注意: 以下に記すのは、まったくの個人的な備忘録です。調べたことの process を控えておくために net に up しているだけです。何かを主張したり、何かを結論しているものではございません。ほとんどただの引用文の羅列です。Comprehension Principle を、最初に公理として立てたのは、誰だったのか、そのことに関する引用文や出典情報が頻出し、かなり細かい話になっています。時間のない方は、読まれない方がよいかと思います。また、私自身の見解を述べている文章があったとしても、充分な確信をもって書いているのではございません。重要な点を見落としている可能性が非常に高く、私の見解を表している文章は間違っている確率が極めて高いので、以下の記述については絶対に鵜呑みにしないでください。また、論理式がいくつか出てきますが、私は Tex/Latex をよく知りませんので、式の見栄えがきれいではありません。かなりごたごたとしており、統一が取れていませんが、どうかお許しください。下記に見られる誤りや不整合に対し、あらかじめお詫び申し上げます。
(以下をお読みになられる場合は、「但し、Frege は Comprehension Principle を公理として立てていなかったとしても、…、」で始まる註の6を見落とさないようにしてください。)
目次
1. Cocchiarella
2. Tarski
3. Frege
4. Henkin and Church
5. Leśniewski
6. Gödel
7. Russell
1. Cocchiarella
さて、Comprehension Principle を、最初に公理として立てたのは、誰だったでしょうか? 私はそれをよく知りません。この疑問の解答に関係してくる文章をいくつか以下に引用します。必ずしもこの疑問の答えが書かれているという訳ではありません。Comprehension Principle を最初に公理として立てたのが誰であったとしても、それは大した問題ではないかもしれません。ただ、Comprehension Principle が重大な Principle であることは、多言を必要としないでしょうし、そのような重大な Principle が、かつてどのように公理として立てられるようになったのかを知ることは、それを知ったとして何か重要な知見が帰結するとは必ずしも限らないかもしれませんが、何がしか参考になることが明らかになって来るかもしれません、明らかになって来ないかもしれませんが…。
能書きの類いは、まぁ、よいとして、Comprehension Principle を最初に公理として立てたのは誰だったのか、という疑問を私が持ったのは、次の論文を読んでいると、個人的に意外な感じのする事柄が書かれていたからです。
- Nino B. Cocchiarella ''Frege, Russell and Logicism: A Logical Reconstruction,'' in Leila Haaparanta and Jaakko Hintikka eds., Frege Synthesized: Essays on the Philosophical and Foundational Work of Gottlob Frege, D. Reidel, Synthese Library, vol. 181, 1986
この論文では、Comprehension Principle が、以下のように記されています。
(CP)
()() ... () [ (, ..., ) ↔ φ ]
where does not occur free in φ, and , ..., are among the distinct individual variables occuring free in φ.*1
そして、次のように書かれていました。'[ ]' は原文にあるものです。
It is historically noteworthy, incidentally, that the first explicit use of (CP) as a basic law of logic occurs in [Tarski] where it is credited to Leśniewski (cf. [Henkin], p. 203).*2
この文章を読むと、Comprehension Principle を公理として最初に立てたのは、Tarski さんのようです。
2. Tarski
直近の引用文中の '[Tarski]' とは、以下の文献です。
- Alfred Tarski ''Der Wahrheitsbegriff in Formalisierten Sprachen,'' in: Studia Philosophica, vol. 1, 1936*3
1936年とは、随分遅い気がします。なおこのドイツ語論文は、元々はその3年前に出された
- Alfred Tarski ''Pojȩcie prawdy w jȩzykach nauk dedukcyjnych (On the concept of truth in languages of deductive sciences),'' Warsaw, 1933
というポーランド語論文を翻訳したものです*4。さらに言うと、このポーランド語の論文の中身は、1929年に結果を得られており、1930年に二回に渡ってその内容が Poland で発表されています。このポーランド語論文の英訳が、有名な次の論文です。
- Alfred Tarski ''The Concept of Truth in Formalized Languages,'' in John Corcoran ed., J.H. Woodger tr., Logic, Semantics, Metamathematics: Papers from 1923 to 1938, 2nd ed., Hackett, 1956/1983
以上のポーランド語原論文、ドイツ語訳、英訳の関係については、この英訳論文の p. 152, note † に記された情報に依ります。
さて Cocchiarella 論文では、Tarski 論文の何ページに Comprehension Principle が出てくるのかは、書かれていませんが、直近に上げた英訳論文を持っているので、調べてみると p. 223 に出てくるようです。
次のような式で書かれています。
Cocchiarella 先生の話が正しいとすれば、いずれにせよ、1929年から1933年頃に Comprehension Principle が公理として初めて立てられた、ということになります。
3. Frege
ところで、Frege が Comprehension Principle によって Russell Paradox に遭遇し、夢破れた、という類いの話があると思いますが、確かに Frege は Comprehension Principle を公理として立てるのではなく、定理として導いていたことは、Frege を勉強している人なら皆知っていることかと思います。Frege にとって Comprehension Principle に相当するのは
⊢ f(a) = a ∩ 'εf(ε)
であり、これは1893年の Grundgesetze で、定理として証明されていました。次をご覧ください。
- Gottlob Frege Grundgesetze der Arithmetik I/II, Neuauflage mit Corrigenda von Christian Thiel, Reihe: OLMS Paperbacks, Bd. 32, Hildesheim, Olms, 1998, SS. 75, 242
- Gottlob Frege The Basic Laws of Arithmetic: Exposition of the System, tr. and ed. with an intro. by Montgomery Furth, University of California Press, 1964 (Second printing in 1967), p. 125
- G. フレーゲ 『算術の基本法則』、フレーゲ著作集 3, 野本和幸編、野本和幸、横田榮一、金子洋之訳、勁草書房、2000年、201, 216ページ。
これ故、Frege が Comprehension Principle を公理として立てた最初の人物ではないことは確かです*5。しかしその Principle を公理として立てたのは、Frege より40年ほども経ってからの Tarski さんが最初なのでしょうか? そうだとすると、個人的印象では、かなり遅い気がします。
4. Henkin and Church
先の Cocchiarella 先生の文章を引用した中で、Henkin さんの文献が言及されていました。その文献は次のものです。
Leon Henkin ''Banishing the Rule of Substitution for Functional Variables,'' in: The Journal of Symbolic Logic, vol. 18, 1953*6
この論文の p. 203 を見ると、以下のような axiom schema が出てきます。
(iv) (c)() ... () ( c(, ..., ) ≡ B ) *7
この p. 203 の note 8 では、(iv) の Comprehension Principle を含んだ公理系が、既に上記の Tarski ドイツ語訳論文において使用されており、その公理系は Leśniewski に依ることを、Professor Tarski から指摘を受けたと、Henkin さんは記しておられます。しかし、(iv) のような Comprehension の axiom schema が使用されたのは、Tarski が最初であるとか、Leśniewski が最初であるというような話は Henkin 論文には見られません。
また、この Henkin 論文を Church さんが review しておられる文献があるので、そちらも見てみる。
- Alonzo Church ''Review: Leon Henkin, Banishing the Rule of Substitution for Functional Variables,'' in: The Journal of Symbolic Logic, vol. 20, no. 2, 1955
ここにも次のような式が出てくる*8。
(iv) ( f) . f( , , ..., ) B
ここでも Leśniewski の名前と Tarski 論文 (を表す JSL 特有の numerical cross reference の番号) が上げられている。しかし、今記した (iv) のような Comprehension axiom schema が使われたのは、Tarski が最初だとか、Leśniewski が最初だとかの話は、Church さんの review には出てこない。
Cocchiarella 先生の話によれば、Comprehension Principle が axiom schema として最初に使われたのは、Tarski さん、もしくは Leśniewski さんによってということになるが、そのことの裏付けの一助となる Henkin 論文では、そしてそれを review している Church さんの文献においても、Comprehension Principle を axiom schema として最初に使用したのは、Tarski さん、もしくは Leśniewski さんだとは、書かれていない。
Cocchiarella 先生は、どうやら端的に Tarski 独訳論文での Comprehension Principle の使用が、その axiom としての使用の、史上最初の例だとおっしゃりたいようです。あるいは、Tarski さんの先生の Leśniewski が最初に使用した人物であるとおっしゃりたいようです。
5. Leśniewski
Tarski さんは、自分の英訳論文に出てきている例の Comprehension axiom について、それが Leśniewski によって'pseudodefinition' と呼ばれていたと、その axiom が出てくる p. 223 の note 1 で述べておられます。また、次の論文では、
- Alfred Tarski ''Some Observations on the Concepts of ω-Consistency and ω-Completeness,'' in John Corcoran ed., J.H. Woodger tr., Logic, Semantics, Metamathematics: Papers from 1923 to 1938, 2nd ed., Hackett, 1956/1983. This article was first published in German in 1933.
pp. 284-285 において、以下のように述べられています。
(2) there is a number k ∈ Nt-{0} and a sentence η ∈ S such that ζ = ( ⇔ η ), where Fr( η ); […] *9
[T]he sentences under (2), clearly related to the axiom of reducibility of Principia Mathematica, can be called pseudodefinitions in accordance with the proposal of S. Leśniewski; *10
ただ、Leśniewski にとって、pseudodefinition とは何であったのか、そのことについて私はよく知りません。試しに次の本を開いて見てみましたが、
- Eugene C. Luschei The Logical Systems of Lesniewski, North-Holland, Studies in Logic and the Foundations of Mathematics, 1962, 6.9.1 Introductory Theses: Axioms and Definitions, pp. 131-140
pseudodefinition の説明は出てくるものの、正直に言って、私は今一つよくわかりませんでしたので、pseudodefinition についてはここで詳述は致しません。
いずれにしましても、Leśniewski にとって pseudodefinition を definition の一種だとしてみます。そうしますと、次の文献で指摘されているように、
- Rafal Urbaniak and K. Severi Hämäri ''Busting a Myth about Leśniewski and Definitions,'' in: History and Philosophy of Logic, vol. 33, no. 2, 2012, p. 169
- Peter Simons ''Stanisław Leśniewski,'' in: The Stanford Encyclopedia of Philosophy, Winter 2011 Edition, First Edition Published in 2007, Section 4.2 Definitions
Leśniewski にとって definition は現在私たちが言うところの axiom の一つと考えられるので、pseudodefinition も axiom に分類されるものと見なすことができるかもしれません。したがって、Comprehension Principle を最初に axiom として立てたのは、Leśniewski であった、ということになるかもしれません。ただし、Leśniewski が立てたとする Comprehension axiom には、量化子、特に存在量化子が含まれていますが、彼は存在量化子を彼独特の仕方で、ontological commitment を含まないものとして、解釈していましたので、彼が立てたとされる Comprehension axiom は、私たちが理解しているようなものとは随分異なるものとなっているかもしれません*11。そのため、現在私たちが理解するような Comprehension Principle を axiom として最初に立てたのは Leśniewski である、と言うことには、いくらか心理的抵抗が感じられます。
では、Leśniewski は別として、先ほどからの Tarski さんのポーランド語論文 (1933), 独訳論文 (1936) よりも前に、Comprehension Principle を axiom として立てた人はいなかったのでしょうか。
6. Gödel
Tarski さんよりも前に Comprehension Principle を axiom として立てた可能性のある人として、おそらくすぐに思い付くであろう人物の一人は、Gödel さんでしょう。Gödel さんの一番有名な論文といえば、以下の文献だろうと思います。
- Kurt Gödel ''On Formally Undecidable Propositions of Principia Mathematica and Related Systems I,'' in Solomon Feferman et al. eds., Collected Works, Volume I: Publications 1929-1936, Oxford University Press, 1986. This paper was first published in German in 1931.
はたせるかな、ここに Comprehension Principle が axiom schema として出てきます。上の文献の p. 155 に出てくる次がそうです。
1. ( Eu ) ( vΠ ( u(v) ≡ a ) )
ちなみに、以下の諸文献にも出てきますので、該当ページを掲げておきます。上の Gödel 論文か、以下の諸文献のどれかをお持ちの方は、確認してみてください。
- Jean van Heijenoort ed. From Frege to Gödel : A Source Book in Mathematical Logic, 1879-1931, Harvard University Press, 1967/1976, p. 601
- Kurt Gödel On Formally Undecidable Propositions of Principia Mathematica and Related Systems, B. Meltzer tr., Dover Publications, 1992, p. 44
- Martin Davis ed. The Undecidable: Basic Papers on Undecidable Propositions, Unsolvable Problems, and Computable Functions, Dover Publication, 2004, p. 12
- ゲーデル 『不完全性定理』、林晋、八杉満利子訳、岩波文庫、岩波書店、2006年、25ページ
- 廣瀬健、横田一正 『ゲーデルの世界 完全性定理と不完全性定理』、海鳴社、1985年、171ページ
今引用したばかりの式 1. は、
に従って、現代風に書き直すと、
∃P∀x ( P(x) ≡ φ(x) )
となります。
上記の式 1. は、Comprehension axiom schema だと思うのですが、そうだとしますと、Cocchiarella 先生のおっしゃる、Comprehension Principle を axiom として最初に立てたのは、1933/1936年の Tarski である、という主張は、間違っていることになると思います。Cocchiarella 先生がお間違えになるというのは、俄かには信じがたいのですが、どうも間違っているような気がします。Cocchiarella 先生が上記の Gödel の論文を知らないということは、あり得ないことだと思うのですが…。そんなことは不可能だと思う。
7. Russell
さて、それでは、上記の式 1. が Comprehension axiom schema だとすると、Gödel さんよりも前に、Comprehension Principle を axiom として立てた人はいなかったのでしょうか。いた可能性があります。
Tarski さんの英訳論文 ''The Concept of Truth ..., '' の p. 223, n. 1 に、次のように書かれています。先にも触れた Comprehension axiom としての pseudodefinition について、
Pseudodefinitions can be regarded as a substitute for the axiom of reducibility of Whitehead, A. N., and Russell, B. A. W. (90)[i.e., Principia Mathematica, 2nd ed.], vol. 1, pp. 55ff.
と述べられています。
また、先ほど言及した Gödel さんの論文 ''On Formally Undecidable Propositions ..., '' の p. 155 において、式 1. Axiom schema ( Eu ) ( vΠ ( u(v) ≡ a ) ) に関し、以下のように述べられています。
This axiom plays the role of the axiom of reducibility (the comprehension axiom of set theory).
ちなみに、余談ですが、
- Bernard Linsky ''Was the Axiom of Reducibility a Principle of Logic?,'' in: Russell, vol. 10, no. 2, 1990, p. 135
と、これを微修正して再録した、
- Bernard Linsky ''Was the Axiom of Reducibility a Principle of Logic?,'' in William W. Tait ed., Early Analytic Philosophy: Frege, Russell, Wittgenstein: Essays in Honor of Leonard Linsky, Open Court, 1997, p. 117
では、
Furthermore, there are two conditions to be met for descriptions such as "the F' to behave like names with regard to scope and substitution. It is not only necessary that one restrict oneself to extensional contexts, but that the description be proper (i.e. that there be one and only one F). A similar requirement that class abstracts behave like names is that, in addition to occurring in extensional contexts, the requisite predicative propositional function must exist. But that is precisely what the axiom of reducibility says. It is, as Gödel remarked, a comprehension principle, [...] *12
とあり、この引用文中では、the axiom of reducibility を Gödel は a comprehension principle だと言った、と記されていますが、それを裏付ける出典情報が、ここにはありません。しかもこの Linsky 論文は、次にも再録されているのですが、
- Bernard Linsky Russell's Metaphysical Logic, CSLI Publications, Center for the Study of Language and Information Lecture Notes, 1999, pp. 89-109
今引用したばかりの、Gödel が the axiom of reducibility を a comprehension principle だと言ったとのくだりは、どういう訳か削除されています (p. 100)。理由はよくわかりません。Gödel が the axiom of reducibility を a comprehension principle だと一番言っている可能性が高い文献は、Gödel が Russell の mathematical logic を論じた例の論文でしょうから、取り合えず、その邦訳
で、該当する文言を探したのですが、私が見た限りでは、どうも見当たらないような気がします*13。Gödel が言ったとする出典先が、''Russell's Mathematical Logic'' の中ではっきりしなかったので、Linsky 先生は Gödel の名前を削除されたのでしょうか。Gödel が the axiom of reducibility を a comprehension principle だと言っているらしい文言は、1931年論文の先ほどの引用文中に見られるように思われます。にもかかわらず、Linsky 先生がなぜ Gödel の名前を削除されているのか、よくはわかりませんが…。
閑話休題。余談の直前で引いた Tarski さん、Gödel さんの引用文から考えられることは、Whitehead and Russell の Principia Mathematica に出てくる the axiom of reducibility が、Comprehension Principle, Comprehension axiom/axiom schema に相当するということです。
実際、次の文献では、
- M. Detlefsen, David Charles McCarty and John B. Bacon Logic from A to Z, Routledge, 1999, p. 11
the axiom of reducibility について、以下のように述べられており、
[The] [a]xiom [of reducibility] proposed by Russell as a weakened form of the axiom of comprehension and included in the ramified type theory of Whtiehead and Russell's Principia Mathematica (1910).
加えて、最近読了した
- Gregory Landini Frege's Notations: What They Are and How They Mean, Palgrave Macmillan, History of Analytic Philosophy Series, 2012, p. 23
では、
Unfortunately, it is rarely appreciated that Frege's great advance in logic, and his thesis that logic is informative, turns on his discovery that comprehension is a part of pure logic. It is rarely appreciated because axiomatizations of formal systems involving explicit comprehension axiom schemata arrived rather late on the scene. The first comprehension axiom schema appeared in Whitehead and Russell's Principia Mathematica (1910).
と記されています。The first comprehension axiom schema が、具体的に the axiom of reducibility のことであるとは述べられていませんけれど、Landini さんの他の著書を開いて見ると、それが the axiom of reducibility のことであるとわかります*14。
こうして Landini さんの記述を信じれば、おそらく史上最初に Comprehension Principle が axiom として立てられたのは、the axiom of reducibility を打ち出した Whitehead and Russell の Principia Mathematica (1910) だろうと思われます*15。そうだとすると、Cocchiarella 先生の Tarski 1933/36年説を20年以上さかのぼることになります。しかしそれにしても Russell に詳しい Cocchiarella 先生が the axiom of reducibility をご存じないということは、絶対にありえないことなんですけれども…。それは論理的に不可能である、というぐらい絶対にありえないんですけれどもね。あるいは可能性としては、Cocchiarella 先生は the axiom of reducibility を、Comprehension Principle の仲間には、意図的に含めていないのかもしれません。
一応、Principia で the axiom of reducibility を見てみましょう。
- Alfred North Whitehead and Bertrand Russell Principia Mathematica to *56, Cambridge University Press, Cambridge Mathematical Library, 1997, p. 56
- A・N・ホワイトヘッド、B・ラッセル 『プリンキピア・マテマティカ序論』、岡本賢吾、戸田山和久、加地大介訳、叢書思考の生成 1、哲学書房、1988年、183ページ
において、the axiom of reducibility は、次のように出てきます。(一変数の propositional function の場合。)
⊢ : (∃ψ) : φx .≡. ψ ! x.
念のため、これを現代風に書き改めると、
- Roy T. Cook A Dictionary of Philosophical Logic, Edinburgh University Press, 2009, p. 25
に従えば、
In ramified type theories, the axiom of reducibility states that, for any concept (of any type) of order n, there is a concept of order 0 (of the same type) that has the same extension - that is, that holds of exactly the same entities. The axiom of reducibility is often formalized as:
(∀X)(∃Y)(∀z)(Xz ↔ Yz)
となります。
一方、(Unrestricted / Impredicative) Comprehension Principle はどうであったかというと、再び
- Roy T. Cook A Dictionary of Philosophical Logic, Edinburgh University Press, 2009
の p. 56 に従えば、
Within second-order logic, the comprehension schema is an axiom schema asserting that, for every predicate Φ(x), there is a concept that holds of exactly the objects that satisfy Φ(x). This can be expressed formally as:
(∃X) (∀y) ( X(y) ↔ Φ(y) )
と書けます。この式の Φ への量化を式中に明示してやれば、
(∀Φ) (∃X) (∀y) ( X(y) ↔ Φ(y) )
となると思われます。The axiom of reducibility と (Unrestricted / Impredicative) Comprehension Principle を並べて比べてみましょう。
(∀X)(∃Y)(∀z)(Xz ↔ Yz)
(∀Φ) (∃X) (∀y) ( X(y) ↔ Φ(y) )
よく似ています。前者の 'z' を 'y' に書き換え、'X' を 'Φ' に書き換え、'Y' を 'X' に書き換え、そしてその式内の同値式の左右の辺を入れ替えてやって、二つの式をもう一度並べてみましょう。
(∀Φ)(∃X)(∀y)(Xy ↔ Φy)
(∀Φ) (∃X) (∀y) ( X(y) ↔ Φ(y) )
そっくりです。このようにして並べてみると、the axiom of reducibility が、(Unrestricted / Impredicative) Comprehension Principle に、type と order を追加してできていることがわかります。言い換えると、the axiom of reducibility は、Restricted / Predicative Comprehension Principle に order を追加してできているということになります。
ここからわかることは、the axiom of reducibility というのは、その order の観念 (notion) を無視してしまえば、それは実質的に、Restricted / Predicative Comprehension Principle のこととして捉えられる、ということだと思われます。The axion of reducibility が最初に建てられた Comprehension axiom schema だと言う場合、order というものを無視してしまえば、そうなるということだろうと考えられます。
最後に、次の文献から、
- Edwin D. Mares, ''The Fact Semantics for Ramified Type Theory and the Axiom of Reducibility,'' in: Notre Dame Journal of Formal Logic, vol. 48, no. 2, 2007, p. 242
the axiom of reducibility が、Comprehension Principle の役割を果たしていると述べている文章を引用しておきます。
The axiom of reducibility is important to Russell’s theory of classes. It acts as a comprehension principle of sorts. For Russell, classes are logical fictions. *20.1 of Principia defines the expression 'the class of ψs is f ' as meaning that there is a predicative predicate φ that is formally equivalent to ψ and φ is f . Thus, in particular, a ∈ (ψz) (x[sic] is a member of the class of ψs) if and only if there is a predicate expression ψ such that ψa and ∀x ( ψx ≡ φx ). By the axiom of reducibility, therefore, all predicate expressions, predicative or not, determine classes.
この他に説明すべきこともありますが、もうこの辺りでやめておきます。私は Comprehension Principle について、よく知りませんので、以上の話には間違いが含まれていると思います。大変すみません。また、正確さの足りない個所や、misleading な個所、舌足らずな個所もたくさんあると思います。単なる備忘録でもありますので、そのまま真に受けないようお願い致します。誤字、脱字等にもお詫び申し上げます。
追記 (2012年8月27日)
Russell 本人が、the axiom of reducibility と Comprehension Principle との関係について、間接的に語っている個所として、Principia Mathematica to *56, p. 58, 邦訳、188ページも参照。
また、次においても、軽く触れられている程度ですが、the axiom of reducibility と Comprehension Principle との関係について、間接的に語られており、興味を感じる指摘が見られます。
追記 (2012年9月6日)
Principia の定理 *20.3 を見よ! *16
追記 (2012年9月13日)
The axiom of reducibility が最初に公表されたのは、1910年の Principia ではない。1908年の ''Mathematical Logic as Based on the Theory of Types'' において既に現れている。
*1:Cocchiarella, p. 206.
*2:Cocchiarella, p. 207.
*3:Cocchiarella, p. 252.
*4:私はこのポーランド語論文については未見です。(ドイツ語論文も未見です。) ちなみに、ポーランド語論文の著者名では Tarski の Jewish spelling または Polish spelling が使われているのかと思いましたが、もうこの頃には 'Tarski' で通していたようです。See Anita Burdman Feferman and Solomon Feferman, Alfred Tarski: Life and Logic, Cambridge University Press, 2004, pp.37-38.
*5:但し、Frege は Comprehension Principle を公理として立てていなかったとしても、the Rule of Substitution を implicit に利用していたことに注意すべきである。2012年10月5日 追記。この件に関しては、とりあえず、次を参照。Richard G. Heck Jr., ''A Logic for Frege's Theorem,'' in his Frege's Theorem, Oxford University Press, 2011, p. 279, n. 26. 2012年10月9日 追記。Also see George Boolos, '' Reading the Begriffsschrift,'' in: Mind, vol. 94, no. 375, 1985, p. 337, and in William Demopoulos ed., Frege's Philosophy of Mathematics, Harvard University Press, 1995, p. 171, and in George Boolos, Logic, Logic, and Logic, Richard Jeffrey ed., Harvard University Press, 1998, pp. 161-162. Furthermore, see Edward N. Zalta, ''Frege's Logic, Theorem, and Foundations for Arithmetic,'' in the Stanford Encyclopedia of Philosophy, 1998 / 2012, Section 1.3 The Rule of Substitution and Section 1.4 The Theory of Concepts. 2012年10月17日 追記。この件に関して、日本語では次を参照。田畑博敏、『フレーゲの論理哲学』、九州大学出版会、2002年、105ページ、註14。2012年10月25日 追記。
*6:Cocchiarella, p. 251.
*7:Henkin, p. 203. なおこの式中の alphabet は、実際にはドイツ語の Fraktur が使われているが、一般的なものに変更しています。
*8:Church, p. 180.
*9:p. 284.
*10:p. 285.
*11:Luschei, pp. 134-135.
*12:Linsky, Russell, vol. 10, no. 2, 1990, p. 135. なお Tait 編集本では、上記引用文中の 'that is precisely what the axiom of reducibility says.' が、'the latter is precisely what the axiom of reducibility guarantees.' と、わずかばかり修正されています。
*13:『現代思想』に最初に載った邦訳までは調べていません。
*14:See Gregory Landini, Wittgenstein's Apprenticeship with Russell, Cambridge University Press, 2007/2009, Gregory Landini, Russell's Hidden Substitutional Theory, Oxford University Press, 1998.
*15:なお、Leśniewski さんが論理学に本格的に取り組み出したのは、Principia を読んでからでしょうし、そうすると、pseudodefinition/axiom としての Comprehension Principle を彼が立てたのも、1910年以降ということになり、Comprehension Principle を axiom として立てたのは、Leśniewski さんよりも Whitehead and Russell さんたちの方が先だった、ということになると思われます。
*16:Alfred North Whitehead and Bertrand Russell, Principia Mathematica to *56, Cambridge University Press, Cambridge Mathematical Library, 1997, pp. 189, 193, 188.