If Someone Lacked the Ability to Follow the Rule of Universal Instantiation, Could He or She Adopt the Rule?

今日は推論規則について、一つ確認してみます。後日、もう一つ、推論規則について確認してみる予定です。ただし、予定しているだけで、その予定が実行できるかどうかは、今の段階では未定です。とりあえず、本日確認してみたいことを記してみます。


ごく基本的な推論規則は、それを持っていない人にその規則を示しても、その人はその規則を採用できない、という主張があります。 この主張は、全称例化という基本的な推論規則を例に取り、立証がなされているとの話です (全称例化については後述)。この主張とその立証は、Saul Kripke 先生によるものだそうです。このことは、今、私が読んでいる次の二つの文献に書かれています。

ちなみに、飯田先生の文献は既に読んでいましたが、改めて一部を読み返しています。

Padro 先生の文献は、まだすべてを読んだわけではありません。読んだのは (Chapter 1 の Intro. を飛ばして) Chapter 2 と Chapter 3 であり、現在 Chapter 4 に取りかかっているところです。

では、Kripke 先生は先の主張をどのように立証されているのでしょうか。本日確認したいのはこのことです。そこでこのことを、飯田先生の上記文献から引用することで見てみましょう (Padro 論文で該当する個所は、pp. 31-35, およびその p. 35 の footnote 49)。

全称例化をしたことのないひとに、そうするように教えることはできるか


 [基本的な推論規則は採用できないということを立証するために] クリプキが例にとるのは、全称例化、つまり、「F はみんな G である」から、「この F も G である」が導かれるという論理法則である。
 もしもクワインのような見方を取って、全称例化を採用することも拒否することも可能だと考えるのならば、全称例化を採用していない人物を考えることができるはずである。
 田中さんが、そうした人物だとしよう。田中さんは、全称例化という形の推論をこれまでいっさいしたことがない。田中さんはとても素直なひとなので、「どのカラスも黒い」と教えてあげると、それをそのまま信じてくれる。いま、田中さんには見えないところにカラスが一羽いる。田中さんはとても素直なひとであるけれども、先に述べたように、全称例化ということをこれまで一度もしていないし、教わってもいないので、「カラスはみんな黒い」と信じるならば、「そのカラスも黒い」と信じなければならないとは考えない。クリプキによれば、この続きはこうなる (一九七四年にピッツバーグ大学で行われた「論理は経験的か?」という講演に、こうしたやり取りがあると言うが、以下のようにアレンジしたのは私の責任である)。


 わからないんだね。じゃ教えてあげよう。どの一般命題からも、その個別例が出て来るんだよ。

田中さん そうなのか。きみの言うことを信じるよ。

 ほら、「カラスはみんな黒い」は一般命題で、「そのカラスも黒い」はその個別例だ。

田中さん たしかにそうだ。

 どの一般命題からも、その個別例が出て来る。だから、「カラスはみんな黒い」という、この特定の一般命題から、「そのカラスも黒い」という、この特定の個別例が出て来る。

田中さん うむ、そうだろうか、なぜ「だから」と言えるのか、まだ納得できないな。


「どの一般命題からも、その個別例が出て来る」と教えられても、これ自体が一般命題である以上、それを「カラスはみんな黒い」や「そのカラスも黒い」といった具体例に適用するためには、まさに全称例化という形の推論を行わなければならないが、それができない田中さんには、そうすることができない。よって、これまで全称例化を用いていなかった田中さんが、ひとに教えられて全称例化を新たに採用するということは不可能である。*1


ここでの論証は一部省略されていますので、改めてその論証を補足しながら論の運びを丁寧に追い、全称例化の規則を元々持たない人にその規則を示しても、その人はその規則を採用できないということを、確認してみましょう。

なお、私の記述に間違いが含まれていましたらすみません。平易に、丁寧に、記述したつもりですので、間違いが含まれていましたら、すぐに気付いていただけると思います。いずれにせよ、含まれているかもしれない間違いに、前もってお詫び致します。


さて、田中さんは全称例化ができません。それが何であるか知らないし、わかりません。

全称例化とは、例えば、


   すべてのカラスは黒い。


から、


   故に、このカラスも黒い。


と推論することです。

全称とは、簡単には「すべての〜」という表現のことであり、例化とは、この場合、簡単にはすべてのもののうちの、どれか特定のものを表すことを言いますが、田中さんはこの上の推論ができません。この推論を生まれてから一度もやったことがありません。教わってもいません。

田中さんはカラスを知らないとしましょう。そんな田中さんに「すべてのカラスは黒いんだよ」と教え、同意してもらった後に、中の見えない箱に一羽カラスを入れ、それを彼に差し出しながら「この中に一羽カラスが入っているけど、そのカラスは黒いだろうか?」と尋ねてみます。普通なら「黒い」という答えが返ってきますが、全称例化ができない田中さんは「わからない」としか答えられません。

ところで、「すべてのカラスは黒い」は「何であれそれがカラスならば、それは黒い」という意味を持っています。この後者の文の「何であれ」を記号 ∀ で表し、「それ」を x で、カラスを F で、「ならば」を矢印で、「黒い」を G で表すならば、「すべてのカラスは黒い」は以下のように書けます。


   1. ∀x(Fx → Gx).


この時、1. の式の全称例化とは、1. から次の式 2. を引き出すことです。つまり、特定の何らかのもの a について、


   2. Fa → Ga,


です*2。これは「a がカラスならば、a は黒い」を意味します。田中さんは全称例化ができない、ということは、この 1. から 2. へと推論を進めることができない、ということです。


ここで、もしも箱の中のカラスの名前が a だとするならば、a はカラスなので、


   3. Fa,


と言うことがでます。これは「(箱の中の) a はカラスである」を意味します。さらに田中さんとは違い、全称例化ができるならば、1. から 2. へと推論を進め、続いて 2. と 3. とを合わせて (Modus Ponens という推論規則を使い*3 ) 次の 4. を引き出すことができます。


   4. Ga.


これは「(箱の中の) a は黒い」ということを表しています。結局、4. によって (箱の中の) この特定のカラスも黒いということが結論できたことになります。こうして全称例化ができれば、「すべてのカラスは黒い」から「このカラスも黒い」というように推論でき、つまるところ、全称表現を持った文 (全称文と言うことにしよう) から、その個別例を含んだ文を引き出すことができる、というわけです。

しかし、上のようにして私達は 4. まで推論を進めることができたものの、田中さんはそもそも全称例化ができないから、上の 1. から 2. へと進むことができないので、4. にまで至り着かず、特定のカラスが黒いことを、引き出すことができないのです。


田中さんが全称例化を知らず、できないないのならば、それが何であるかを伝えれば、その規則を採用し、全称文から個別例を引き出してくれるかもしれません。そこで、田中さんにその規則を教えてあげることにしましょう。次のように田中さんに話しかけてみます。


   「すべての全称文は、その個別例を持つんだよ。「すべてのカラスは黒い」は全称文だよね。だからこの文からその個別例「このカラスも黒い」が出るんだ。」


しかし、田中さんは「わからない」と言います。それもそのはずです。理由は次の通りです。

直前の発言の「すべての全称文は、その個別例を持つ」は「何であれそれが全称文ならば、それは個別例を持つ」ということを意味しています。これを先ほどと同じような感じで記号の式に直せば、以下のようになります。H は全称文であることを、I は個別例を持つことを表します。


   5. ∀x(Hx → Ix).


今、文「すべてのカラスは黒い」の名前を b とすれば、b は全称文なので、次が成り立ちます。


   6. Hb.


これは「b は全称文である」ということを言っています。

そして、全称例化ができる人ならば、その全称例化を使って 5. から


   7. Hb → Ib,


を引き出すことができて (「b が全称文ならば、b は個別例を持つ」)、6. と 7. とで (Modus Ponens を使い)


   8. Ib,


を引き出すことができます。この式の意味は「b, すなわち文「すべてのカラスは黒い」は、個別例を持つ」です。

するとここから個別例「このカラスも黒い」を結論してよいことになります。なぜなら 8. が言えるので b には個別例があるはずであり、実際先ほど行なった 1. 「すべてのカラスは黒い」(=b) から 4. 「このカラスも黒い」への導出過程をここで再び繰り返せば、個別例「このカラスも黒い」が出るからです。

だが、田中さんは、このように結論することができません。そもそも 5. から7. へと全称例化ができないから、8. へと到達できないのです。だから、全称例化を知らず、わからず、身につけていない田中さんに全称例化の規則を示しても、田中さんはどうにもできません。全称例化の規則を特定の全称文に適用し、そこからその全称文の個別例を引き出そうとしても、全称例化の規則を上記の a であれ b であれ、どんな個別例にも適用できないので、立ち往生してしまうのです。


どうやら全称例化という推論規則は、それを身に付けていない人に、その規則を単に差し出すだけでは採用できないもののようです。実は私はまだちょっと信じられないのですが、全称例化という規則は、それを身に付けていない人に、ただ示し、読んで内容を一通り理解してもらうだけでは採用できたとは言えないものみたいです。

ところで知識には、事実がどうなっているのかを述べているものと、何かをするにはどうすればいいのかを述べているものがあるようです。前者の知識は「命題知 (propositional knowledge/knowledge-that)」と呼ばれ、後者の知識は「技能知 (procedual knowledge/Knowledge-how)」と呼ばれています。飯田先生の話によると、全称例化のような基本的な推論規則についての知識は技能知だとのことです (飯田、188-192, 206ページ)。

命題知の典型例は「富士山は日本一高い山である」のようなものです。技能知の典型例は「短距離をクロールで泳ぐ際には、腕を I 字でかいた方が S 字でかいた方よりも速く泳げる」のようなものです*4。前者の知識は、富士山、日本、一番、高い、山のそれぞれがわかれば (その他の文法知識と合わせて) 一応わかったと言えるものであり、富士山に登らなければそれをわかったことにはならない、などとは言えませんが、後者の知識は、短距離、クロール、腕、かく、I 字、S 字、速い、泳ぐなどがわかっただけでは (その他の文法知識がわかっていたとしても)、きちんとわかっていることにはならず、それがちゃんとわかっていると言えるのは、実際にそのように泳ぐことができた時だろうと思われます (ゆっくりとしか泳げなかったとしても)。あるいは、泳げない人は畳の上でその真似をできた時だと考えられます。

もしも全称例化のような基本的な推論規則の知識が命題知ではなく、技能知であるとするならば、全称例化を命題知としては採用できないとしても、技能知としてならば採用できるのでしょうか。今の私にはわかりません。とても興味深い問題ですが、本日確認すべきことは一応確認しましたので、今日はこのあたりで話を終えることにします。次回は本日の続きで、もう一つ確認したいことがあります。その内容をこの日記に up できるかどうかは、まだ不確定ですが。


本日の記述に間違いがありましたら謝ります。申し訳ありません。勉強し直します。

*1:飯田、203-206ページ。

*2:全称例化については、論理学の教科書を参照。比較的著名な教科書から、その規則が載っている個所を記しておけば、前原昭二、『記号論理入門』、日本評論社、1967年、46-48ページ、清水義夫、『記号論理学』、東京大学出版会1984年、57-58, 95ページ、戸田山和久、『論理学をつくる』、名古屋大学出版会、2000年、129-130, 236ページ。

*3:Modus Ponens については、前原、37-38, 40-41ページ, 清水、28, 94ページ、戸田山、63, 219ページ。

*4:これは事実のようです。研究結果で示されているみたいです。高木英樹、中島求、「S 字ストロークか? I 字ストロークか? 最適クロール泳法のメカニズムを解明」、筑波大学東京工業大学共同研究、2016年、<http://www.tsukuba.ac.jp/wp-content/uploads/160112takagi1.pdf>.