The Origin of Kripke's Theorem of the Necessity of Identity

今日も些細なことを一つ記します。先日、以下の諸論文を入手致しました。

  • John P. Burgess  ''On a Derivation of the Necessity of Identity,'' in: Synthese, vol. 191, no. 7, 2014,
  • John P. Burgess  ''On a Derivation of the Necessity of Identity,'' Unpublished Manuscript, <http://www.princeton.edu/~jburgess/NecessityOfIdentity.pdf>,
  • Ruth C. Barcan  ''The Identity of Individuals in a Strict Functional Calculus of Second Order,'' in: The Journal of Symbolic Logic, vol. 12, no. 1, 1947.

そこで Burgess 論文を読みますと、Kripke さんの有名な同一性の必然性定理 ∀x∀y( x = y ⊃ □( x = y ) ) を最初に述べたのは、Kripke さんではないことはもちろんですが、Ruth Barcan Marcus さんでもなく、驚くべきことに Quine さんなのだそうです。しかもさらに驚くべきことに、この種の問題に興味のある私たちみんなが読んでいるはずの Quine さんの有名な論文にそのことが記されているそうです。Modal logic の最大の反対者が件の定理を最初に述べたのだそうで、しかも私たちみんなが読んでいるはずの論文にその定理が明示されているそうです。これは二重に驚きですね。全然気が付きませんでした。今日はそのことをご報告致します。そしてそのことのみを記して、個人的考察は特に述べません。そのようなものを述べることのできる能力がございませんので…。なお、以下の記述では、本来引用符が必要な場合にも、省いて記すことに致します。


問題の定理が述べられている箇所で、おそらく一番有名な箇所は、次であろうと思われます。

  • Saul A. Kripke  Naming and Necessity, Blackwell, 1980, p. 3, 邦訳、ソール A. クリプキ、『名指しと必然性 様相の形而上学と心身問題』、八木沢敬、野家啓一訳、産業図書、1985年、3-4ページ。

引用してみます。

Waiving fussy considerations deriving from the fact that x need not have necessary existence, it was clear from (x)□( x = x ) and Leibnitz's law that identity is an 'internal' relation: (x)(y)( x = y ⊃ □ x = y ).*1

x は必然的に存在するとは限らないという事実から派生する込み入った考察をぬきにすれば、(x)(y)( x = y ⊃ □ x = y ) という関係は、(x)□( x = x ) という式と <同一性は「内的」関係である> というライプニッツの法則とから明らかであった。


そしてこの定理が証明されているのは、

  • Saul A. Kripke  ''Identity and Necessity,'' in his Philosophical Troubles, Oxford University Press, Collected Papers, vol. 1, 2011, pp. 1-2. This paper was first published in 1971,

です*2

引用してみます。引用文中の '〚 〛' は引用者によります。

 First, the law of the substitutivity of identity says that, for any objects x and y, if x is identical to y, then if x has a certain property F, so does y:


(1)  (x)(y)[ ( x = y ) ⊃ ( Fx ⊃ Fy ) ]


On the other hand, every object surely is necessarily self-identical:


(2)  (x)□( x = x )


But


(3)  (x)(y)( x = y ) ⊃ [ □( x = x ) ⊃ □( x = y ) ]


is a substitution instance of (1), the substitutivity law. From (2) and (3), we can conclude that, for every x and y, if x equals y, then, it is necessay that x equals y:


(4)  (x)(y)( ( x = y ) ⊃ □( x = y ) )


This is because the clause □( x = x ) of the conditinal〚(3)〛drops out because it is known to be true.


上記引用文から式だけを抜き出して並べ、便宜上、カッコをすべて丸カッコに統一し、わかりやすさのため (3) の式にカッコを追加すると、次の通りです。

(1)  (x)(y)( ( x = y ) ⊃ ( Fx ⊃ Fy ) )
(2)  (x)□( x = x )
(3)  (x)(y)( ( x = y ) ⊃ ( □( x = x ) ⊃ □( x = y ) ) )
(4)  (x)(y)( ( x = y ) ⊃ □( x = y ) )


これらをもとに (4) を実際にきちんと証明して確認してみましょう。自明でしょうが、念のためにやってみます。(自明すぎるとお感じの方は、以下の箱の中の記述を飛ばして次に進んでください。)

まず、


(1)  (x)(y)( ( x = y ) ⊃ ( Fx ⊃ Fy ) )


を仮定します。この式は、同一者不可識別の原理 (Indiscernibility of Identicals), 代入則 (Substitutivity of Identicals), Leibniz の原理 (Leibniz' Law) と呼ばれるものであり、ここでの F には任意の述語/性質が入るので、この F に □( x = _ ) を入れると*3 (3) の式が出てきます。つまり、


(3)  (x)(y)( ( x = y ) ⊃ ( □( x = x ) ⊃ □( x = y ) ) ).


次にこの式の x を a で、y を b で普遍例化すれば、


(3.1)  ( a = b ) ⊃ ( □( a = a ) ⊃ □( a = b ) )


になります。ここで


(3.2)  a = b


を仮定します。すると (3.1) と (3.2) により、


(3.3)  □( a = a ) ⊃ □( a = b )


が出ます。

さて、


(2)  (x)□( x = x )


を仮定します。そしてこの式の x を a で普遍例化すれば、


(2.1)  □( a = a )


です。そうすると、先に出た (3.3) とこの (2.1) により、


(3.4)  □( a = b )


が出ます。この (3.4) は (3.2) a = b を仮定することで出てきましたので、この (3.2) の仮定を落として条件法を導入すれば、


(3.5)  ( a = b ) ⊃ □( a = b )


となります。

ところで、ここまでで仮定として立てられていた式は


(1)  (x)(y)( ( x = y ) ⊃ ( Fx ⊃ Fy ) )

(2)  (x)□( x = x )

(3.2)  a = b


であり、このうち最後の (3.2) は今しがた条件法を導入する際に落とされましたから、仮定として残っているのは、(1), (2) だけです。これら (1), (2) を見ると、b は自由には現れていませんから (というか、そもそもまったく現れてはいないので), 先ほどの (3.5) の式の b を普遍汎化してもよく、そのようにすれば、


(3.6)  (y)( ( a = y ) ⊃ □( a = y ) )


になります。さらにこの式の a も (1), (2) には自由に現れてはいませんので (これももちろんそもそもまったく現れてはいないので), (3.6) の a を普遍汎化してよく、そうすれば、


(4)  (x)(y)( ( x = y ) ⊃ □( x = y ) )


となります。これが私たちの求めようとしていたものでした。


さて、以上のようにして証明された定理が最初に述べられたのは、Burgess 先生によると、一般に思われているように Ruth Barcan Marcus さんではなく*4 Quine さんの文献中においてだそうです*5。Marcus さん本人は自分が最初にこの定理を述べて証明もした、とおっしゃっているようですが*6、かつ Quine さんも、その定理を最初に述べて証明したのは Marcus さんだ、とお考えのようですが*7、Burgess 先生の調査によると、少なくともその定理を最初に述べ、かつ証明の hint を与えたのは、意外にも Quine さんなのだそうです。実際 Quine さんはかなり早い段階で、問題の定理をいくつかの箇所において述べています*8。それは私たちもよく知っている論文です。そのうちのまず一つ目は、次です。引用もします。

  • Willard Van Orman Quine  ''Reference and Modality,'' in his From a Logical Point of View: 9 Logico-Philosophical Essays, Second Edition Revised, Harvard University Press, 1953/1980, p. 156. This paper was a fusion of his previously published two papers. Each paper was published in 1943 and in 1947 respectively. 邦訳、「指示と様相」、『論理的観点から 論理と哲学をめぐる九章』、飯田隆訳、双書プロブレーマタ II-7, 勁草書房、1992年、243-244ページ、あるいは、「表示と様相」、『論理学的観点から 9つの論理・哲学的小論』、中山浩二郎、持丸悦朗訳、岩波書店、1972年、184ページ。

 The system presented in Miss Barcan's pioneer papers on quantified modal logic differed from the systems of Carnap and Church in imposing no special limitations on the values of variables. That she was prepared, moreover, to accept the essentialist presuppositions seems rather hinted in her theorem:


(38)   (x)(y) { ( x = y ) ⊃ [ necessarily ( x = y ) ] },


[…] Note incidentally that (38) follows directly from (36) [i.e., necessarily ( x = x )] and a law of substitutivity of identity for variables:


   (x)(y) [ ( x = y . Fx ) ⊃ Fy ].

ここで Quine さんが問題の定理の証明者を Ruth Barcan Marcus さんに帰していますが、Burgess 先生の調査によると、これは間違いだそうです*9。Marcus さんの pioneer papers on quantified modal logic においては、実際のところ、この定理は述べられてもいないし、証明されてもいないのだそうです*10。むしろ、Marcus さんの諸論文を読んで、問題の定理をはっきり明示したのは、ここでの Quine さんが最初みたいです。


話を続ける前に、念のため、蛇足を一つ。

直前の引用文最後の式は代入則であり、次のように書かれていました。(0) と名付けることにします。


(0)  (x)(y) [ ( x = y . Fx ) ⊃ Fy ].


これは Kripke さんが掲げていた代入則と少し違います。Kripke さんのものは次でした。


(1)  (x)(y)[ ( x = y ) ⊃ ( Fx ⊃ Fy ) ].


このように少し違いますが、(0) から (1) が出てくることはよく知られています。自明なことでしょうが、念のために確認しておきます。一般的な証明を与えるのではなく、ここでの式を簡略化したもので、(0) から (1) が出てくることを確認してみます。なお、あまりに自明すぎるとお感じの方は、やはりここでの箱の中の説明を飛ばしてください。実際に自明ですので…。

最初に、(0) も (1) も、それぞれ以下のように簡略化してしまいます。x = y を P とおき、Fx を Q とおき、Fy を R とおいて、量化子を削除します。


(0.1)  ( P . Q ) ⊃ R.

(1.1)  P ⊃ ( Q ⊃ R ).


そして (0.1) を前提することで (1.1) を引き出して、(0) から (1) への証明の代りとします。


まず、


     P


と仮定します。加えて


     Q


と仮定します。すると


     P . Q


です。今、


(0.1)  ( P . Q ) ⊃ R.


が成り立つと前提されていますので、先ほど得た P . Q とこの (0.1) により、


     R


が出ます。そして Q が仮定されていましたから、Q を落として条件法を導入すれば、


     Q ⊃ R


です。さらに P も仮定されていましたから、P を落として条件法を導入すれば、


     P ⊃ ( Q ⊃ R )


です。これが私たちの求めようとしていた式 (1.1) でした。


閑話休題。続いて、私たちが問題としている定理が出ている Quine さんの二つ目の論文から。

  • W. V. Quine  ''Three Grades of Modal Involvement,'' in his The Ways of Paradox and Other Essays, revised and enlarged ed., Harvard University Press, 1976, p. 175. This paper was first published in 1953.

 If 'nec' is not referentially opaque, 'Fx' and 'Fy' in (51) [i.e., (x)(y)( x = y .⊃. Fx ≡ Fy )] can in particular be taken respectively as 'nec ( x = x )' and 'nec ( x = y )'. From (51), therefore, since surely 'nec ( x = x )' is true for all x, we have


   (52) (x)(y) [ x = y .⊃. nec ( x = y ) ],


I.e., identity holds necessarily if it holds at all.


そして三つ目。

  • W. V. Quine  ''Reply to Professor Marcus,'' in his The Ways of Paradox and Other Essays, revised and enlarged ed., Harvard University Press, 1976, p. 181. This review was presented in 1962.

In particular the criterion makes no doubt of Professor Marcus's law for modal logic:


   (x)(y) [ x = y .⊃. necessarily x = y ]


It follows from 'necessarily x = x' by substitutivity.

先ほども述べた通り、ここでの定理を 'Professor Marcus's law' と呼ぶことは、Burgess 先生によると間違いということになります。どうして Marcus さんも Quine さんも間違ってしまっているのかについては、詳しくは Burgess 論文の sectin 1, 'What is the source of the derivation?' を参照ください。


なお、先日この日記で記した秋葉先生の論考

  • Ken Akiba  ''Introduction,'' in Ken Akiba and Ali Abasnezhad eds., Vague Objects and Vague Identity: New Essays on Ontic Vagueness, Springer, Logic, Epistemology, and the Unity of Science, vol. 33, 2014,

の中で、Kripke さんによる同一性の必然性定理の論証に関し、次のように書かれていることも、もしかしてもしかすると間違いになってしまうかもしれません。

Barcan (1947) and Marcus (1961) gave essentially the same argument.*11

引用文中の 'Barcan (1947)' は、論文 "The Identity of Individuals in a Strict Functional Calculus of Second Order" のこと、'Marcus (1961)' は、論文 ''Modalities and Intensional Languages'' のことです。これら二つの論文には、Kripke さんによる同一性の必然性定理の論証が既に本質的に (essentially) 含まれていると秋葉先生はお考えなわけです。問題は先生のお言葉の 'essentially' をどう解するかにかかっていそうですね。


最後に、一言。Kripke さんの最も有名なご高著で同一性の必然性定理を見せつけられた時の印象と、Quine さんの諸論文で件の定理を見せつけられた時の印象は、まったく違っていると感じます。前者のご高著では、件の定理を肯定的に捉えており、その大胆さに驚きを禁じ得ません。Power play を目の前にしているようで、期待と不安がない交ぜになっているような心の状態に陥ります。他方、後者の諸論文で件の定理を読みますと、その定理は否定的に捉えられており、あたかも諸悪の根源であるような、modal logic の信じがたさが露骨に現れているような、そんな承認不能の極点を見せつけられているような気がします。どちらも同じ形をした定理でありながら、どのように理解するかで大幅に違って見えてくるように思われます。にもかかわらず、とりあえず、その定理が明示的な姿では、modal logic に対する最大の敵対者により、最初に記されているということが、何とも意外な感じがするのです。


以上、誤解、無理解、勘違い、誤字、脱字等がございましたらすみません。どうかお許しください。

*1:この引用文中で、'Leibnitz' とありますが、'Leibniz' と書かれる方が一般的だとは思うものの、前者で記名されることもあるようなので、そのまま引用しておきます。

*2:本項目の冒頭辺りで、次のように述べました。「Kripke さんの有名な同一性の必然性定理 ∀x∀y( x = y ⊃ □( x = y ) ) を最初に述べたのは、Kripke さんではないことはもちろんですが」というようにです。Kripke さんではないのはもちろんだ、というのは、件の定理を引き出す論証について、Kripke さんは、本人自ら既に次のように述べておられるからです。'This is an argument which has been stated many times in recent philosophy.' See Kripke, ''Identity and Necessity,'' p. 2. このような論証を Kripke さんよりも前に取り上げている人物として、David Wiggins さんに Kripke さんは言及されておられます。Ibid.

*3:'_' は空所を表わします。

*4:Burgess, ''On a Derivation ...,'' in: Synthese, pp. 1569-1570, especially p. 1570. ここでのものと同様に、以下で言及する Burgess 論文は、手稿ではなく、すべて Synthese 掲載のものを参照しています。

*5:Burgess, pp. 1570-1572.

*6:Burgess, p. 1569.

*7:Burgess, pp. 1571-1572.

*8:Burgess, pp. 1571-1572.

*9:Burgess, pp. 1569-1570.

*10:Burgess, pp. 1569-1570.

*11:Akiba, p. 9, n. 16.