目次
- 0. はじめに
- 1. Ex Contradictione Quodlibet
- 2. Abelard's Embarrassing Argument from Opposites: The Inference Rules.
- 3. Abelard's Embarrassing Argument from Opposites: The Argument.
- 4. Alberic's Counterargument
- 5. The Proof of Ex Contradictione Quodlibet in the Middle Ages
- 6. まとめ
- 7. 補足
- 8. 付録
0. はじめに
今日は、Ex Contradictione Quodlibet (ECQ) という推論規則の証明の歴史について書きます。
ECQ の簡単な説明の後、これに関連した Abelard のある論証 (A1) を説明し、次にこの論証に対し、Alberic of Paris という人が反論した論証 (AP) を述べ、最後に中世における ECQ の証明とされているもの (WS) を示します。つまり、(A1) → (AP) → (WS) という流れです。
1. Ex Contradictione Quodlibet
矛盾した文から、どんな文でも証明できることは、よく知られていると思います。たとえば矛盾した文「太郎は天才であり、かつ天才でない」があれば、そこから次のような文「花子は百万年も生きている」を証明することができます。
このことは何となく正しいような気もしますし、何となく間違っているような気もしますが、矛盾したことが成り立てば、任意のことが成り立つということは、現代の通常の論理学で証明できることですので、その論理学を前提すれば、正しいことです。
それは、次のように証明されます。
以下の p, q は任意の平叙文、¬ は否定、∧ は連言「かつ」、∨ は選言「または」、→ は条件法「ならば」とします。(ちなみに、条件文 p → q の p は条件文の前件、q は条件文の後件と言います。)
こうして矛盾した文「p ∧ ¬p」があると仮定すると、そこから任意の文 q が帰結するとわかりました。
これは推論規則としてならば、Ex Falso Quodlibet/Ex Contradictione Quodlibet (EFQ/ECQ) と呼ばれているもので、矛盾した文から任意の文を正しい文として結論してよいことを述べる規則です *2 。
現代においてこのことを証明した有名な人に C. I. Lewis さんがいますが *3 、では西欧の歴史において、この証明を最初に考え出したのは誰だったのかというと *4 、以下の文献、
・ Christopher J. Martin ''William's Machine,'' in: The Journal of Philosophy, vol. 83, no. 10, 1986, *5
によるならば、その565, 571ページで、(中世の France における) William of Soissons という人であると指摘されています *6 。
そこで今回は、矛盾から任意の文が出てくるという上の証明が、西欧中世おいてどのようにして考え出されたのか、その経緯を上記 Martin 論文に沿いつつ、その他に二、三の文献によりながら、大まかに再構成してみたいと思います。
というのも、この Martin 論文が少しわかりにくいと感じられるので *7 、その内容の一部をわかりやすく示しておきたいことと、上に掲げた ECQ の証明が興味深いものであるのと同様に、中世において、その証明が考え出された過程で見出された、他のいくつかの証明も、また興味深いものだからです。
その経緯を再構成する前に、四つ注意しておきます。
1) 以下の再構成は、既に指摘されていることをまとめ直しているだけですので、何ら私の original な主張は含まれていません。
2) 以下の再構成は、そのとおりにしか再構成できず、この一通りにしか再構成を許さない、というものではありません。
3) 以下の再構成は、寸分たがわずそのとおりに事態が生じた、というものではありません。大まかな感じを述べているだけのものです。
4) 以下の再構成で、間違いが含まれていましたらすみません。私の誤読、誤解、無知、無理解によるものです。
2. Abelard's Embarrassing Argument from Opposites: The Inference Rules.
さて、再構成に入ります *8 。事の発端は、Pierre Abelard (Petrus Abaelardus, 1079-1142) がある論証を妥当ではないと断じた時点にさかのぼると思われます *9 。
その論証を提示する前に、その論証で使われる推論規則を掲示します *10 *11 。
それぞれを簡単に説明します。(a) は後回しにします。
(b) についてですが、命題論理のいわゆる連言の除去 (A & B が成り立てば、A か B のどちらか一方は少なくとも成り立つ) に似ているものの、そうではありません。この (b) は、その条件文の前件の A & B が、後件の A を含んでいる (contain) ために、x は A & B であるということが成り立てば、x は A であるということが成り立つとしてよい、という規則です *12 。なお x には固有名詞/固有名が、A, B には名詞/一般名が入ります。
たとえば、「太郎はロボットであり、かつ軽量合金製であるならば、太郎はロボットである」などです。
また、(b) は「x が A & B ならば、 x は A である」となっていますが、この後件を B に変えて、「x が A & B ならば、 x は B である」としても構いません。
この規則は言い換えると、ある条件文について、その前件の意味内容が後件の意味内容を含んでいる時、その条件文は正しい、ということを言っています *13 。「意味内容」なるものとは何であるのかは、さしあたり問わないとしてですが。
(c) は、例を上げると、「太郎がロボットでないならば、太郎は軽量合金製のロボットではない」などが考えられます。この例を見れば、この規則が言わんとしていることはわかると思います。何かが A でないならば、その何かは B であるような A ではありません、この B が何であるとしても。
なお、この規則「x が A でないならば、 x は (A & B) ではない」の前件にある A を B に変えて、「x が B でないならば、 x は (A & B) ではない」としても構いません。
(d) は対偶のことです。P, Q には平叙文が入ります。たとえば「太郎が天才ならば、この程度の数学の問題は解くことができる。故に、この程度の数学の問題も解くことができないならば、太郎は天才ではない」などが例として上げられます。なお、この対偶を認めると、上の (c) は (b) の対偶だとわかります。
(e) は推移律です。あるいは「三段論法」とも呼ばれます。例を上げればお分かりいただけると思います。「何かが日本国籍を持っているならば、その何かは人間である。何かが人間であるならば、その何かは死ぬ。故に、何かが日本国籍を持っているならば、その何かは死ぬ」。
さて (a) です。その規則は次でした。「x が A ならば、x は A の反対のものではない」。これに対する例を上げます。文「何かが真っ黒けならば、その何かは真っ白けではない」です。これは正しいと思います。「真っ白け」とは「真っ黒けの反対」のことです。そこで今の文を、これにならって書き換えると「何かが真っ黒けならば、その何かは真っ黒けの反対ではない」となります。これも正しいでしょう。そしてこの文を一般的に表現すれば、「x が A ならば、 x は A の反対のものではない」となって、これは (a) そのものです。
何かに対して、その反対のものは、いろいろと考えられるかもしれませんが、人間に対して、その反対のものは、石ころなどが考えられるようです。
(a) という規則は、以下のような一般的規則 (locus ab oppositio) を定式化したものです *14 。「何であれ、反対同士にあるものの一方が主張されるものについては、他方は除外される (Of whatever one opposite is asserted the other is removed)」。難しい言い回しになっていますが、先ほどの「真っ黒け」の例文「何かが真っ黒けならば、その何かは真っ白けではない」を参考にしてお考えいただければわかると思います。このような一般的規則は、その「真っ黒け」の例文を前にした時、「なぜその例文が正しいのか?」と問われた場合に持ち出される根拠として働きます *15 。つまり「真っ黒けの例文が正しいのはなぜか?」と問われたならば、「locus ab oppositio によって」などと答えることによって、「真っ黒け」の例文が正しいことを当時の人は立証していた、ということです。少し言い換えると、その例文がなぜ正しいのかと問われた時、「何かが真っ黒けであるということが成り立てば、locus ab oppositio によって、その何かは真っ白けではないということが成り立つのだ」と返答した *16 、ということです *17 。
3. Abelard's Embarrassing Argument from Opposites: The Argument.
さて、推論規則の話はこれぐらいにして、Abelard が「正しくない」と主張した、問題の論証を提示してみましょう。次がそれです *18 。
Abelard は、この論証は間違っていると考えました *19 。彼によると、結論の 5 が間違っていると言います。なぜでしょうか?
まず、Abelard は、条件文が正しいのは、その前件の意味内容が、その後件の意味内容を含んでいる時であると考えます *20 。これを Containment Theory と名付けておきます *21 。
ところで 5 は「P ならば、P でない」という形をしています。この条件文の後件は「P でない」となっていて、P が否定されています。Abelard によると、こういう場合の否定は、否定されている P を消去、またはキャンセルしているのであり、この結果、P はなくなっている、と考えます *22 。これを否定の Cancellation Theory と呼んでおきます *23 。
すると、「P ならば、P でない」という条件文が正しいならば、前件の P が後件の P でないということを含んでいるはずです。しかし、後件で述べられていることは、否定されてなくなっているので、後件はありもしないものになっています。だとするならば、ありもしないものを前件の P が含むということは考えられません。よって、前件の P が後件の P でないということを含むことはなく、したがって「P ならば、P でない」という条件文は正しくありません。正しいのは、「(P ならば、P でない) ということはない」です (この原理を Abelard's Connexive Principle と呼んでおきます) *24 。Abelard はこう考えました。
このことは、Abelard 一人の思い付きではなく、古代の権威ある人物によっても支持される見解だと思われました。その人物とは Aristotle です *25 。
Aristotle は Abelard と似たような考え方を持っていたようで、と言いますか、実際には逆に、Abelard が Aristotle の影響を受けて似た考えを持っていたのですが、Aristotle は「P でないならば、P である」は間違っていて、「(P でないならば、P である) ということはない」が正しい、と考えていました。これを Aristotle の Connexive Principle と言います *26 。
Abelard は上記 Containment Theory と Cancellation Theory を正しいと思い、これらの見解は Aristotle の Connexive Principle によっても支持されていると考えたようです *27 。
このようなことを根拠に Abelard は上の論証 (A1) の結論 5 が間違っていると考えました。そしてこの間違った結論が出てきたのは、前提の文 2 に問題がある、よって 2 が正しいとする根拠の推論規則 (a) すなわち locus ab oppositio が間違いの原因だ、これを使ったから間違ったのだ、これを使ってはいけないのだ、と考えました *28 。
Abelard のこの主張は、推論規則 (a) ~ (e) を、大なり小なり正しいと考えていたと思われる当時の哲学者たちの議論を呼びました *29 。
4. Alberic's Counterargument
そのような中で、Alberic of Paris という人物が Abelard に挑戦状を叩きつけました。と言っても、その様子を現場で見て来たわけではないので、本当にそんなことがあったのかどうか、私は知らないのですが、いずれにしても、上記の Abelard の主張に対し、Alberic of Paris が次のような論証を Abelard に示し、論争に転換をもたらします *30 。
この論証で注目していただきたい点が二つあります。
一つ目は、Abelard が「使ってはならない、使ったから問題が生じた」と主張した推論規則 (a) の locus ab oppositio がここでは使われていない、ということです。
二つ目は、にもかかわらず、結論の 5' を見ると、Abelard が「間違っている」と主張した「P ならば、P でない」という形をした文が帰結している、ということです。
このことから得られる教訓の一つと思われるものは、仮に「P ならば、P でない」という形をした文が間違っているとしても、その原因は推論規則 (a) の locus ab oppositio ではない、ということです。これは論証 (A1) に対する Abelard の分析が誤りを含んでいることを表しています。
ここに至って当時の Paris の学者先生たちは、「あれが原因だ」、「いやこっちが原因だ」、「そっちが悪いんだ」、「いやいやあっちこそ問題だ」というように侃々諤々の論争になったようです。と言っても、やはり見て来たわけではないので、上を下への大騒ぎになったのかどうかまでは私は知らないのですが、Abelard が提出した論証 (A1) に対し、反証を提示した Alberic の論証 (AP) が論理学史上の転換点になったみたいです *31 。
何にせよ、当時の当地のいくつかの学派が、「ああでもない、こうでもない」と意見を出し合ったようで *32 、その結果、おそらくですが、以下のような見解 (I) ~ (IV) を採る人々も現れてきたものと思われます。すなわち、
このようにして Connexive Principles や Containment Theory などに見られる Abelard の呪縛から解放されることによって、条件文の前件/後件の意味連関の必要性も振り切り、いわば、単に前件から後件へ真理が保存されているだけで、その条件文は正しいと言えるのだ、という立場を、当時の一部の人々は、鮮明にします *33 。
5. The Proof of Ex Contradictione Quodlibet in the Middle Ages
ここから出てきたと思われる論証が次でした *34 。
この論証で見ていただきたいのは、四つのことです。
一つ目は、最初の 1. が矛盾した文「(Socrates が人間であり) かつ (Socrates が人間でない)」から始っている、という点です。つまり矛盾を仮定として立てて、矛盾から何が帰結するのかを、この論証は探っているというところです。
二つ目は、 2. において「Socrates は人間であるか、または石である」と述べられて、唐突に石の話が持ち込まれている、という点です。石を持ち込まねばならない、という必然性はないので、明らかに石以外の物でも、ここで話に持ち込んで構いません。石以外に普通に哲学者でもいいですし、あるいは雨傘でもミシンでも解剖台でも、何でもいいということです。
三つ目は、この論証の結論 5. が「Socrates は石である」という文で終わっている、という点です。上の二つ目で指摘したように、この結論で石の話が出てきていますが、石以外でも何でも構わないのでした。つまりこの結論は、実質的に任意の文で終わっている、ということです *37 。
四つ目は、次のことです。一つ目から三つ目を通して眺めるとおわかりいただけると思いますが、結局この論証は、矛盾した文から任意の文が帰結することを証明している、ということです。これはすなわち、矛盾した文からは、どんな文でも証明できるという、今回のブログ冒頭で記した推論規則 Ex Falso Quodlibet/Ex Contradictione Quodlibet (EFQ/ECQ) の実質的証明が、ここに現われている、ということです。
6. まとめ
本日のブログの初めあたりで述べましたように、おそらく EFQ/ECQ を西欧で初めて証明した William of Soissons は、Abelard の提示した論証 (A1) と、これに反論する Alberic of Paris の論証 (AP) を見比べて、上掲の見解 (I) ~ (IV) を踏まえつつ、自身の論証 (WS) を提示した、というのが、EFQ/ECQ に対する西欧史上初の証明の経緯だったのではないでしょうか?
少なくとも Martin 先生の論文 ''William's Machine'' とその他、数点の論文を拝見し、極めて大づかみに当時の状況を把握してみるならば、そっくりそのまま以上のとおりに事態は生じた、とは言いませんが、ひょっとしたら似たような感じのことはあったかもしれないな、と感じています。
最後に、念を押して繰り返しますが、私による以上の話は、そっくりそのとおりに事柄が生じた、と言っているものではありません。現実の歴史はずっと複雑です。非常に多くの人や物事が、非常に複雑に絡み合い、何が原因で何が結果だったのか、原因結果の連関が深くより合わさり、簡単にはほどくことのできない形で歴史は進行していたと思います。それはたとえば、戦後の日本の歴史を「焼け野原になって、高度成長があり、不況に陥って、今に至ります」と、極度に大まかにまとめるのと同じぐらい、今回の私の話は大まかな話です。
当時の Paris でのこの話題を描写するのに、一本だけしか線を引くことが許されないとしたならば、私なら Martin 先生、岩熊先生の文献をもとに、以上のような、太い、とても太い線を試みに引いてみることになるでしょう。最終的かつ正確には、必ず一次文献に当たって確かめなければなりません。私によるこの話の記述は、暫定的なものとお考えください。
7. 補足
ちょっと注意事項を一つ。
上掲の見解 (II) と (IV) ですが、(II) の Containment Theory によると、条件文が正しいのは、その前件の意味内容が後件の意味内容を含む時であり、(IV) の Truth-preservation 流の説明によると、条件文が正しいのは、その前件が成り立つ時、その後件が成り立たない、ということがあり得ない時だ、とするものでした。そして前者の (II) を捨てて、後者の (IV) を採ることにより、矛盾から任意の文が帰結するという証明の道が開かれたのであろうと、上で述べました。
注意していただきたいのは、その後、当時の学者のみんながみんな、条件文の正しい条件について、(II) を捨てて (IV) を採用することになった、ということではない、ということです。
当時の神学者は、神学の問題をいろいろと検討していたようです。そのような問題の中には、矛盾していると思われる概念を積極的に認め、その上でその概念の帰結を探索する、ということも行っていました。
たとえば、そのような矛盾していると思われる神学上の概念に、Trinity がありました *38 。Trinity なるものがあるとするならば、それは 3 = 1 を認めることになるでしょう。3 = 1 を認めるならば、3 は 3 であるとともに 3 でないことを認めることになります。あるいは 1 は 1 であるとともに 1 でないことを認めることになります。これは矛盾です。よって、Trinity を認めれば、矛盾を認めることになります。そしてこのような矛盾を認め、かつ先ほどの (II) を捨てて (IV) を採用し、証明 (WS) を支持すれば、矛盾から何でも証明できてしまうことになります。これは破滅的な結論です。したがって、このような破滅を避けるため、当時の学者は全面的に (II) を捨て (IV) を採り、(WS) を支持する、というのではなく、Trinity のような重要だが矛盾を含んでいると思われる概念の帰結を検討する場合には (II) を堅持して、任意の文が帰結するという放埓を許さないよう制限を掛けていたみたいです *39 。
というわけで、(II) があっさり捨て去られ、全員がただちに (IV) を採択した、ということではないようですのでご注意ください。
8. 付録
おまけとして、以下に引用文を三つ、掲げておきます。
本当はどれも本文内で引用しようと考えていたのですが、うまく組み込むことができそうになく、ボツにするのももったいないので、参考になるところがあると思いますから、ここに引用しておきます。
1.
まず最初に、ECQ の証明を見つけたであろうと推測される William of Soissons のことが言及されている文章です。
・ ソールズベリーのヨハネス 「メタロギコン」、甚野尚志、中澤務、F・ペレス訳、『中世思想原典集成 8 シャルトル学派』、上智大学中世思想研究所編訳監修、平凡社、2002年、第2巻、第10章より。
引用文内の 〔 〕 は訳者、[ ] は引用者によるもの、(170), (171) は訳者による訳注で、この訳註番号は、原文では行間に記されていますが、引用者の手で本文に組み込みました。
ちなみに、この引用文本文の最後の文「一つの不可能なことから任意の不可能なことが生じる」が、William of Soissons による ECQ 証明の根拠 (の一つ) になっている、と思われます。「矛盾という一つのあり得ないことから、任意のあり得ない間違ったことが出てくる」ことを、William of Soissons は証明したのだろうと解せます。
2.
次は、当時、Paris で論理学を教えていた学校について、簡単に述べている文章です。
・ J. マレンボン 『初期中世の哲学 480-1150』、中村治訳、勁草書房、1992年、182ページ。
なお、[ ] は引用者によるものです。
当時の当地で論理学を教えていた学校は四つあったようであり、そのうちの一つが Petit Pont の Adam のものだったようです。
3.
最後に、当時の学校周辺の様子がわかる文を引用しておきます。長い引用文 (1) と短い引用文 (2) の二つを引きます。
・ マリアテレーザ・フマガッリ=ベオニオ=ブロッキエーリ 『エロイーズとアベラール』、白崎容子他訳、叢書・ウニベルシタス、法政大学出版局、2004年。
(1) はこの本の188-189ページから、(2) は191ページからの引用です。なお、引用文中に出てくる [ ] は訳者による補足です。〔 〕 は引用者によるものです。また振り仮名は ( ) に入れて、引用者の手により本文に繰り込みました。「(ル・テルム)」と「(プチポン)」のことです。
いろいろ不十分な点がありますが、これで本日の話を終わります。
ここまでに含まれているかもしれない、いや含まれているはずの、ありとあらゆる誤解、無理解、無知、勘違い、誤記、脱落、不統一等に対し、お詫び致します。大変すみません。
*1:選言三段論法 (disjunctive syllogism)。「(p または q) かつ p でないならば、q」。例「太郎が腕時計を忘れてきたのは学校の教室か、または図書館のはずであり、教室になかったとするならば、図書館にあるはずだ」。
*2:この規則については、当ブログの2019年2月10日、項目名「Can Frege Accept Ex Falso Quodlibet as a Rule of Inference?」の section 2 もご覧ください。
*3:C. I. Lewis and C. H. Langford, Symbolic Logic, Dover Publications, 2nd edition, 1959, p. 250. The 1st edition of this book was published in 1932. 今上げた証明で十分わかると思いますけれども、この証明について、日本語で読める文献で、懇切丁寧な説明の付いた、現在入手しやすいものに、次があります。グレアム・プリースト、『論理学超入門』、菅沼聡、廣瀬覚訳、岩波科学ライブラリー 284, 岩波書店、2019年、8-16ページ。この本は、次の旧版の増補版です。グレアム・プリースト、『1冊でわかる 論理学』、廣瀬覚訳、<1冊でわかる> シリーズ、岩波書店、2008年。この旧版でも同じ8-16ページに、問題の証明とその説明が載っています。ただし、これらの本の該当ページでは、Ex Falso Quodlibet/Ex Contradictione Quodlibet (EFQ/ECQ) という表現やその日本語訳は出てきていませんので、ご注意ください。しかしそのページで行われていることは、EFQ/ECQ の証明と説明です。ちなみに、英語原書の旧版でのページ数は、Graham Priest, Logic: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2000, pp. 7-14 です。新版は持っていないので、そのページ数の注記は省きます。
*4:西欧以外は今は問わないことにします。
*5:以下、この文献の名を WM と略記し、この略記号の後に該当するページ数を記します。たとえば WM 564 とあれば、Martin 論文 ''William's Machine'' の p. 564 のことを指します。
*6:この人については、生年月日など、詳細はたぶん不明なようです。
*7:件の Martin 論文が少しわかりにくいのは、省略がいろいろあるようだからです。なぜならこの論文は、研究大会の発表の概要を記したもののようであり、そのため詳細は発表の際に述べるとして、その部分が略されているように思われるからです。WM 564, footnote.
*8:なお、この section の題名の 'Embarrassing Argument from Opposites' は、Martin 先生によるものです。Christopher J. Martin, ''Logic,'' in J. Brower and K. Guilfoy eds., The Cambridge Companion to Abelard, Cambridge University Press, 2004, p. 190. 以下、この Marin 文献を LGC と略記し、その後に該当ページ数を記します。
*9:Yukio Iwakuma, ''Influence,'' in J. Brower and K. Guilfoy eds., The Cambridge Companion to Abelard, Cambridge University Press, 2004, p. 324. 以下、この岩熊論文を IFL と略記し、その後に該当ページ数を記します。
*10:なお、中世では「明日雨ならば試合は中止である」というような条件文と、「明日は雨である。故に試合は中止である」というような論証/証明を、どちらも同じようなものとしてしばしば区別していませんでしたから、以下の記述でも、特に両者の区別を意識せず、記すことにします。たとえば、次を参照ください。ヤン・ルカシェーヴィッチ、「命題論理学の歴史について」、堀江徹訳、『論理思想の革命』、石本新編、東海大学出版会、1972年、189-190ページ。このページで指摘されているのは、要するに中世のいわゆる consequentia 論では、概して条件文と論証/証明とが一まとめに論じられていた、ということです。加えて IFL 318 も参照。
*11:この規則は、岩熊先生の文献に出ているものを、ほんの少しだけ変更して、後はそのまま日本語にしただけのものです。IFL 325.
*12:この件については後述しますが、Section 3. Abelard's Embarrassing Argument from Opposites: The Argument において、Abelard にとって条件文が正しいのはどのような時なのかを説明した、註の 20 をご覧ください。
*13:この後の註 20 をご覧ください。
*14:より正確には locus ab oppositio に関する maximal proposition のことです。LGC 190.
*15:WM 566, LGC 162-163.
*16:LGC 162-163, 169.
*17:この規則「locus ab oppositio」は、「locus」、「loci」と呼ばれるものの一つであり、他にもいろいろとこの種の規則があったようです。なお、この locus/loci と呼ばれるものが、正確かつ包括的に言って、何であったのかについては、実は私にはまだよくわかりません。本文における locus の説明は、今回の話に関わってくる限りのものであり、大まかな説明になっています。実際、locus/loci に関する説明をいくつか読んでも、それぞれずいぶん異なっているように思われます。この locus/loci については、どうやら当時の哲学者の間でも理解にかなり差があったようであり、中世の初期と後期でもたぶん違いがあったみたいで、しかも残されている資料に見られる説明が詳しいものではないことが多いようであり、それぞれの哲学者がこれをどう理解していたのか、特定するのも大変なように感じられます。そのようなわけで、ここでの locus/loci の説明は、大よそのもの、当座のものとお考えください。
*18:IFL 325, WM 569-570, LGC 190. 後者 Martin 先生の二つの論文 WM, LGC に載っている論証は、先生ご自身の説明に合せようとされているためか、省略がいくつかあり、わかりにくいので (Martin 先生すみません)、岩熊先生の明快な論証を掲げておきます。これは先生の上げている論証を、ほんの少しだけ変更して日本語に直しただけのものです。
*19:WM 569-570, LGC 190, IFL 325.
*20:WM 567 の Condition C のこと、および LGC 181, 185 の Condition R のこと。
*21:この Theory については、当ブログ、2019年6月30日、項目名「Could the Greatest Logician in the World Have Made a Terrible Blunder in Deducing a Simple Theorem?」の section 5 も参照ください。
*22:WM 568-569, LGC 190.
*23:LGC 190 に、この名が見えます. この Theory についても、先ほどと同じく2019年6月30日、項目名「Could the Greatest Logician ... 」の section 5 を参照ください。
*24:WM 568 の (AB2) のこと、および LGC 190 の (Ab2) のこと。
*25:WM 567-568, LGC 189-190.
*26:WM 568 の (AR2) のこと、および LGC 190 の (Ar2) のこと。この Principle について、詳しくは、やはり当ブログ、2019年6月30日、項目名「Could the Greatest Logician ... 」をご覧ください。
*27:WM 567.
*28:WM 569-570, LGC 190. Abelard によると、問題の根本的な原因は、より一般的に言えば、条件文の前件と後件を成す文は、どちらも肯定文か、あるいは、どちらも否定文でないといけない、前件と後件の一方が肯定で、他方が否定であってはいけない、肯定と否定という文の「質 (quality)」を、条件文の前件と後件で混ぜこぜにした (mix) ことに真の原因がある、と判断しました。 WM 570, LGC 191, IFL 325.
*29:IFL 324.
*30:WM 570, LGC 191-192, IFL 326. 以下の論証は、この三つの文献のうち、一番最後の岩熊先生の文献 IFL から採りました。その論証に対し、ほんの少しだけ変更を加え、後はただそれを日本語に直しただけのものです。前二者の Martin 文献にも以下の論証に相当するものが掲げられていますが、省略がいくつかあってわかりにくいので (Martin 先生すみません)、岩熊先生の明瞭な説明を採用しています。
*31:WM 570, LGC 191.
*32:WM 570-571, IFL 328.
*33:ただし、実を言うと、歴史上の原因・結果の系列として、Abelard の論証 (A1) が最初の原因として登場し、それからその結果として Alberic of Paris の論証 (AP) が出て、その後、これを受けて今述べた見解 (I) ~ (IV) が考え出された、という流れに実際になっていたのかどうか、私にははっきりしたことはわかりません。(A1), (AP) 以前に今の諸見解が既に当時の人々 (Parvipontani) に抱かれていたという可能性もあります。 IFL 327-328, WM 571. 本文におけるこのあたりの記述は、私の一つのまとめ方ぐらいにお考えください。
*34:IFL 328. この岩熊先生の文献より引用。わずかに変更して日本語に直しただけのものです。Martin 論文で該当する論証は、次に出ています。WM 571. ただし、そこに出ている論証は形式化されたものではなく、当時のイギリスの神学者 Alexander Neckham (Nequam) という方のラテン語によるもの (からの英訳) です。
*35:この規則は、次のようなものです。選言「または」で二つの文を結んだ文は、少なくともその一方が正しいならば、全体としても正しい。たとえば「太郎は日本人である」という文が正しいならば、この文と「2 足す 2 は 5 である」という文を「または」で結んだ文「太郎は日本人であるか、または 2 足す 2 は 5 である」は正しい。
*36:一度注記していますが、この論法の形式は、[(P または Q) かつ P でない] ならば Q. 例「太郎が腕時計を忘れてきたのは学校の教室か、または図書館のはずであり、教室になかったとするならば、図書館にあるはずだ」。
*37:IFL 328.
*38:実際、今話題にしている Abelard は、不敬だとの嫌疑をかけられ、自著を焚書に付すよう強いられたことがありましたが、このような事態に至ったのは、Abelard が示した Trinity に対する理解が不敬であると、難癖を付けられたことにありました。次をご覧ください。『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』、沓掛良彦、横山安由美訳、岩波文庫、岩波書店、2009年、45-56ページ。
*39:WM 571-572, LGC 192.
*40:672-673ページ。
*41:訳注170, 171は共に826ページ。