My Modus Ponens Is Your Modus Tollens.

「哲学とは何ですか?」と問われた時、厳密、正確に、教科書的な答えを返すこともできるでしょうが、現実の哲学的な営みを眺め渡した後で、教訓を引き出すように、若干冷笑的とも思える回答を提出することも可能でしょう。例えばそんないくぶん「引いた」回答として私がいつも思い出すのは、次の文献に載っている

  • Saul Kripke  Naming and Necessity, Blackwell, 1972/1981,

以下のような言葉です。

 Let me state then what the cluster concept theory of names is. (It really is a nice theory. The only defect I think it has is probably common to all philosophical theories. It's wrong. You may suspect me of proposing another theory in its place; but I hope not, because I'm sure it's wrong too if it is a theory.)*1


 それでは、名前についての束概念理論が何であるか、述べさせてもらいたい。(それは本当によい理論である。それが持っていると私には思われる唯一の欠点は、すべての哲学的理論におそらく共通しているものである。つまり、それは間違っている、ということだ。代りに別の理論を私が提案しようとしていると皆さんはいぶかるかもしれない。が、そんなふうに思わないでほしい、というのも、私が提案しようとしているものが理論であるならば、それもまた間違っていると私は確信しているからである。)*2


補足として、

 I think I said the other time that philosophical theories are in danger of being false, and so I wasn't going to present an alternative theory. Have I just done so? Well, in a way; but my characterization has been far less specific than a real set of necessary and sufficient conditions for reference would be.*3


 私は以前、次のように言ったと思う、つまり哲学的理論は間違っている危険があり、だから私は代りになる理論を提示するつもりはない、と。だが、私はちょうどそうしたところだって? うむ、ある点ではね。しかし指示であるための必要十分条件が実際に集められてあるならば、その条件は明瞭であるだろうが、それに比べて私のなしてきた特徴付けは、ずっと明瞭さを欠いているのである [から、「理論」などと呼べる代物ではないのである]。*4

以上、要するに、哲学は、より正確に言えば、哲学上の理論というものは、どれもこれも間違っている、ということです。「これはたぶん事実かもしれないな」と思わせるものがありますね。


さて、先日、次の文献を拾い読みしていると、

  • Francesco Berto  How to Sell a Contradiction: The Logic and Metaphysics of Inconsistency, College Publications, Studies in Logic, vol. 6, 2007,

これもまた、哲学に関して印象深い一節がありましたので、以下に引用してみます。この本の195ページにある文章と、同じページの脚注にある言葉です。私訳/試訳も付します。

However, as it often happens in philosophy, someone's proof of a counter-intuitive conclusion is someone else's refutation of one of the premises.^{17}

しかしながら、哲学ではしばしば起こるように、誰かによる、直観に反する結論の証明は、その誰かとはまた別の人による、その誰かの証明の前提の一つの反駁である。


17 Or, famously, ''my modus ponens is your modus tollens''. This is what John Woods called ''Philosophy's Most Difficult Problem'' (see Woods (2003): 14).

17 あるいは、よく知られている言い方では、「私のモドゥス・ポネンスは、あなたのモドゥス・トレンスである」。これはジョン・ウッズが「哲学の最も難しい問題」と呼んでいるものである (Woods (2003): 14 を見よ)。

何だかわかりにくいように感じられるかもしれませんが、ここでは次のようなことが言われています。例えば A さんが p という前提から、q という直観に反する結論を引き出したとしましょう。するとこれに対して今度は B さんが、「q という明らかにおかしな結論が出てきたということは、A さんの最初に立てた前提の p が間違っていたからに違いない」と言って、B さんが A さんの持っていた前提を反駁するということが、哲学ではしばしば起こる、ということです。


Modus Ponens とは、「p ならば q である。今、p である。故に q である」というような推論のことです。俗に言う「三段論法」と呼ばれたりもする、とてもよく知られた推論です。Modus Tollens とは、「p ならば q である。今、q ではない。故に p ではない」というような推論のことです。こちらは対偶とよく似た推論のことです。


''my modus ponens is your modus tollens'' について、もっと具体的な例を上げてみましょう。

直前の引用文末尾に、'see Woods (2003): 14' とありました。そこで、この文献の

  • John Woods  Paradox and Paraconsistency: Conflict Resolution in the Abstract Sciences, Cambridge University Press, 2003

14ページと15ページに出てくる話を参考にし*5、より簡略化して具体例を示してみますと、以下のような感じになります。

A: 「この世で生じることはすべて必然的に決まっているのである。すべては必然なのだ。宿命としてあらかじめ決まっているのだ。なぜなら、かくかくしかじかだからだ。」


B: 「そんな馬鹿な。この世で生じることがすべて必然的に決まっているなどということがあろうはずはない。だから、あなたの言う「かくかくしかじかだ」などいうことはないのである。」

確かに哲学ではこのような pattern の議論がよく見られますね。


あるいは、誰かが何かを主張しているとして、その主張を認めると、ある奇妙で受け入れがたい結論が出てきてしまうことを示すことで、その誰かのその主張を反駁するということがよくあります。わかりやすい例として、sorites paradox を使った話を示してみましょう。

A: 「1,000粒の砂山は、立派な砂山である。そこから1粒ぐらい差し引いたところで、砂山が砂山でなくなるなどということはないのだ。」


B: 「じゃあ、1,000粒から1粒引いた999粒の砂も砂山なら、そこからまた1粒引いた998粒の砂も砂山ですよね。そして998粒から1粒引いた997粒の砂も砂山ですよね。これをどんどん続けていけば、1粒だけになった時でも砂山なんですか? まさか、そんなことはないですよね。1粒だけの砂では砂山じゃあないですよね。だったらそれに1粒を足した2粒の砂でも砂山とは言えませんよね。さらに1粒足した3粒の砂でも砂山とは言えないですよね。これをどんどん続けていけば、1,000粒ぐらいでは砂山とは言えないということになりますよね。だからあなたが最初に言った1,000粒の砂山なるものは、本当は砂山なんかじゃあないんです。」

「反証可能でないものは科学ではない」と言った先生がおられたと思いますが、哲学に反論が付き物であるとするならば、「反論、反駁のないところに哲学はない」、「反論、反駁こそが哲学の命であり、精髄である」とすると、私としては、''my modus ponens is your modus tollens'' という aphorism のような言い回しは、若干言い方を変えて ''your modus ponens is my modus tollens'' と言いたいところです。後者の方が私にはよりしっくりくるというか、よりグッときます。「先生、先生はそうおっしゃいますけど、言わせていただきますが、それって違うんじゃないですか。それだと奇妙な帰結が出てきますよ。だから先生のおっしゃる通りじゃあないと思うんです」という感じを、寸言風に表せば、''your modus ponens is my modus tollens'' となるように思われるのです。だから哲学的営みとは、''your modus ponens is my modus tollens'' の応酬である、ということになると思います。

''Your modus ponens is my modus tollens.''


何だかいい言葉ですね。


以上で終わります。誤解や無理解や勘違いや誤訳や悪訳や、あれやこれやがあると思います。至らなくてすみません。特に誤訳、悪訳、拙劣な訳で、読まれた方の足を引っ張っているようでしたらお詫び申し上げます。また勉強致します。

*1:Kripke, p. 64.

*2:ここで掲げた訳文は引用者によるものです。邦訳では、ソール A. クリプキ、『名指しと必然性 様相の形而上学と心身問題』、八木沢敬、野家啓一訳、産業図書、1985年、73ページ。八木沢先生、野家先生の訳文を参考にさせていただきましたが、まずは邦訳を見ずに私訳/試訳を作成し、それからお二人の先生の邦訳を拝見させていただいて、その一部を私の訳に取り入れさせてもらいました。誠にありがとうございました。もしも誤訳があれば、それはすべて引用者である私の責任です。申し訳ございません。私の訳の方が若干くどい訳になっていると感じます。

*3:Kripke, p. 93.

*4:ここの訳文も引用者による私訳/試訳です。邦訳では、クリプキ、『名指しと必然性』、111ページ。訳文作成については、二つ前の註で述べたことが、ここでも当てはまります。私の訳は、お二人の先生方の訳よりも、かなりくどくて読みにくいかもしれません。

*5:そのページでは、決定論、自由意思の存否の問題が論じられています。