読書: Professor Quine on Japanese Classifiers

Cafeで以下を拝読。

  • Takashi Iida  “Professor Quine on Japanese Classifiers”, in: Annals of the Japan for Philosophy of Science, vol. 9, no. 3, 1999

大変面白かったです。
Quineさんは、自身の教説the inscrutability of referenceの信憑性を補強し高める現実の自然な事例として、日本語の「牛」という一般名がいわゆるcount nounとしてもmass nounとしても取れるとの見解を、かつて示されておられました。Quineさんはそのことを次の論文のpp. 35-38で述べておられますが、

  • W. V. Quine  “Ontological Relativity”, in his Ontological Relativity and Other Essays, Columbia University Press, 1969

そこを見ると、「5頭の牛」という日本語の語句をつづめた「5頭牛」という語句を事例として、このつづめた語句の「牛」という語がcount nounとしてもmass nounとしても取れるのであり、事実上はどちらとも決められないので、これがthe inscrutability of referenceの実例となっているとQuineさんは述べておられます*1
もう少し言いますと、「5頭牛」の「牛」がcount nounの場合、この語句は「5頭」と「牛」が結合したものと解せるのであり、「5頭牛」の「牛」がmass nounの場合は、「5」と「頭牛」が結合したものと解せるのであって、後者の「頭牛」は、mass nounの「牛」を「頭」によっていわばindividuatingしていると、そんな具合にQuineさんは把握されています*2。そして「牛」をcount/mass, どちらと解しても不都合はないので、これはthe inscrutability of referenceの実例となっていると言うのです。


個人的にはこの「牛」がthe inscrutability of referenceの実例となっているかどうかは、今のところそれほど関心がないのですが*3、飯田先生の論文を拝読していて楽しかったのは、the inscrutability of referenceうんぬんよりも、日本語の中にcount nouns/mass nounsの区別を見つける手がかりを見い出そうとされているところでした。私自身でも自分で日本語の事例を考え出して、それらに含まれる一般名がcount nounなのかmass nounなのか、またその区別をつける基準はそこではどうなっているのかなどを、思案することができて面白いです。またclassifyingとindividuatingとを区別しておられるところなど、大変示唆的でした。また読み返したい論文です。勉強になります。


PS.
面白いといえば飯田先生論文の註6)も面白い。Cafeで一人読みながら少し笑ってしまった。何だかhumorがあります。

*1:Quine, pp. 37-38.

*2:Quine, pp. 36-37.

*3:私個人が今のところそれほど関心がないからと言って、the inscrutability of referenceを巡る問題が重要でない、ということではもちろんありません。