If Someone Lacked the Ability to Follow the Rule of Modus Ponens, Could He or She Adopt the Rule?

前回は、全称例化という推論規則*1が、それを知らない、わからない、身に付けていない人に、ただ示して教えるだけでは、わかってもらえない、その規則を採用してもらえないということを、飯田先生、Padro 先生の文献から学びました。

今回は、やはりお二人の先生の文献から、Modus Ponens という推論規則も (後述)、全称例化と同様にしては採用できないことを確認してみたいと思います。前回同様、次の文献を参考にさせてもらいます*2

お二人の先生は、Saul Kripke 先生の主張に基づき、Modus Ponens が、それを身に付けていない人には採用できないものであると述べておられます*3。しかしどうして採用できないのかについては、詳細には説明されていません (Padro 先生は、若干されていますが)。全称例化を採用できないという論証を見れば、Modus Ponens も採用できないことは、自ずとわかるだろうということで、Modus Ponens が採用できない理由を詳しくは記しておられないのだと思われます。

そこで今回、私の方で Modus Ponens が採用できない理由を、少しばかり丁寧に記してみたいと思います。

なお、例によって、私の記述に間違いがあれば大変すみません。平易に説明したつもりですので、間違いがあれば、見つけやすいと思います。あらかじめ、私のなしているかもしれない間違いにお詫び致します。


さて、前回も登場した田中さんですが、この田中さんは、次の二つの前提

    • 明日雨ならば試合は中止である。
    • 明日は雨である。


から、以下の結論、

    • 故に、試合は中止である。


を引き出すことができないとします。

ところで、今の二つの前提から、その結論を引き出すために必要な推論規則は、次のものです。

    • 条件文があり、かつその条件文の前件がある。故に、その条件文の後件を引き出してよい。


または、

    • 条件文があり、かつその条件文の前件があれば、その条件文の後件を引き出してよい。


この推論規則を Modus Ponens (MP) と言います*4。前者は論証の形をした MP であり、後者は文の形をした MP です。

Modus Ponens が採用できるものならば、元々それを採用していない人、元からその推論規則を持っていないし、知らないし、身に付けてもいないし、使ったこともない人を考えることができるはずです。このような人物として田中さんを考えます。したがって田中さんは、Modus Ponens を使うことができません*5


それならば、田中さんにこの規則を教えてあげれば、「試合は中止である」という先の結論を引き出してくれるかもしれません。そこで田中さんに、以下のようにこの規則を教えてあげることにします。

 条件文があり、かつその条件文の前件があるならば、その条件文の後件を引き出していいんだよ、田中さん。「明日雨ならば試合は中止である」は条件文で、「明日は雨である」はその前件だよね。だから、その後件「試合は中止である」を引き出していいんだよ。


しかし田中さんにはわかりません。その理由を以下に記してみます。


私が田中さんに話したことの骨格を抽出して示すならば、私の話には次の三つの段階があることがわかります。


(1) Modus Ponens の規則:

    • 条件文があり、かつその前件があるならば、その後件を引き出してよい。


(2)

    • ここに条件文とその前件がある。


(3)

    • 故に、その後件を引き出してよい。


この骨格中では「明日雨ならば ... 」云々という具体的な文を捨象しています。

これら (1) から (3) をよく見ると、(1), (2) 自身が条件文とその前件になっており、(3) が (1) の後件であって、ここでは Modus Ponens と同じ形をした規則を使って、(1), (2) から (3) を導いていることに気が付きます。(特に、論証の形をした MP を使っています。)


この骨格に若干補足を入れながら、もう少し正確に書き直してみます。


[1] Modus Ponens の規則 MP:

    • 何であれ、条件文 Φ → Ψ があり、かつその前件 Φ があるならば、その後件 Ψ を引き出してよい。*6


この [1] は「何であれ」という、すべてのことを表す表現を含んでいます。そこで [1] に対し、全称例化を施し、[1] からその個別例を導くなら、


[2]

    • 条件文 p → q があり、かつその前件 p があるならば、その後件 q を引き出してよい。


そして、

[3]

    • 条件文 p → q があり、かつその前件 p がある。


[4]

    • 故に、その後件 q を引き出してよい。


上の p を「明日は雨である」で、q を「試合は中止である」で置き換えれば、私の田中さんに対する (少し詳しくした) 説明になります。

この補足された骨格をよく見てみると、やはり [2], [3] 自身が条件文とその前件であり、[4] が [2] の後件になっています。そして [2], [3] から [4] を導く際に、[1] の MP と同じ形をした規則を当てはめて使っていることに気が付きます。(やはりここでも論証の形をした MP を使っています。)

以上からわかることは、次のことです。そもそも田中さんは MP を使えずに困っていたのですが、それにもかかわらず、私は MP と同じ形をした規則を使って田中さんに結論を引き出すよう迫っていた、ということです。しかし、それでは上手くいくはずがありません。案の定、田中さんは私の説明がわからないと言います。それもそうでしょう。

今のことを少し言い換えると、MP に見られるパターンがわからない、使えない田中さんに、私は MP と同じパターンの推論を行いながら、田中さんに結論を引き出すよう促していた、ということです。

もっと簡単に言えば、MP を知らない、わからない人に、MP でもって MP を説明している、ということです。まったく知らない外国語の文法規則を、そのまったく知らない外国語で説明されても意味不明、というのと同じようなことです。

こうして MP をまったく知らない、わからない、身に付けていない、使ったこともない人に MP を教えることは、(おそらく) できないと思われます。少なくとも、MP を命題知としては、教えられそうもありません*7。ちょっと私にはまだ信じられないのですが…。


以上が、Modus Ponens を採用できないとする決定的な証明になっているのか、私にはまだわかりません。田中さんに対する私の説明を別のものに変えればよいかもしれません。しかし、たぶんですが、別の説明も本質的には今回田中さんに行なったのと、同様のものになるのではないかと推測されます。

それ以外にも、上記の「証明」なるものに対し、すぐさま思い付く疑問を少し上げれば、そもそも推論規則を採用するとはどのようなことなのか、まだ詳しく明らかにされていません。それに、今しがた命題知について触れましたが、それと対になっている技能知が、ともに正確には何であるのか、これも明らかにされていません*8。この他にも色々と考えなければならないことがあります。そのため、上の話が決定的証明だとは、私は主張しません。ただし、Modus Ponens は採用できないとする有力な主張の核になるアイデアは、示されていると思うのですが。


最後に補足を一つ。

本日の話の最初に記した飯田先生、Padro 先生の文献とは別に、本日の話を理解する上で参考になるその他の文献とその該当ページを記しておきます。

  • 飯田隆  『言語哲学大全 II 意味と様相 (上) 』、勁草書房、1989年、154-164ページ、
  • 古田智久  「書評論文 飯田隆著 『言語哲学大全』 II巻・III巻」、『科学哲学』、第41巻、第1号、2008年、105-107ページ、
  • W. V. O. クワイン  「規約による真理 III」、『精神科学』、古田智久訳、日本大学哲学研究室編、第48号、2010年、126-134ページ、訳注 (v), 特に128-134ページ。

これらの文献の該当ページで説明されているのは、論理的真理のすべてを規約 (= 約束、取り決め) から証明する試みは、無限後退に陥ってうまくいかない、という例の話です。

この話の要点を、私達の話題に絡んでくる限りで、上記飯田先生ご高著該当個所により、大まかに短く述べます。(詳細は、直前の飯田文献該当個所を参照ください。でないと、よくわからないと思います。)

論理的真理の規約説によると、すべての論理的真理*9は規約によって真です。特に、「太郎の所持金は五千円以上であるか、あるいは、太郎の所持金は五千円以上ではない」のような個別的な論理的真理はすべて、規約から証明されることで、その真理が保証されます。よってその保証のためには、個別的な論理的真理はどれも規約から証明されねばなりません。ところで、「123123は3でも7でも割り切れる。故に123123は7で割り切れる」のような個別の妥当な論証*10もすべて個別的な論理的真理です。と言うのも、妥当な論証はどれも、その論証の前提の連言を前件に取り、その論証の結論を後件に取る条件文でもあり、この時この条件文は必ず論理的真理となるからです。今も述べたように、個別的な論理的真理はすべて規約から証明されなければなりませんから、個別の妥当な論証もすべて規約から証明されなければなりません。

そこで、そのことをある妥当な論証 (%) について証明するならば、それは一つの個別的な、妥当性を持った論証となります。するとこの妥当な論証も個別的な論理的真理ですから、この論証は規約から証明されなければなりません。

そこで、そのことをこの妥当な論証について証明するならば、それも一つの個別的な、妥当性を持った論証 (%%) となります。するとこの妥当な論証も個別的な論理的真理ですから、この論証も規約から証明されなければならないことになって、以下、(%%%), (%%%%), ..., のように証明が無限に後退して行きます。こうして論理的真理の規約説は、うまくいかないと言われます。

私による田中さんへの話は、この無限後退と似ているのですが、どの点が似ているのかと言うと、無限後退の列を構成している各論証 (%), (%%), ..., をそれぞれ遂行する際に、Modus Ponens に相当する規則 (#) を毎回使っている点です。相違点はと言うと、私の田中さんへの話は無限後退を含まず、1回だけの後退を含んでいるという点、つまり無限後退を1回だけの後退に制限している、その特殊例になっている、という点です。

このようなわけで、この無限後退の話は、上で私が田中さんにした話を理解する上で、参考になると思います。


次回は、可能ならば、Modus Ponens が採用できない推論規則であるとするならば、研究上、どのような影響が出るのか、そのことに軽く触れてみたいと思います。ひょっとしてひょっとすると、結構な影響が出るのではないかとも感じられます。
また、研究上の影響ばかりではなく、そもそも、ものを考えるとはどのようなことなのか、理性とは一体何なのか、という問いに対する答えも、変ってくるかもしれません。私には、こんなでっかい問題には何も答えられないでしょうけれど…。いずれにせよこの話は「可能ならば」しますということなので、次回にその話が本当にできるのか、今のところ保証できません。ちょっと自信がありません。何も用意ができていません。できない可能性の方が高いみたいに感じます。できなかった場合は、どうもすみません。先に謝っておきます。
加えて本日の日記に間違い、誤字、脱字などが含まれていましたらすみません。こちらも謝っておきます。

*1:この規則については、前回の日記を参照ください。

*2:飯田先生の下記のご高著はすべて読みましたが、Padro 先生の論文は、今のところ Chapters 2 and 3 と Chapter 4 の一部を拝読させてもらっただけです。

*3:飯田、207ページ、Padro, e.g., p. 36, and related issues, see Padro, p. 43, note 56, pp. 90-91, 99-100, and p. 100, note 117.

*4:Modus Ponens については、前回参照をお願いしたのと同じ文献の同じ個所を、ここに記しておきます。前原昭二、『記号論理入門』、日本評論社、1967年、37-38, 40-41ページ, 清水義夫、『記号論理学』、東京大学出版会1984年、28, 94ページ、戸田山和久、『論理学をつくる』、名古屋大学出版会、2000年、63, 219ページ。

*5:このような人物がいるとは考えにくいですが、今ここで問題にしているのは現実的な可能性ではなく、論理的な可能性です。論理的には田中さんのような人物はたぶん存在し得ると思います。そのような人物を想像しにくいのでしたら、次のように考えてみるといいです。推論規則 MP が理解できない人物は想像しにくいとしても、数学的帰納法背理法/帰謬法をうまく理解できない中高生を想像することは、たやすいのではないでしょうか。数学的帰納法背理法を理解できない人がいるとするならば、MP を理解していない人がいたとしても、そのような人の数は極度に少ないかもしれませんが、想像できなくはないでしょう。あるいはこれとは別に、後件肯定の虚偽を人々がしばしば犯すことを思い出してみればいいです。この虚偽を犯してしまうということは、条件法をきちんと理解していないということを表しています。もしも条件法をきちんと理解していない人がいるならば、その人は、同じ条件法を含んでいる推論規則 MP も実はきちんと理解していないと疑われることになるでしょう。これで幾分なりとも田中さんのような人物の存在に、想像をはせることができるでしょうか。いずれにせよ、論理的可能性のみが今の問題なので、これ以上、田中さんを想像できるかどうかに関しては、問わないことにしましょう。

*6:Φ と Ψ はギリシャ文字で、それぞれファイ、プサイと読みます、念のため。

*7:命題知のごく簡単な説明については、前回の日記を参照ください。

*8:技能知についても前回の日記を参照ください。

*9:論理的真理については、論理学の教科書をご覧ください。

*10:妥当な論証についても、論理学の教科書をご覧ください。