Memo: 文の Sinn とはその文の証明であるということと、Curry-Howard Isomorphism.

2008年12月17日の日記に‘Frege and the Proof-Conditional Semantics’と題して、
金子洋之先生が Frege に対し‘Proof-Conditional Semantics’とでも言うべき semantics の考案を帰属されておられることを記した。
そこでは、Frege にとって文の Sinn とは、その文の「証明条件」と呼ばれるものであるという金子先生の見解をつづっている。
ただ、先生は諸般の事情からこの‘Proof-Conditional Semantics’というものがいかなるものなのか、詳細を記述されていなかった。
私自身、先生が具体的にどのような semantics を念頭に置かれているのか、わからなかったが、
思うに恐らく、key concept だけ述べるならば、先生は Curry-Howard Isomorphism のことをお考えなのだろう。
取り合えず、そのことだけをここに記しておく。このことについては以下を参照。


このまま Bossa を聴きながら寝よう。
おやすみなさい。