Stanislaw Lesniewski, 末木剛博先生

まず、入手した書籍から。

  • Denis Miéville et al.  Stanislaw Lesniewski Aujourd'hui, Vrin, Recherches sur la philosophie et le langage 16, 1996
  • Irving M. Copi  The Theory of Logical Types, Routledge, Routledge Revivals Series, 2011 (First published in 1971)
  • 新井敏康  『数学基礎論』、岩波書店、2011年
  • 北田均  『ゲーデル 不完全性発見への道』、双書 大数学者の数学 6, 現代数学社、2011年
  • 熊野純彦編  『近代哲学の名著』、中公新書 2113, 中央公論新社、2011年
  • 岩波文庫編集部編  『読書のすすめ 第15集』、岩波書店、2011年


次に、入手した論文の類い。

  • John Thomas Canty  ''Lesniewski's Terminological Explanations as Recursive Concepts,'' in: Notre Dame Journal of Formal Logic, vol. 10, no. 4, 1969
  • Boleslaw Sobocinski  ''On the Single Axioms of the Protothetic. I,'' in: Notre Dame Journal of Formal Logic, vol. 1, no. 1-2, 1960
  • ''Errata,'' in: Notre Dame Journal of Formal Logic, vol. 1, no. 4, 1960
  • ''Errata,'' in: Notre Dame Journal of Formal Logic, vol. 2, no. 4, 1961
  • Czeslaw Lejewski  ''A Note on a Problem Concerning the Axiomatic Foundations of Mereology,'' in: Notre Dame Journal of Formal Logic, vol. 4, no. 2, 1963
  • Joseph S. Wu  ''The Problem of Existental Import (From George Boole to P. F. Strawson),''  in: Notre Dame Journal of Formal Logic, vol. 10, no. 4, 1969
  • 足立恒雄  「フレーゲデデキント、ペアノを読む 現代における算術の成立、第3回 抽象数学の夜明け前」、『数学セミナー』、2011年6月号
  • 鈴木登志雄  「数理論理学 (数学基礎論)」、『数学セミナー』、2011年6月号


入手した上記の書籍のうち、Stanislaw Lesniewski Aujourd'hui ですが、この本は南仏の Grenoble で出版されているように見えるものの、Vrin から入手可能です。古い本だし、地方の本だから、もしかして入手できないかも、と危惧していましたが、注文して二週間ほどで新刊を確保できました。France の本なので、安価でした。Lesniewski の本を集めている人はほとんどいないでしょうが、今ならこの本を新刊で入手できるようですので、試してみて下さい。但し、私が本日確保した新刊が、最後の一冊でなければの話ですが…。


また、上記入手書籍の『読書のすすめ 第15集』 には、末木文美士先生が

  • 「父の掌」

という文章を寄せておられ、そこで先生のお父様である末木剛博先生についての思い出を一部記されており、とても興味深いです。
末木剛博先生については、分析哲学を学んでいると、古い文献でたまにお見かけする名前です。私も剛博先生のご高著は二、三、所持しております。簡潔で明瞭な叙述をされる先生で、読んでいて気持ちがいいです。
末木文美士先生の上記の文章から、思い付くままに剛博先生の話を拾ってみますと、剛博先生は元々 Spinoza から勉強を始めたらしいです。比較思想の講座を担当したことから、サンスクリット語で仏典を原典で読んで勉強し、因明の研究を行っていらしたようです。先生は紙問屋の息子として生まれ、一時期はこの家業が傾いた際に、学業とともに紙問屋の仕事も兼任して生活されていたみたいです。これは大変なことだったので、奥様につらく当たられたこともあったらしい。また座禅に取り組んでいらしたようです。どうやら家父長制に親和的な性格の方で、家督を守ることを第一に考えていたらしい。本をとても大切にされ、保管のための立派な書庫を立てて、他のものを犠牲にしてでも本を大事にしていたみたいです。
そして私が一番印象に残ったのは、剛博先生が病床で記号の式から成る公理系のようなものを考えておられ、「唯一の演算子ですべての哲学命題を導き出そうという野望を持っていたらしく」、この点で、先生は Spinozist, Wittgensteinian であったという話です。ここでの「唯一の演算子」とは何を言うのか、詳細が記されていないので、私にはわかりません。Sheffer's stroke のようなものでも発見されたのでしょうか。それにしても哲学上の主張をすべて整然と公理化できると考えることは、私には非常に壮大な試みに映ります。廣松渉先生はどこかで「哲学は体系的でなければならない」とおっしゃっていたと記憶していますが、末木剛博先生も、廣松先生とは傾向を異にしつつも、あるいみで体系志向の哲学者であったということなのかもしれません。何十年か前の昔の哲学者というものは、Marxism の、あるいは Hegel の影響を受けてなのかどうかわかりませんが、「体系の人」が多いような気がします。昔々は Aristotle のように万学の王みたいな哲学者もあり得たでしょうが、今の時代には、とてもではないが無理だと感じられます。すべての数学をこなす数学者というのは Hilbert, Poincaré 以来、恐らくもういないのかもしれませんが、それと同様に、すべての哲学をまとめ上げる哲学者というのは、おそらくもういないのかもしれません。(もちろん、そのような試みを企てることが不可能というのではありません。企てることは、誰にでも可能です。しかしそれが達成できるかどうかは別ですし、達成できているように見えるものがあったとしても、仔細に見ると細部で破綻してしまっていることがしばしばだろうと思われます。)