• Jeremy Heis  “ [Review of] Delbert Reed, The Origins of Analytic Philosophy: Kant and Frege, Continuum, 2007, 203pp., $130.00 (hbk), ISBN 9780826493378,” in: Notre Dame Philosophical Reviews, September 10, 2008
  • 横田栄一  「フレーゲの論理主義的理念(III)」、『札幌学院大学人文学部紀要』、札幌学院大学人文学部学会、35号、1984
  • 飯田隆   「人工知能の哲学」、『コンピュータソフトウェア』、日本ソフトウェア科学会、第9巻、第5号、1992年
  • 岩生成一  「デカルトの孫弟子: 日系人Pieter Hartsinckの墓碑」、『日本歴史』、日本歴史学会、no. 339、1976年8月号
  • 同上   「口絵 デカルトの孫弟子日系人ピーター・ハルチンクの墓碑」、『日本歴史』、日本歴史学会、no. 339、1976年8月号


1本目のNDPRの書評は、NDPRの他の書評と比べて若干長い。そのいみで比較的力が入っていると想像される。また読んでみよう。

最後の2本、岩生先生の文について。
以前私は以下の本を読んだことがある。

  • 三上義夫  『文化史上より見たる日本の数学』、佐々木力編、岩波文庫岩波書店、1999年

この本の本文67ページと訳註247-8ページに日本人、正確にはオランダ人を父に持ち、日本人を母に持った日系のハーフの人物が記されており、その方はドイツの鉱山でLeibnizと一緒に仕事をしたことがあると書かれている。このような日系の方がいたことに驚いた覚えがある。
先日購入したばかりの次の本を拾い読みさせていただいていると

そのLeibnizの鉱山での仕事ぶりが、鉱山の略図と共に描写されていて大変参考になりました。そこでこのLeibnizと一緒に仕事をした日系ハーフの人物を知りたく思い、上記岩生先生の文を閲読してみた次第です。思ったよりもこのハーフの方の人生行路がある程度判明しているようで、意外でした。上記入手文献口絵の裏には彼の人生の年表が掲げられています。すごい人物がいたものです。

 二重否定が肯定なら、二重肯定は否定か?

今日、生協の学食でお昼ご飯を食べながら東京大学出版会のPR誌を読んでいると、長谷部先生がまた面白い話を記してくれている。そのまま引用させていただきます。

オックスフォードの日常言語学派の開祖として知られるJ. L. オースティンがアメリカで講演したおり、二重否定が肯定を意味することは多くの言語について知られているが、二重肯定が否定を意味する言語は知られていないと述べると、聴衆の一人であったモーゲンベッサー [Sidney Morgenbesser] は、馬鹿にするかのように、「yeah, yeah」とつぶやいたと伝えられている(あえて訳すと「へぇ、へぇ、(そうかい?)」となる)*1

ちなみにWikipediaの英語版で“Sidney Morgenbesser”を見ると、同じような話が記載されている。引用させていただきます。

During a lecture the Oxford linguistic philosopher J. L. Austin made the claim that although a double negative in English implies a positive meaning, there is no language in which a double positive implies a negative. To which Morgenbesser responded in a dismissive tone, "Yeah, yeah."

そこには“Yeah, yeah”ではなく、“Yeah, right.”だったとの証言もあると書かれている。
ところで、では、二重肯定が否定なら、三重肯定は肯定だろうか? Austinの目の前で、ニヤニヤしながら立ち上がり、“Yeah, yeah, that's right!”とやれば、私の印象ではAustinさんという方は非常にプライドの高い人であったようだから、否定されたと思い激怒して「君、失礼だ! 今すぐ退席したまえ!!」とかやりそうな気がします。どうなんでしょうか。とすると、三重肯定は肯定でなく、否定なのだろうか? この答えはpragmaticsの専門家にお任せ致します。

*1:長谷部恭男、「[憲法のimagination] 18 へぇ、へぇ」、『UP』、東京大学出版会、2008年9月号、26ページ。この先生の文の表題中の「[, ]」は引用者によるものではなく、原文のままである。

読書

以下を拝読。岡本先生の文は二度目。Croccoさんの文も二度目だが、Croccoさんの文は‘4. Brief remarks on the problem of intension in the 19th and 20th century’というセクションのみを読む。ここでは19世紀ドイツにおける概念のintension/extensionを巡る論争が素描されているので。

  • 岡本賢吾  「算術の言語から概念記法へ(1) −フレーゲの初期の体系をめぐって−」、『哲学誌』、東京都立大学哲学会、41号、1999年
  • José Ferreirós  “The Early Development of Set Theory,” in: The the Stanford Encyclopedia of Philosophy, April 10, 2007
  • Gabriella Crocco  “Gödel on Concepts,” in: History and Philosophy of Logic, vol. 27, no. 2, 2006

岡本先生の文が一番面白い。