洋書

  • Heinz-Dieter Ebbinghaus and Volker Peckhaus  Ernst Zermelo: An Approach to His Life and Work, 2nd ed., Springer, 2015

本書の説明書きを出版社の home page から一部を引用させてもらえれば、次の通りです。

This second edition provides additional information. The system of citations has been adapted to that of Zermelo's Collected Works in order to facilitate side-by-side reading and thus profit from the thorough commentaries written for the Collected Works by experts in the respective fields.

Zermelo's Collected Works の the system of citations を採用している点で、1st ed. より有用なところがあるかもしれません。

  • Tuomas E. Tahko  An Introduction to Metametaphysics, Cambridge University Press, Cambridge Introductions to Philosophy Series, 2015
  • Ernest Hemingway  The First Forty-Nine Stories, Arrow Books/Random House UK, 1995

Hemingway の小説については、この本の中の The BattlerThe Killers を英語で読んでみたかったので購入しました。


英語論文

  • Monika Gruber  ''Carnap's Contribution to Tarski's Truth,'' in: Journal for the History of Analytical Philosophy, vol. 3, no. 10, 2015


和書

一つ目の野崎先生*1のご高著は、かなり充実しているように見えます。時間を忘れてところどころ拾い読みしてしまいました。先生のご指摘によると、既存の邦訳『職業としての学問』は、独文学者の三木正之先生の私家版を除いて、どれもこれも壊滅的な誤訳や、拙劣な訳に満ちているみたいですね。私は岩波文庫版で読んだことがあり、その一部は印象深く、今でも覚えている部分があるのですが、先生のお考えによると、この岩波文庫版はほとんど使い物にならないみたいですね。全然知りませんでした。野崎先生のご指摘によれば、偉い先生方の多くがドイツ語を何度も読み間違えてしまったり、読み落としてしまったり、正確に読んでその読みを和訳に正確に反映させることがしばしばできていないみたいです。先生のお話を一部引用してみます。

 [本書では] 従来の邦訳・英訳の問題点も指摘している。長年にわたって奇怪な −しばしば驚くほど幼稚な− 誤認・誤訳が繰りかえされ、それが定着してしまい、ヴェーバーの真意の理解が妨げられてきたので、これを一掃する。これによって、正確な読解にもとづく『職業としての学問』研究のための手がかりを得ることができる。また従来の「訳」を読みおえて −当然にも− 釈然としない気分に囚われていた人は、これによって誤訳の呪縛から解放される。ただし、紙幅の関係から、従来の邦訳中とくに重大な錯誤の指摘のみにとどめ、英訳の誤りは、邦訳群との関連で適宜言及するにとどめた。既存の邦訳・英訳は、どれも全編にわたっておびただしい数の誤訳 (重要な論旨を正反対に取りちがえる致命的な誤訳もすくなくない) に塗れており、もしもすべての誤訳を指摘するならば、とてつもなく膨大なものになるにちがいないが、それは紙の無駄であろう。*2

既存の邦訳の訳者の先生方からは、異論や反論があるでしょうが、もしも野崎先生の指摘の多くが正しいとするならば、岩波文庫版などなどを参照したり、引用したりすることは、非常に危険なようです。岩波文庫版を読んでも Wissenschaft als Beruf を読んだことにはならないみたいです。はたして野崎先生の主張が大部分正しいのかどうか、今の私には判断が付きませんので何とも言えませんが*3、『職業としての学問』を和訳で読む場合は、かなりの注意が必要かもしれません。

さらに言えば、偉い先生方による数々の邦訳書『職業としての学問』、哲学書でもない講演録に当たるこの『職業としての学問』でさえ、誤読、誤訳に満ちているとするならば、ドイツ語の哲学の本のなかでも、特に難解な哲学の本の邦訳などには、同様の誤訳が多数含まれているかもしれないと心配になってきます。社会科学系の本であるならば、普通は読んでみて、いみがなかなか通らない一節があれば、「怪しいな、誤訳かもしれないな」と警戒することもできるかもしれませんが、もともといみの通らないことを言うことの多い哲学書の場合には、いみが通りにくいからと言っても誤訳かどうか判断の付きかねることがかなり多いでしょうし、そもそも誤植かどうかさえ、書いた本人以外には、あるいはひょっとして書いた本人にさえわからない、などということが生じかねないと思われます。こんな場合はどうすればいいのだろう? 私にはわかりません。

それはそうと、私はこの blog で英語文から邦語への私訳/試訳を掲載することがありますが、私の和訳もかなり怪しいかもしれません。既存の『職業としての学問』の邦訳に多数誤訳があるという話を読んで、他人ごとではないと感じました。また勉強致します。誤訳しておりましたら大変すみません。

*1:野崎先生の「崎」の字は、正しくは右上の「大」が「立」の字なのですが、その字ですと文字化けしてしまいますので、便宜的にこの日記では「大」の方の「崎」の字を使用させていただきます。

*2:野崎、iii ページ。

*3:野崎先生は、読者自身がドイツ語原文と既存の邦訳を突き合せ、野崎先生の主張を読んで考えて、先生の主張が正しいかどうか、読者自身で判断を下す検証作業を行わない限り、本書からは何も得ることはできないはずだとの趣旨のことを述べておられますので(ii ページ)、「今の私には判断が付きません」と言って、お茶を濁しているわけにはいかないのですが…。