Gödel's Misunderstanding of Kant's Kritik der reinen Vernunft on Intuition

先日書店店頭で以下の新刊書籍を手に取ってみた。


その中でちょっと面白い文章に出会ったので、その文章のオリジナルを入手して拝読させていただいた。それは次の文章です。


この文章の中で伊東先生は1971年9月から1972年6月まで Princeton の The Institute for Advanced Study に滞在され、そこで Gödel さんに会い議論をされた様子が語られています。その様子が少し面白かったので、以下に引用してみます。


伊東先生はある日 Gödel 先生に電話で呼ばれ、研究室に出向いて Gödel 先生とお話をされます。P. Cohen さんの話を Gödel 先生に伺った後、次のように続きます。

そこで問題は「数学的事実」とは何かということになったが、ゲーデル教授は、それは経験的事実と異なって、感覚的な経験によるものではないとしても一種の数学的直観 (mathematical intuition) によって把握されるもので、数学的対象のいわば客観的な知覚 (perception) が存在するのだといわれ、これはカントのように主観的なものではない点を強調された。私はカントの数学論が主観的だというのが納得いかず、この点は賛成しかねると申し上げると、それではというわけで、教授が1949年に書かれた相対論に関する論文をとり出し、そこに引用されているカントの文章を指し示しながら、ここに自分の解釈を支持する証拠があると思うが、もしこれに文句があるならこの引用箇所を検討してみてくれと、大変な宿題を仰せつかってしまった。さっそく帰ってから『純粋理性批判』を借り出して、そこのところを原文でよく読んでみると、それは明らかにゲーデル先生の誤解のようで、カントが接続法過去で書いてあり得ないこととして反対しようとしている命題を、カント自身の考えを表わすもののようにとっておられると思われた。そこで、次にお会いしたときにこのことを申し上げると、はじめは反論されていた教授も、次第に私のいうことを認めてくださった。[…] 私がゲーデル教授に大変感銘をうけたことは、論理学の神様といわれるこの大学者の謙虚な物静かな態度であり、また自説に固執せず、納得がゆけば相手のいうことをすなおに認める率直さであった。教授は、私がこの[プリンストン高級]研究所において最も強烈な印象をうけた学者である。*1

有名な、mathematical intuition に関する Gödel さんの持論の記述の後、Kant の話が出てきますが、そこで Gödel さんが Kant を誤読していたらしいという話が出てきています。これは何だかちょっと意外な感じがしました。というのも、Gödel さんはドイツ語が母語だったと思うのですが、そして伊東先生はドイツ語は母語ではないと思うのですが、ドイツ語を母語とする Gödel さんのドイツ語の読みを、ドイツ語を母語としない伊東先生に、その読み間違いを指摘されているというところが何だかほほえましく感じられました。これは Gödel 先生がうっかりしていたのか、それとも Kant の文章が誤解を誘うものだったのか、あるいは伊東先生がとても鋭かったのか、またはこれらすべてがそうだったのかもしれませんが、私たちの教訓としては、たとえ Gödel 先生みたいな大先生でも、時にはうっかり間違えてしまうこともあるのだから、初めから正しいはずだと決めてかからずに、じっくり先生方の見解を吟味する必要があるのだろうなと思いました。

*1:伊東、1972年、60ページ。