Logicism in 1945

頭が鈍く痛むが、何もしないのもつらいので、先日24日に入手した以下の文献のさわりを読む。

  • Bernard Linsky and Edward N. Zalta  “What is neologicism?”, in: The Bulletin of Symbolic Logic, vol. 12, issue 01, 2006

すると意外な指摘がなされている。それは旧来の論理主義(Logicism)に関することである。この旧来の論理主義は潰えたのだという話は昔からなされてきましたが、そういう話が定着したのはホワイトヘッドラッセルのPrincipiaが出てしばらくしてから、つまり1920年代半ばまでにWittgensteinとRamseyの批判が出され、その後遅くともPrincipiaの第2版が出る1920年代半ばすぎぐらいには段々定着していったものと漠然とながら感じていました。そしてその後も、もし論理主義を擁護するような人がいたとしても、それはあまり名前の知られていない人が周縁部分で散発的に主張していたことだろうと、何となく思っていました。
しかし上記論文さわりを読みますと、1945年にもなってまだ旧来の論理主義を擁護する、名の知れた哲学者がいたというのです。それはC. Hempelで有名なリーディングスにも入っている次の論文で擁護しているとのことです。

  • C. Hempel  “On the Nature of Mathematical Truth”, in: The American Mathematical Monthly, vol. 52, 1945

ここでHempelは、数学の概念が論理学の概念のみによって定義でき、数学の定理がこれら論理的概念による定義と、論理学の法則によって演繹できると述べています。何を以って論理学とし、何を以って数学とし、何を以って… などなどはこの際置くとしても、とにかく今言ったような意味で1945年の時点でも、論理主義を擁護・主張しています。
これは私にとって意外でした。そうだったんですね。このHempel論文はよく知られたBenacerrafとPutnamのリーディングスの第1版に掲載されていたので、この論文を読んでいる方は非常に多いかと思いますが、私は知りませんでした。

しかし頭が痛い。もう寝ます。おやすみなさい。