入手した文献について、全く徒然なるままに記します。


藁谷先生の論文は、再び読み直すべく部屋にある copy の山の中から論文を探し出そうとしたのだが、なぜかどうしても見つからない。隅々まで調べれば出てくるのだろうが、くたびれ果ててしまうのでそれはもうやめて、改めて copy して入手。
Lesniewski の logic は、Frege らの standard な logic の alternative となる可能性があるので、以前から少し興味がある。例えば、一般名 (一般名詞/一般名辞) や 'is' が Frege らに反して、syntactic な category として本当に認められうるのか、どこまで認められうるのか、一つにはそのことを Frege 側の観点から検討してみたいと、前々から思っています。一般名や copula の復権は、Frege 側からするならば、単なる反動にしか見えないかもしれません。しかし本当に単なる反動にすぎないのか、それとも Frege が成し遂げたことを確保しつつ、有効な alternative として、Lesniewski の logic を利用することができるのか。藁谷先生のお考えでは、Lesniewski の logic は、一般名を正当に扱えることから、日常言語 (特に英語など) による推論の働きを、Frege らの logic よりも、より自然に取り扱うことができるとお考えのようですが、これがどの程度可能なのか。近頃注目を集め始めている 'natural logic' と比べて、どちらがどれほど有効なのか。
また、Lesniewski の Ontology は通常の一階述語論理を幾分増強した体系と同値だそうで、そうすると Lesniewski の Ontology は普通思われているよりも、ずっとありふれた論理体系ということになり、私たちが普段知っている論理学とさして違いがないとも感じられるようになります。これが事実だとすると、ちょっと個人的には驚きです。もしも Lesniewski の Ontology が通常の一階述語論理と極端に違わないとするならば、この logic が standard な logic の alternative となりうるのか、幾分不安に感じれらます。私が Lesniewski の logic に興味を覚えるのは、Frege らの logic を、距離を置いて見てみたい、後者の logic が当たり前として暗黙の裡に前提してしまっている事柄を、Lesniewski の logic を背景にあぶり出して掴み取りたいと考えているからなのですが、Lesniewski の logic も standard な logic とそれほど極端には違わないとするならば、Lesniewski の logic の独自性、独創性が、少々弱まってしまう可能性が出てくると感じられて、Lesniewski の logic の有難味が薄れてきてしまいそうに思われます。心配しすぎかもしれませんが。


飯田先生と van Benthem さんの文献は、今述べた natural logic に関係する文献です。


三島先生の Nietzsche 本は、私としては普段あまり購入しない類いの本ですが、とても面白そうだったので購入。Nietzsche, Heidegger, Derrida, Habermas らを論じています。先生の論述はこれらの哲学者たちに距離を取りつつ論評されており、冷静さが際立っていて好感が持てます。これらの哲学者の語りが、当時の歴史的、政治的、社会的背景の中から出てきていることに私たちの注意を喚起し、このような背景を理解せずに、彼らの語りを読んだところで、正確な理解からはほど遠いことを教えられます。また彼らの語りが現在の私たちにもたらす効果に対しても、三島先生の文章は敏感であり、彼らの語りの帰結に充分気を付けるべきことを教えてくれます。興味深い episode も豊富で面白そうであり、どれも coffee cup 片手に気楽に読めそうなので購入させてもらいました。 (但し、そこから得られるであろう哲学的教訓は、私たちに重くのしかかってくるものでしょうけれど…。)


Scott LaFaro の本は、購入した後 café で読み出したら、思わず引き込まれ、無理して切り上げなければ、ずっと読み続けてしまうところだった。無知を一つさらけ出してしまうと、Scott が最初に本格的な jazz の group に加わったのは、Chet Baker の group からだそうである。これは知らなかった。驚いた。Scott は本格的な jazz の group に初めて加わることができて、ものすごくうれしかったようである。プロの jazz musician の group に雇われたのは、Chet の group が最初だった訳だ。Scott は自分の人生の新たなる船出に大いに喜んだようだけれど、でもしばらくすると、落胆へと変わったみたいである。何故かと言うと、まぁ想像が付くことだとは思いますが、Chet が無茶苦茶な人だったからです。Scott はちょっと生真面目なところがあったようで、Chet の無責任さに憤っていたみたいである。Chet は才能があるのに drug なんかやってもったいないという主旨の話を人にしていたみたいである。まぁ、Chet を前にすれば大抵の人間が憤ったり、落胆したりするとは思うけれど。