Who Was the First to Propose the Causal Theory of Names?

次の自伝を読んでいると、

  • Ruth Barcan Marcus  ''A Philosopher's Calling,'' in Michael Frauchiger ed., Modalities, Identity, Belief, and Moral Dilemmas: Themes from Barcan Marcus, Walter de Gruyter, Lauener Library of Analytical Philosophy Series, vol. 3, 2015*1,

「あっ、そうなんだ、それは知らなかったな」ということが書かれていました。例によって大そうなことではないのですが、個人的に意外に感じたことでしたので、瑣事に属しますが、以下にそのことを引用し、私訳/試訳を付けてみます。それはそんなに驚くべきほどのことではないのですが、時間が余って仕方がないという方は、この後続けてお読みになられてもよいかもしれません。しかし、退屈させてしまいましたらすみません。私訳/試訳に含まれているはずの誤訳、悪訳にもお詫び致します。私の訳は真剣に取らないようにお願い致します。特に以下ではキリスト教の儀式に関する話が出てくるのですが、その手のことに私はまったく無知ですので、その種の訳文においては誤訳している可能性がかなりあります。あるいは適切な訳とはなっていないところがあると思います。その場合には、どうもすみません。加えてこの日記項目の脚注はすべて日記筆者によるものです。

 An aside: The question which baffled Russell was how an ordinary proper name could retain its reference over time, where there is no direct access to the object named. [...] The first satisfactory answer to Russell's question was, to the extent that I can determine, that of Geach several years later in ''The Perils of Pauline,'' where he sets out the historical chain theory:

For the use of word as a proper name there must in the first instance be someone acquainted with the object named. But language is an institution ... and the use of a name for a given object ... like other features of language, can be handed down from one generation to another, ... . Plato knew Socrates, and Aristotle knew Plato, and Theophrastus knew Aristotle and so on in apostolic succession to our own time; that is why we can legitimately use 'Socrates' as a name the way we do.*2


 余談を一つ。Russell を悩ました疑問は、名付けられた対象に直接アクセスしていないにもかかわらず、日常の固有名が時代を越えてその指示を保ち得るのはいかにしてか、というものだった。[…] Russell の疑問に対する初めての満足いく答えとは、私が見出し得る限りでは、数年後の論文「Pauline の危機」における Geach の答えだった。その論文で彼は歴史的連鎖理論を提示している*3

語を固有名として使うためには、まず第一に、名付けられる対象を見知っている誰かがいなければならない。しかし言語は社会的慣習である。 ... そして当該の対象に対する名前の使用は ... 言語の他の特徴と同様に、ある世代から別の世代へと受け継がれ得る。Plato は Socrates を知っていた。次に Aristotle は Plato を知っていた。次に Theophrastus は Aristotle を知っていた*4、などなどというように、我々自身の時代まで国教会の使徒継承のごとく続いているのである。そのようなわけで、名前としての 'Socrates' を我々がしているような仕方で正当に使用することができるのである。

いわゆる指示の因果説を唱え出したのは Kripke さんだと私は思っていたのですが、Marcus 先生のお話によると、そうでもなくて、Geach さんということらしいです。これは知らなかったです。何だかちょっぴり意外な感じがしました。

Marcus 先生のお話によると、指示の因果説が初めて現れるのは Geach さんの論文 ''The Perils of Pauline'' とのことです。私はこの論文の名前は一応知っていました。というのも私は Geach さんの論文集 Logic Matters を持っていて、以前にその目次を見た時、''The Perils of Pauline'' という名前の論文があることに気が付き、「変った名前の論文だな、Pauline に何があったのだろう?」と思ったことがあったからです。しかし、そう思っただけで、論文を読んでみたことはありませんでした。そうして先日 Marcus 先生の上記の引用文中に ''The Perils of Pauline'' の名を見付けて、「あっ、あの論文のことか!?」と思い出しました。Marcus 先生はその Geach さんの論文から指示の因果説に該当している部分を引用されていますが、以下に Geach 論文から、特に深いいみもなく、その引用部分の前後をすべて引いてみることにします。そして私訳/試訳を付けてみることに致します。次の文献から引いてみます。

  • P. T. Geach  ''The Perils of Pauline,'' in his Logic Matters, University of California Press, 1980, this paper was first published in the journal Review of Metaphysics, vol. 23, no. 2[, 1969].

Geach 先生は1963年のある晩、女性の夢を見ました。その女性の名を 'Pauline' と言います。先生はこの名前が誰を/何を指しているのかを問題にします。この名前が指している可能性があるのは、たとえばただ一人の実在する女性であったり、亡くなってしまって今は実在しない一人の女性であったり、あるいは何人かの架空の女性などなどです。そこで先生はまずただ一人の実在する女性を先の名が指している場合を考えます。先生はこの場合を「A-1」と読んでおられます。それでは本文を引用致します。

 It might well seem as though my using ''Pauline'' as a name raised no difficulties in case A-1. But even for this case philosophers have had worries that would be relevant. John Austin seems to have held that naming is a momentous act, which not just anyone casually can perform; it would take the right person in the right circumstances using the right performative formula; and I am not at all sure that he would have counted me as a validly ordained namer, or my baptismal formula for Pauline as a valid sacramental form. Well anyhow, I claim the right to refer to any young lady of my acquaintance by the name ''Pauline'' for the course of this discussion; and I think the difference between such use of a name pro hac vice and the more official conferment of a name is only of legal or anthropological, not of logical, importance.
 Russell would say ''Pauline'' is not a real name for anybody not acquainted with the object named. I agree that the use of proper names has some dependence on being acquainted with the object named, so long as the acquaintance meant is the ordinary sort of acquaintance, say my acquaintance with Lukasiewicz or with Warsaw. What I take the dependence to be I shall say in a moment. But in Russell's sense of the word I can only be acquainted with, and therefore can only mention by name, objects that are present to me at the time of speaking, as Warsaw and Lukasiewicz are not. This view I reject. It is indeed essential to the role of a name that the name can be used in the presence of the object named as an acknowledgement of its presence. But equally essential to the name's role is its use to talk about the named object in absentia. We are not condemned to carry about with us sacks of objects to talk about, like the sages of Laputa.
 I do indeed think that for the use of a word as a proper name there must in the first instance be someone acquainted with the object named. But language is an institution, a tradition; and the use of a given name for a given object, like other features of language, can be handed on from one generation to another; the acquaintance required for the use of a proper name may be mediate, not immediate. Plato knew Socrates, and Aristotle knew Plato, and Theophrastus knew Aristotle, and so on in apostolic succession down to our own times; that is why we can legitimately use ''Socrates'' as a name the way we do. It is not our knowledge of this chain that validates our use, but the existence of such a chain; just as according to Catholic doctrine a man is a true bishop if there is in fact a chain of consecrations going back to the Apostles, not if we know that there is. When a serious doubt arises (as happens for a well-known use of the word ''Arthur'') whether the chain does reach right up to the object named, our right to use the name is questionable, just on that account. But a right may obtain even when it is open to question.


 A-1 の場合、私が 'Pauline' を名前として使っても、何ら問題が生じないように思われるかもしれない。しかしこの場合でさえ、哲学者たちは関連してくるかもしれないことについて心配してきた。命名は重大な行為であって、誰もが気楽に遂行できるものとは限らないと John Austin は考えたようである。その場合、命名は適切な行為遂行的規則を用いながら適切な状況で適切な人を必要とするだろうし、Austin は私が叙階式で名を授けるのに適切な者であると見なしたのかどうか、私には少しも確信が持てない。あるいは Pauline に洗礼名を授ける私の手続きが秘跡の手続きとして適切であると彼が見なしたのかどうか、これについても少しも確信が持てない。いずれにせよ、ここで議論しているあいだは、名前 'Pauline' によって、私の見知っている誰か若い女を指す権利が私にはあることを皆さんに求める。そしてその場に応じて名前を使うことと、もっと公式の名前を付与することとの違いは、法的または人類学的にだけ重要性を持つが、論理的には重要性を持たないと私は考える。
 名付けられた対象を見知っていない人にとっては誰であれ、 'Pauline' は本当の名前ではないと Russell は言うだろう。固有名の使用は、名付けられた対象を見知っていることに何らかの形で依存するが、このことに私は同意する。そこでいみされている見知りが、たとえば私が Lukasiewicz または Warsaw を見知っているというような*5、通常の類いの見知りである限りはそうである。依存するということで私が何を解しているのかについては、すぐ後で言おう。しかしその言葉の Russell のいみでは、私が見知ることができるのは、それ故、名前によって言及することができるのは、私が話している時に私の目の前にある諸対象だけであり、しかしながらその時には、Warsaw と Lukasiewicz は見知りの対象ではないことになる*6。この説を私は拒否する。名付けられる対象を前にし、その対象の存在の承認を前提として、その名前を使うことができるのだ、ということは、確かに名前の持つ役割として本質的である。が、しかし、同じく名前の役割にとって本質的なのは、名付けられた対象が不在の時にも、その対象について語るために使われるのだ、ということである。Laputa の賢人たちのように、語るべき諸対象を大きな袋に詰めて持って回ることを我々は強いられはしないのである*7
 確かに思うに、語を固有名として使うためには、まず第一に、名付けられた対象を見知っている誰かがいなければならない。しかし言語は社会的慣習であり、伝統である。だから当該の対象に対する当該の名前を使うということは、言語の他の特徴と同様に、一つの世代から別の世代へと受け継がれていくことができるのである。固有名を使用するために見知っていることが必要だという場合、それは媒介的なものであって、無媒介なものではなかろう。Plato は Socrates を知っていた。次に Aristotle は Plato を知っていた。次に Theophrastus は Aristotle を知っていた、などなどと国教会の使徒継承のごとく続いて行って我々自身の時代へと至るのである。そのようなわけで、私たちは 'Socrates' を名前として私たちがするような仕方で正当に使うことができるのである。私たちが名前を使うのを妥当とするのは、この継承の連鎖を私たちが詳細に知っているからではなく、そのような連鎖があるということによってである。カトリックの教義によると、使徒たちに遡る叙階の連鎖が実際にあるならば、それがあることを詳細に私たちが知らずとも、人は真の司祭であるとされているのとちょうど同じである。その連鎖が名付けられた対象にまで確かに達するのかどうか、深刻な疑念が生じる場合 (語 'Arthur' のよく知られた使用に対して時に生じるように)*8, その名前を使う私たちの権利には、まさに今の説明に基づいて、疑問の余地が出てくることになる。しかしたとえ疑問が投げかけられるにしても、権利はあり得るのである。

さて、初めの方に上げた Marcus 先生の文と、Geach 先生の長い引用文とを見比べると、Geach 先生による文の最終段落の一部分を Marcus 先生は引用されていたことがわかります。しかし、Marcus 先生が引用されておられる Geach 先生の文と、Geach 先生の原文とは、微妙に違いますね。まぁ、いいんですけど。

いわゆる指示の因果説は、とてもわかりやすい教説ですが、しかしわかりやすくはあっても、何だか腑に落ちない気分のする教説だと私は感じます。それはそもそも命名するということはどのようなことなのか、あるいはそもそも言葉で何かを指すということは、一体どういうことなのか、ということが明らかにされない限り、洗礼名を授けた後にいくら名前の受け渡しの連鎖を続けてみても、固有名が何かを指すということを理解したことにはならないからかもしれません。

私には過去に実在した人物に対する固有名、たとえば 'Aristotle' がなぜ Aristotle を指すことができているのかよりも、今、実在している人物や物に対する固有名、たとえば「富士山」がなぜ富士山を指すことができているのかさえ、よく理解できていません。なぜ私たちは固有名と呼ばれる言語表現で互いに意図する対象を指すことができ、滞りなく意思疎通を図ることができているのか、私にはまだわかりません。

そもそもの命名儀式において言語表現により何かを指すことができるのはなぜなのか、ということが私にはまだうまく理解できていないので、命名儀式後の名前の受け渡しという行為には、意識が行かないでいます。固有名の受け渡しという行為の前の段階で理解が stop してしまっているのです。そのため指示の因果説が、固有名のいみを記述 (の束) とする説の代替案として理解することはできても、意思疎通に必要な、固有名のいみが何であるかを私は十分に理解できていないため、指示の因果説を聞いても、何か腑に落ちない、落ち着きの悪い状態にとどまってしまっているようです。

ところで私たちは固有名だけを、世代を通じて引き渡し、受け継いでいくのでしょうか。一般名や述語はどうなのでしょうか。形容詞や副詞はどうなのでしょうか。助詞や前置詞はどうなのでしょうか。固有名以外の述語や副詞や助詞も引き継いでいるとするならば、そこで引き継いでいるのは何なのでしょうか。固有名だけ、何か特別なものを引き継いでいるのでしょうか。それとも固有名は特別なものではなく、たとえば副詞も固有名と同様の何かを引き継いでいるのでしょうか。もしも固有名以外の品詞に属する言語表現も、固有名と同様の何かを引き継いでいるのなら、固有名に関する教説である指示の因果説は、他の品詞の因果説へと一般化可能でしょうか。それとも他の品詞の因果説は誤った説でしょうか。だとすれば、なぜそれは誤った説と言えるのでしょうか。などなどと、疑問が次々取り留めもなく湧き上がってきますが、本当に取り留めもないので、ここでもうやめておきます。

指示の因果説の問題点をわかりやすく列挙して説明している日本語の文献には

がありますので、気になる方は参照してみてください。


本日の日記では多数の誤訳、悪訳や、激しい勘違い、誤解、無理解が見られると思います。近頃疲れていますが、誤訳を減らし、無理解を理解へと転ずるため、少しずつでも勉強を続けていきたいと思います。どうかお許しください。

*1:調べてみると、Marcus さんのこの文献は、net 上において、誰でも無料で閲覧し、down load することができるようになっています。Word で文書化されています。次をご覧ください。Ruth Barcan Marcus, ''A Philosopher's Calling,'' Dewey Lecture 2010, in: Leiter Reports: A Philosophy Blog, Posted by Brian Leiter on September 17, 2010, <http://leiterreports.typepad.com/files/final_rbm-dewey-lecture.doc>. Modalities, Identity, Belief, and Moral Dilemmas の ''A Philosopher's Calling'' と net 上の Word の ''A Philosopher's Calling'' が、一字一句同じなのかどうかは確認しておりません。

*2:Barcan Marcus, 2015, pp. 30-31.

*3:Marcus 先生のこの余談は、先生の1961年頃の話の中で出てきます。ですからすぐ前に書いてある「数年後」とは、1961年の数年後、ということです。実際に Geach 先生の問題の論文が刊行されたのは1969年のことのようです。しかし先生の固有名に関する「歴史的連鎖理論」が世に発表されたのは、1962年8月の Finland は Helsinki における様相論理と多値論理に関する Colloquium においてだったみたいです。See Michael Frauchiger, ''Interview with Ruth Barcan Marcus,'' in his ed., Modalities, Identity, Belief, and Moral Dilemmas: Themes from Barcan Marcus, Walter de Gruyter, 2015, p. 159.

*4:蛇足ですが、Socrates の弟子が Plato で、Plato の弟子が Aristotle で、Aristotle の弟子または同僚が Theophrastus でした。

*5:Peter Geach, ''A Philosophical Autobiography,'' in Harry A. Lewis ed., Peter Geach: Philosophical Encounters, Kluwer Academic Publishers, Synthese Library, vol. 213, 1991 を見ると、Geach 先生は1963年に初めて Poland を訪れておられます。それ以来、'I come to Poland as often as I can' だそうです。The University of Warsaw で Visiting Professor をされてきたみたいです。See ''Autobiography,'' pp. 22-23. 二つ前の註をご覧いただきますと、論文 ''The Perils of Pauline'' は1962年ぐらいから1969年までの間に執筆されているらしいことが推測できますので、たぶんこの Pauline 論文を書かれている頃には Geach 先生は Warsaw を見知っていたことと思われます。しかし、Lukasiewicz に対しても Geach さんは見知っておられたのかどうかは、私はわかりません。''Autobiography'' には Lukasiewicz の名前は出てこないようです。そもそも、Geach 先生は Poland の人に多大な恩恵を被っておられるようなので(と言いますか、そもそものそもそもからして、Geach 先生のお母さんは Poland からの移民であった両親の娘であり、母方のルーツが Poland にあるので、自分が生まれてこの世にいることができるのも、Poland があり、Poland の人がいたおかげでした。See ''Autobiography,'' p. 1)、公平を期し、恩義を感じている方の名前を逸することのないよう、本当に特別な Poland の人の名前しか、上記自伝中で上げておられません。そのため、Geach 先生が Lukasiewicz さんにお会いしたことがあるのかどうかは、自伝からはわかりませんでした。ただ、Lukasiewicz さんは1945年から亡くなる1956年まで Ireland の the University of Dublin に所属されておられたようですから(高松鶴吉、「日本語版・訳者後記」、ヤン・ウカシェーヴィチ、『数理論理学原論』、高松鶴吉訳、文化書房博文社、1992年、224ページ)、お二人はお会いしていたかもしれません。あるいはどこかの国際学会でお会いしていたかもしれませんが、私は未確認です。なお、Geach 先生の ''Autobiography'' については、その内容の簡単な要約が日本語により、以下の文献中で読むことができます。野本和幸、「訳者解説」、G. E. M. アンスコム、P. T. ギーチ、『哲学の三人 アリストテレス・トマス・フレーゲ』、野本和幸、藤澤郁夫訳、双書プロブレーマタ II-6, 勁草書房、300-303ページ。

*6:なぜなら Geach 先生は Pauline 論文を書いている時には、Warsaw にいるのではなく、この時期に先生が所属されていた Birmingham 大学か Leeds 大学におられたと思いますので(''Autobiography,'' pp. 19-22)、執筆時には Warsaw を先生は見知っていることにはならないからです。また、1956年に Lukasiewicz は亡くなっていますので、執筆時の '60年代には先生は Lukasiewicz を見知ることができないからです。

*7:Laputa とは Jonathan Swift の Gulliver's Travels に出てくる空飛ぶ島のことです。そこでこの旅行記の Laputa の話の部分を調べてみたのですが、大きな袋を持った二人の賢人の話は出てこないように見えます。ところで Laputa は自身の領土である Balnibarbi という島の上を飛んでいます。そこで Laputa の話の次に出てくる Balnibarbi の話の部分を調べると、問題の二人の賢人らしい人物の出来事が語られています。Balnibarbi では突拍子もない事柄が盛んに研究されていました。そんな研究の一つに「あらゆる単語を完全に廃止する」とどうなるか、というものがありました。人間はしゃべるごとに肺を消耗し、その結果、命を縮めていくことになるので、いっそのこと単語を捨て去った方がいいのではないか、と考えられました。それに単語を廃止しても、そもそも単語は何らかの物を表す名前にすぎないと思われるので、名前の代わりに物を携えておいて、その物について何か話すことがあれば、その物の名前ではなく、その物自身を差し出して意思疎通した方が得策だと思われたのです。実際、この方法を実践してみせる賢人がいました。Balnibarbi では背中の袋に物をいっぱい詰めすぎて倒れそうな二人の碩学が道端で出会い、荷物を下ろして袋を開け、物を介して話をし、それが終わると互いに助け合いながら大きな荷物を担ぎ上げ、「はい左様なら」と言って別れていく光景が見られるのだそうです。次を参照ください。スウィフト、『ガリヴァー旅行記』、平井正穂訳、岩波文庫岩波書店、1980年、255-257ページ。Geach 先生の Laputa の賢人とは Balnibarbi のこの二人の賢人ことだと思われます。物質としての物を現に手に持っていなければ意思疎通をしないというのは馬鹿げた話であるのと同様に、目の前に見える物の名前しか使ってはならないというのもまた馬鹿げた話だ、というのが Geach 先生の主張のようです。

*8:Arthur とは、「ブリトン人の伝説的な王」。「600年前後にしばしばサクソン人を撃退したブリトン人 (ケルト系) の将軍が、ウェールズ・コーンワル・アイルランドブルターニュなどに追われたケルト人の英雄待望の気分のなかで、強大な英雄王に観念的に昇華された姿と考えられる」。三省堂編修所編、『コンサイス外国人名事典 改訂版』、三省堂、1985年、10ページ。