読書: Traditional Logic, Concepts, and Sets

  • José Ferreirós  “Traditional Logic and the Early History of Sets, 1854-1908”, in: Archive for History of Exact Sciences, vol. 50, no. 1, 1996
  • 岡本賢吾  「「論理主義」は何をするのか −フレーゲの場合−」、『科学哲学』、34-1号、2001年


最近、以下の文献を読んで、

  • Christian Thiel  “‘Not Arbitrarily and Out of Craze for Novelty’: The Begriffsschrift 1879 and 1893”, in: M. Beaney and E. Reck, ed., Gottlob Frege, Critical Assessments of Leading Philosophers Series, Vol. 2, Frege's Philosophy of Logic, Routledge, 2005
  • 岡本賢吾  「編者解説」、岡本賢吾、金子洋之編、『フレーゲ哲学の最新像』、双書 現代哲学 5、勁草書房、2007年
  • 同上   「ラッセルのパラドクスと包括原理の問題」、『現代思想』、青土社、1997年8月号


概念の外延について理解を深める必要があると、以前にも増して感じるようになる。
しかし「概念の外延」という言葉は、正直に言って、ひどく古臭い響きがある。そのような言葉に関して何か考えることが必要なのか、あるいは疑問に感じられるかもしれない。
Fregeは1884年の例の本の中で基数を概念の外延と定義し、概念の外延が何であるかは周知のこと故、それが何であるかについて、説明しないとの主旨の記述を残している*1。ここからして当時、「概念の外延」で人々は何を考えていたのかを明らかにすることは大変重要だと思われる。だが、このような観点から、概念の外延について考えることが必要かつ重要だとしても、それは単に歴史的な興味を引くだけのことではないのか、という突き放した見方もできるだろう。
岡本先生のいくつかの文章を読むと、包括原理について再考することは非常に重要であると感じられる。それは今まさに actual な問題だと感じられる。単なる歴史的興味ではなく、将来に対し何か大きなものを生み出す可能性を秘めた問題だと感じられる。ところで包括原理の核心には概念の外延がある。包括原理を再考することは、概念の外延について再考することである。したがって概念の外延について考えることは、実のところ、今まさに actual なことなのだ、ということである。
上記Ferreirós論文の‘II Traditional Logic, Concepts, and Sets’という section は*2、短いながらとても参考になる。今の私には極めて示唆的・啓発的である。
この section の title のいみは大略次のようなものである。すなわち、Aristotelian な traditional logic は、concepts について考える。Concepts の formal な側面とは extensions である。そして素朴には extensions とは sets/classes である。したがってこれを逆にたどると、sets/classes についての理論は extensions についての理論であり、extensions についての理論は concepts についての理論で、concepts についての理論は logic である。よってsets/classes についての理論は logic である。Ferreirósさんの研究によると、sets/classes や extensions についての理論が logic であることは、当時のドイツにおける言わずもがなの常識であったようである。それは当時のドイツ*3の教育制度上からも言えることのようである。
Fregeにとって、概念の外延が何であるかは周知のことであり、またそれが logical なものであるのも、当時のドイツにおいては、当然のことのようであった。
もう一度、Ferreirós論文の上記 section を読み直して見たいと思う。

*1:Cf. §68.

*2:Ferreirós, pp. 9-17.

*3:北部の Prussia や 南部の Bavaria など。Cf. Ferreirós, pp. 13-15.