先日、次の本に収録されている
- Tom Ricketts and Michael Potter ed. The Cambridge Companion to Frege, Cambridge University Press, Cambridge Companions to Philosophy Series, 2010
以下の論文を読み終える。
- Joan Weiner “Understanding Frege's Project”
ここで、この論文の印象を書き記してみる。これは全くの個人的な印象です。他の方が上記の論文を読まれれば、また異なった印象を抱かれると思います。一個人の極私的な印象記として受け止めていただければと思います。難しい哲学の話はしません。表面的な印象を述べるだけです。間違ったことを記していましたら、あらかじめお詫び申し上げます。
さて、上記論文を先日一度通して読み、正直に言ってよくわからなかったので、もう一度読み直してみた。この二回目の読みの際には、途中まで論文の内容を書き出してまとめつつ読み進めた。しかし私には結局この論文はよくわからなかった。難しい構文が使われている訳でもないし、見たこともないような単語が頻出するということもない。論理学や数学の詳細な知識がなければ読めないという論文でもない。一文一文は特段難しいものではない。このようなことから、もっと粘り強く読めばわかったかもしれない。しかし、一文一文は特段難しいものではないものの、文それぞれの連なり方、文章全体の流れがよくわからない印象を与える論文だと強く感じられる。それぞれの文が微妙にずれながら連なっているという感じである。その時そこで言うべきことをきちんと言わず、point をはずしつつ文がつながっているという印象を受ける。例えて言うと「A ならば B であり、B ならば C である、よって A ならば C である」と言うべきところを「A ならば B であり、B' ならば C である、よって A' ならば C' である」と言っているような感じである。何となくわかるが、厳密に考え出すと、どうもよくわからない、という思いを抱かせる。
とにかく私にはとても stressful な論文である。しかし別段深遠なことが述べられているようには見えない論文である。そこで展開されている論証を再構成しようとしながら読み進めるのだが、その論証があまり明瞭でない印象がある。必要な前提を読む側で補足しようとするのだが、そういう場面が多いような気がして、ひどく負担がかかる。著者が主張したいことの論拠がとても薄弱だと感じられたところもある。あまりに無防備と感じられて、読んでいて気分が落ち込んでしまった。読んでいる途中で私には論文全体に全く説得力が感じられなくなってしまった。
この論文に対しては、昔々の日本文学における随筆を読んでいるような感じを受けた。徒然なるままに文章が書き連ねられているように思われた。考え考えしながら、思い付く順番に、そのまま思考を書き付けているかのような気がした。もちろんそんなはずはない。著者のこの論文は、既に書かれている別の論文を基にして成ったもので、無からいきなり考え出され、書き出されたものではないようだから。
その他にも色々と、内容以前の段階で、ひどく引っ掛かりを覚える文言に多数出会い、読書と思考が逐一 stop して、読みにくくて仕方なかった。ひどく引っ掛かりを覚える多数の文言というものについては、面倒だからもう何も言わない。英文の難易度が高い訳でもないようであるし、そこで述べられている事柄が特別に難解であるというものでもないようである。それにもかかわらず、かなりの程度、明瞭ではないと感じられる。いずれにせよ、この論文と私との相性はあまりよくないようだった。途中まで論文の内容をまとめながら読んでいたが、あまりに論文とのそりが合わないので、論文の中ほどで内容を再構成するのも諦めた。負担が大きすぎるし、内容のまとめ・再構成を超えて、私の完全な創作文になってしまうと思われたからである。
きっと別の方が読まれれば、別の印象を持たれるだろうと思う。非常に面白かった、とても参考になった、すごくよかった、という思いを抱かれる方もいらっしゃると思う。しかし私には駄目だった。興味深い話題が論じられている個所もあったが、私にはもはやどうしようもないという感じである。とても残念である。ひどく疲れた…。
もしも以上の印象が、私の誤解や無理解に基付いているとしましたら、正直に謝ります。大変済みません。単純に私の頭が足りなかったというのが、上記のような印象の原因かもしれません。その可能性は高いと思います。修行不足と思って、今後勉強に励みます。