Not Neo-Logicism but Neo-Fregeanism

以下の文献を読んでいて、興味深く感じたことを一つ、記しておく*1

  • Roy T. Cook  “Introduction”, in his ed., The Arché Papers on the Mathematics of Abstraction, Springer, The Western Ontario Series in Philosophy of Science, vol. 71, 2008*2


‘Neo-Logicism’, ‘Neo-Fregeanism’, ‘Abstractionism’と呼ばれる見解や立場がある。これらの言葉は特に区別なく使われて、通常はHale and WrightさんらのScottish Schoolのことを指しているようである。上記文献の著者Cookさんによると、このScottish Schoolの試みを表わすのに、中でも‘Neo-Logicism’という言葉を使うのはmisleadingであり、実際にはその名に値しないという。Scottish Schoolは、何か新手のlogicismをやろうとしている訳ではないと言うのである。だから‘Neo-Logicism’という言葉は、自分は使わないとおっしゃっておられる*3


私はScottish Schoolのやっていることは、てっきりlogicismの一種であると、深く考えもせず、思っていた。しかしScottish Schoolの中でご研究されているCookさんのお話が正しいとするならば、Scottish Schoolのやっていることを‘Neo-Logicism’と表記することは、誤解を誘発しやすく、下手をすると間違っている、ということになるようだ。どうしてScottish Schoolのやっていることが、logicismでないのかについて、Cookさんの文章を、一部私の方で補足しながら、簡単に要約してみよう。


1. Logicismについて
2. Scottish Schoolの試みについて
3. Not Logicism, therefore not Neo-Logicism


1. Logicismについて

Logicismとは何であるかについては、人によって意見が異なる。例えば代表的な歴代のlogicists, Dedekind, Frege, Russell, Carnap それぞれも、少しずつ、あるいは大幅に異なった見解を自らの立場であるlogicismについて、持っているだろうと思われる。今はそのことについては、時間がかかるので触れない。
非常に大まかに言えば、大体のところ、logicismとは、数学は論理学に還元できるとか、論理学から数学の諸定理を証明できるとか、数学を論理学に翻訳できるとか、何かその種の主張のことであるとされている。ここでの「数学」とか、「論理学」、「還元」、「諸定理」、「証明」、「翻訳」などの言葉で、正確に言って何をいみしているのかが明らかにされない限り、logicismが何であるかは正確なところ、よくわからない。しかし今はそのことは、話が長くなるので置いておく。
取りあえずのところ、logicismとは大体次のようなことだとしておこう。つまり、論理学上の真理なり法則と、論理学上の定義とから、論理学上の推論規則を使って、数学の主要な定理を証明できると主張する立場を、‘logicism’と言う。要するに、論理学の資源を使って数学を証明しようとする試みである。


2. Scottish Schoolの試みについて*4

Scottish Schoolがやろうとしていること、あるいはやってきたことのcoreにあるideaとは次のことであろう。

Hume's Principleとsecond-order logicとでもってPeano's postulatesを証明できる。このことはHume's Principleとsecond-order logicによって、数学の基盤をなす自然数論の諸定理を証明できる/できたことを表わす。つまりHume's Principleとsecond-order logicによって、数学の中心部分を証明できたことになる。

さてここで、Hume's Principleが論理学上の真理なり法則であって、second-order logicが確かにlogicであるならば、これらによって自然数論の各種定理を証明できるとすれば、これは一応立派なlogicismの一つであろう。

しかしCookさんによると、Scottish Schoolの方々は、Hume's Principleを論理的真理とは認めていない。言い換えると、Scottish School以外の人々と同様に、Scottish Schoolの研究者達は、Hume's Principleが論理的真理ではないことを認めているのである。また加えて言えば、Scottish SchoolにおいてはHume's Principleは分析的真理でもないのである。「分析的真理」の正確ないみが何であるとしても。

Scottish Schoolにおいて、Hume's Principleは定義の一種である。それはimplicit definitionである。そしてそこで定義されるのはnon-logical expressionである。そのexpressionとは、英語で言えば‘the number of ’と読まれることを期待されているあるオペレータのことである。つまりHume's PrincipleはScottish Schoolによると、論理学に属さない表現をimplicitに定義しているだけなのだ、ということになる。要はHume's Principleは、論理学上の真理ではないのである。もしも分析的真理なるものを論理学の公理や定理、法則の類いのこととするならば、それは分析的真理でもないのである*5


3. Not Logicism, therefore not Neo-Logicism*6

以上から明らかなように、Hume's Principleとsecond-order logicとでもってScottish Schoolがやろうとしていることはlogicismではない。論理学上の真理なり法則と、論理学上の定義とから、論理学上の推論規則を使って、数学の主要な定理を証明できると主張する立場を‘logicism’と言ったが、Scottish Schoolのやっていることはこのことに当てはまらないので、彼ら/彼女らがやっていることは‘logicism’とは言えないことになる。

では彼ら/彼女らは、何をやろうとしているのだろうか? 極々簡単・大まかに言ってしまえば、こうなる。

Scottish Schoolがやろうとしていることは、数学の知識は論理学の知識に他ならず、論理学の知識がa prioriな知識ならば、数学の知識もa prioriな知識である、そのことを明らかにしようとしているのである。それをHume's Principleとsecond-order logicとでもってPeano's postulatesを証明できることから、明らかにしようとしているのである。

では次に、なぜ論理学の知識がa prioriな知識ならば、数学の知識もa prioriな知識だと言えるのか? やはり極々簡単・大まかに言ってしまえば、こうなる。

Hume's Principleはimplicit definitionである。したがってそこで事柄が正しく表わされているならば、我々はその定義で述べられていることをa prioriに知ることができる。つまりHume's Principleはa prioriな知識である。そして恐らくであるがsecond-order logicはa prioriな知識で、そのlogicにおける推論規則/帰結関係はaprioricityを保存するであろう。そうすれば結局Peano's postulatesもa prioriであり、自然数論の諸定理もa prioriな知識を表わすことになる。

こうして明らかになったScottish Schoolの試みとは、数学的知識がa prioriであることを立証しようとする試みだと言える。そこでは論理学上の真理の諸関係、とりわけ数学の真理が論理学の真理に還元できるというような関係が焦点となっているのではなく、むしろ数学や論理学の知識の性格を問題としているのであり、総じて言えばScottish Schoolの試みとは、論理学上の試みであるよりも、認識論や知識論上の文脈に位置付けることのできる試みなのである*7。以上の記述が正しいとするならば、個人的にはScottish Schoolを‘Abstract Apriorism’とでも言えばよいのかな、などと考える。例えばの話だが…。


以上の記述は例によって読み返していない。勘違いや稚拙な表現も見られると思われるが、もう真夜中なのでこのまま寝ます。
おやすみなさい。

*1:なお私は大変不勉強者で、能力のひどく不足した人間であるから、以下の記述については、私の上げた文献やその他各種文献を通して裏をお取り下さい。誤字・脱字、誤解・無理解が含まれていましたらお許し下さい。

*2:なお、正確を期すれば、この“Introduction”には著者の署名がどこにもないようである。したがって誰がこのIntro. を書いているのかはわからない。しかし明らかに編者のCookさんだと思われるので、このIntro. の著者をCookさんだとして以下、話しを続ける。

*3:Cook, pp. xvi, xix-xx.

*4:この節で「さてここで、」以下が、Cookさんからの、若干私の補足を含めた要約である。Cook, pp. xix-xx.

*5:分析的真理が何であるかについては膨大な文献が存在し、それが何であるかについては、おそらく一義的には決まっていないものと思われる。そのため私はここで、分析的真理とは論理学の公理や定理、法則のことだ、それに尽きる、と断言するつもりはまったくないし、そうしているつもりでもない。

*6:この節の「では彼ら/彼女らは、何をやろうとしているのだろうか?」から、「こうして明らかになったScottish Schoolの試みとは、数学的知識がa prioriであることを立証しようとする試みだと言える。」の前までが、Cookさんからの要約である。Cook, loc. cit..

*7:次の論文の冒頭では、いわゆるScottish Schoolが試みていることの概要が示されているが、そこにおいてもScottish Schoolの試みが − Hume's Principleは分析的真理ではないとして、しかしその真理を概念的分析(conceptual analysis)によって知ることのできる − 認識論的なものであると描写されていることがわかる。Cf. Ian Rumfitt, “Hume’s Principle and the Number of all Objects”, in: Nous, vol. 35, no. 4, 2001, pp. 515-6.