968年 (原書 1967年)、185ページに、Russell Paradox は、クレタ島人曰く「クレタ島人はみな嘘つきである」という嘘つきのパラドックスに類似しており、このような trivial とも思える paradoxes に真面目な大人が本気になって取り組むということは、値打ちのないつまらぬことのように思えたとの旨を Russell は記している。

*8:ラッセル、同上、191-92ページ。

*9:バートランド・ラッセル、「1905年6月13日 ルシイ宛てラッセルによる書簡」、『ラッセル自叙伝 I 1872年-1914年』、日高一輝訳、理想社、1968年 (原書 1967年)、237ページ。

*10:ちなみに、My Philosophical Development の和訳では ‘in time’ が「やがて」と訳されている。バートランド・ラッセル、『私の哲学の発展』、野田又夫訳、みすずライブラリー、みすず書房、1997年、101ページ参照。

*11:Gregory Landini, “Reconciling PM's Ramified Type Theory with the Doctrine of the Unrestricted Variable of the Principles,”in A.D. Irvine and G.A. Wedek ed., Russell and Analytic Philosophy, University of Toronto Press, Toronto Studies in Philosophy, 1993, p. 367.

*12:Ibid., p. 388, n. 23.

*13:クラスの名が確定記述句であり、不完全記号であるということは、典型的には Bertrand Russell, Introduction to Mathematical Philosophy, Routledge, 1919/1993, Chapter 17 Classes, especially pp. 181-82, 邦訳 『数理哲学序説』、平野智治訳、岩波文庫岩波書店、1954年、237-38ページを参照。