洋書

次の国々における論理学事情が述べられています。

Albania, Belarus, Bosnia and Herzegovina, Bulgaria, Croatia, Czechia, Eastern Germany, Estonia, Hungary, Latvia, Lithuania, Macedonia, Moldova, Montenegro, Poland, Romania, Russia, Serbia, Slovakia, Slovenia, Ukraine.

ものすごく minor な話題に見えます。(向こうからすると、極東の島国で論理学をやる方が、もっと minor に映るかもしれませんが…。) しかし、ちょっと驚くことに、この本の裏表紙を見ると、Noam Chomsky 先生がこの本の推薦の辞を寄せておられます。また、Dov Gabbay 先生も推薦されています。ものすごく分厚い本です。800ページ近くあります。辞書みたいな存在感です。すごすぎます。Lvov-Warszawa School に興味があるので、その関連から購入しました。

  • Paul Horwich  Wittgenstein's Metaphilosophy, Oxford University Press, 2012

Description には、以下のようにあります。

He [Paul Horwich] argues that it is Wittgenstein's radically anti-theoretical metaphilosophy—and not (as assumed by most other commentators) his identification of the meaning of a word with its use—that lies at the foundation of his discussions of specific issues concerning language, the mind, mathematics, knowledge, art, and religion. Thus Horwich's first aim is to give a clear account of Wittgenstein's hyper-deflationist view of what philosophy is, how it should be conducted, and what it might achieve. His second aim is to defend this view against a variety of objections: […] And the third aim is to examine the application of this view to a variety of topics—but primarily to language and to experience.

もともと購入するつもりはありませんでしたが、現物を手に取って初めの辺りを読んでみると、ちょうど今関心を持っていることに関係があり、とても面白そうに感じたので、安価でもあったことから、そのまま購入しました。「ちょうど今関心を持っていること」とは、現代の分析哲学において、Wittegnstein の哲学は、いかなる貢献をなしうるだろうか、ということです。別にこの疑問に今真剣に対峙しているという訳ではなく、たまたま何となくかりそめに疑問を感じているだけのことです。現代の分析哲学は専門化が激しいと考えられています*1。私はそれと関連して、現代の分析哲学における専門化の進展は、特に日本においては、いわゆるよいいみでの教養主義の衰退と無関係ではないかもしれないと推測しています*2。つまり、よいいみでの教養主義が衰退するのと反比例するように、あるいはまた、いわゆる大きな物語や Marxism が衰退するのと反比例するように、日本において分析哲学が普及してきているのではなかろうか、ということです。Wittgenstein の哲学は分析哲学に、繰り返し基本へ帰ることの必要性と*3、全体を俯瞰する視点を常に持ち続ける必要性を諭してくれる点で*4、重要な貢献をなすと考えられていますが、ひょっとすると、Wittgenstein の哲学は、専門化の激しい現代の分析哲学に対し、もしかしてもしかすると、よいいみでの教養主義の重要性を示唆してくれるのではなかろうかと、ごく個人的には今感じています。勘違いの可能性が非常に高いですが…。ここで私が述べているよいいみでの教養主義とは、善い人生と善い社会を求め、善い人間になることを、人生の目標や指針とする態度のことです*5。真理をたくさん知ったり (知識の詰め込み、物知り)、何かをうまくすばやくこなしたりすること (効率の追求、技術への偏愛) と、善い人間であること及び善い人生を歩むことに価値を見いだす態度とを比べてみると、現代の専門化された分析哲学に親和的なのは、後者の善を求める態度よりも、前者の知識、技術を求める態度だと感じます。Wittgenstein は、哲学を理論だとか学説だとか学問体系などではないと考えていました*6。このことはよく知られていると思います。哲学は何かを打ち立てるのではなく、何かを鎮める役割を持っていると考えていたようです。彼は従来の哲学の空騒ぎを鎮めた後*7、自然と見えてくるものを黙って示そうとしていたのかもしれません。その、自然と見えてくるものとは、彼にとり、何か倫理的なものだったのではないかと私はぼんやりと考えています。それは具体的には、彼の残した日記 (1936-37年) から見ても、おそらくですが、善き人生だったろうと推測しています。そのことを「内側から (An L. Ficker, Okt./Nov. 1919.)」「沈黙のうちに (Tractatus, Vorwort, S. 26, Nr. 7.)」「示している (Tractatus, 6.522.)」のが Tractatus で、特にその6.4番台以降になるだろうと推測しています。そうだとすると、よいいみでの教養主義とは無関係に疾走していると思われる現代の専門化された分析哲学に、人生の最終的な目標、目的は、理論や学説や学問体系ではなく、善い人間になること、このことだということを、分析哲学の内部から、哲学することを通じて教えてくれているのが、Wittgenstein (の Tractatus, 6.4番台以降) ではなかろうか、という思いが何となくわいてきます。まぁ、完全に見当違いな思いでしょうが…。いずれにせよ、このようなたわいもない個人的な思いに対し、上記 Horwich 先生のご高著は、何か教えてくれる点があるかもしれないと思い、購入しました。Wittgenstein に関する以上の贅言は、まったくの単なる思い付きを書き散らしただけですので、忘れてください。私もしばらくしたら忘れていると思います。決して真に受けないようにお願い致します。詳しく検討した結果に基づく見解では全然ありません。


和書

  • 松阪陽一編訳  『言語哲学重要論文集』、現代哲学への招待 Anthology, 春秋社、2013年

収録されている原論文は次の通りです。(この本には原論文に関する書誌情報が不完全にしか掲載されていないところもあるようですが、こちらで補足して記します。)

  • Gottlob Frege  ''Über Sinn und Bedeutung''
  • Bertrand Russell  ''On Denoting''
  • Keith Donnellan  ''Reference and Definite Descriptions''
  • David Kaplan  ''Dthat''
  • Gareth Evans  ''The Causal Theory of Names''
  • Keith Donnellan  ''The Contingent A Priori and Rigid Designators''
  • Willard Van Orman Quine  ''Quantifiers and Propositional Attitudes''
  • Saul Kripke  ''A Puzzle about Belief''

これは便利で重宝しそうです。形式的なことに関し、欲張ったことを言わせてもらえれば、できれば横書きで印刷を組んでもらいたかったという印象を持ちます。収録されている Russell の論文翻訳の冒頭を見ると、英語の単語が頻出していますが、縦書きだとつらいです。その他、各論文中にはちょくちょく論理式めいたものが現れますが、縦書きで組まれていると、なかなか厳しいものがあります。欲張りすぎかもしれません。翻訳していただくだけでもありがたいので。そもそも、この本が入っているシリーズは、確かすべて縦書きで組まれているので、この本だけ横に組むことはできなかったのかもしれません。いずれにせよ、また拝読して勉強させていただきます。

  • 入不二基義編  『英語で読む哲学』、研究社、2013年

英語と哲学を同時に学ぶ英文解釈の参考書。次の著作が取り上げられています。Michael Sandel, Justice; Gilbert Ryle, The Concept of Mind; Alasdair MacIntyre, After Virtue; Bernard Williams, Morality; Elizabeth Anscombe, ''The First Person.'' 各章の終わりに、さらに読み進み理解を深めるための読書案内が記されていますが、この英文解釈書で取り上げた各著作自身の書誌情報がないので、それも掲載しておけばよかったと思います。(本文中に、不完全な書誌情報が上げられている場合もありますが…。)。また、その読書案内では、和書しか案内されていませんが、洋書も案内しておけばよかったと思います。英文解釈の本なのだから、英語原典と英語の参考文献も上げた方がよかったと思うのですが…。とはいえ、とても面白そうな本です。

(追記 2013年1月28日: この英文解釈書で取り上げられた各著作の充分な書誌情報が書籍中に記載されていないと、上で書きましたが、各著作の詳しい書誌情報が、この本の225ページに、copyright を明記する形で記されていることに気が付きました。大変失礼致しました。)

みすず書房の home page にあるこの本の説明文に、次のようにありました。

1984年、ドイツのJ.C.B.Mohr社から『マックス・ウェーバー全集』の最初の数巻が刊行されたとき、出版部、編集者、スタッフたちが驚いたのは、出版部数の三分の二がドイツでもなく、ヨーロッパでもアメリカでもなく、日本で売れたという事実だった。このような瞠目すべき事態を生んだ日本の社会科学の事情、ウェーバーと日本との親和性とは、いったい何なのか。

これは知らなかった、そうだったんだ。私は Weber の熱心な読者ではありませんが、翻訳でなら、ちらほら読んでみたことがあります。とくに岩波文庫の『職業としての政治』の後半は、今までに何度も繰り返し読んできました。現実の壁に突き当たったとき、この本の後半をたびたび読み返し、現実の壁は手強いが、それにもかかわらず、時間をかけてでも向かっていかなければならないと確認し直して、再び現実に戻って行きました。また、そうすることで現実に戻って行くことができました。Weber のある種の文章は、なぜか心を熱くさせるものがありますね。だから、なぜ日本の人が Weber に魅せられるのか、わかるような気もしますが、欧米でよりも人気があることに、不思議な感じもします。今回購入の本を読めば何かわかるかもしれません。とても面白そうなので購入しました。


欧文論文

Journal の

  • Logica Universalis, Special Issue: Perspectives on the History and Philosophy of Modern Logic: Van Heijenoort Centenary, vol. 6, nos. 3-4, 2012

より、以下を入手。

  • Irving H. Anellis  ''Editor’s Introduction to Jean van Heijenoort, Historical Development of Modern Logic''
  • Jean van Heijenoort  ''Historical Development of Modern Logic''
  • Irving H. Anellis  ''Jean van Heijenoort’s Conception of Modern Logic, in Historical Perspective''


和論文等

  • 柏端達也  「一元論をめぐる現代の議論における若干の「カント的」な観念について」、『カントと形而上学』、日本カント協会編、日本カント研究 13, 理想社、2012年
  • 八杉滿利子  「書評 今度こそわかるゲーデル不完全性定理 本橋信義著、A5版、171頁、本体2700円、講談社」、『数理科学』、no. 596, 2013年2月号

柏端先生の論文は、現代の分析的形而上学Kant との関係をめぐる話。特に世界の存在について取り上げられているようです。

*1:飯田隆、「専門化する哲学の行方 分析哲学の現状と展望」、『現代思想』、2013年1月号。

*2:このことと直接は関係していませんが、間接的に関係していることにより、参考になったのは、次の文献です。H. シュネーデルバッハ、『ドイツ哲学史 1831-1933』、舟山俊明他訳、叢書・ウニベルシタス、法政大学出版会、2009年、29-45, 94-130ページ。

*3:飯田隆、土屋俊、「ウィトゲンシュタイン現代日本哲学」、飯田隆、土屋俊編、『ウィトゲンシュタイン以後』、東京大学出版会、1991年、3-8ページ。

*4:飯田隆、「分析哲学から見たウィトゲンシュタイン」、『ウィトゲンシュタイン 没後60年、ほんとうに哲学するために』、KAWADE 道の手帖 哲学入門、河出書房新社、2011年、50ページ。

*5:廣川洋一、『ギリシア人の教育』、岩波新書 新赤版、岩波書店、1990年、12-21ページ。

*6:'Die Philosophie ist keine Lehre, sondern eine Tätigkeit.' Tractatus, 4.112, Routledge, International Library of Psychology Philosophy and Scientific Method Series, 1922 / 2005.

*7:Tractatus, Vorwort, S. 28.