Heidegger After the Night of the Long Knives

先日、次の文献を拝見させていただいた。

大変興味深いものでした。印象に残ったことを三点だけ、記します。なお、私は Heidegger にも Schmitt にも詳しくありません。二人の哲学や思想について、よく知りません。以下の話で事実誤認や無知、無理解、見当違いに勘違いなどがございましたら謝ります。すみません。その際は訂正させていただきます。何卒お許しください。


(1)

上記の文献を読んで初めて知ったのですが、1934年から1935年にかけての Heidegger の Hegel 演習の記録が、既に2年前に刊行されていたようです。数日前までまったく知りませんでした。その記録が掲載されている本とは、次のものです。

この本については、上記メーリング論文の原注 (10), (12) や、訳者の権左先生による解説の中で言及されています (8ページ上段左端) *1。もう出ていたのですね。私はまだ見てもいないので正確なことは何も言えませんが、この本の出版は、たぶんかなり問題となるのではないかと推測します *2。ただし、その内容はある程度、みんなにわかっていましたので*3、突然大騒ぎになるということはないと思います。それでも、問題があることはあるのだと思います。まだ見ていないので、正確なことは言えませんが…。いずれにせよ、もう出版されていることに、ちょっと驚きました。


(2)

Schmitt 宛て、Heidegger による1933年8月22日付け書簡の文面が掲載されています。その一部を引用します。翻訳原文にある註は引用から省きます。

 ヘラクレイトスからの引用で、あなたが「王 (basileus)」を忘れなかったのは、特にうれしく思いました。「王」は、それを完全に解釈するならば、初めて完全な意味内容を格言*4全体に与えます。この数年間、私はこうした解釈を真理概念に関して準備しました。つまり、第五三の断片で現れる「証明する (edeixe)」と「する (epoiēse)」です。*5

Heraclitus の断片の第53とは、次のものです。権左先生の訳注の1から引用します。

「戦争 (polemos) は万物の生みの親であり、万物の王 (basileus) である。戦争は、一方を神々だと、他方を人間だと証明し (edeixe), 一方を自由人に、他方を奴隷にする (epoiēse)」*6

この Heraclitus の言葉は、Schmitt からの Heidegger への献呈本中に献辞として書き込まれていた可能性があるそうです。メーリング先生が権左先生にそのように語ったと、権左先生の訳注の1にあります *7

私が上記の Schmitt 宛て、Heidegger による書簡文面中で引き付けられたのは、Heraclitus の「勝てば官軍」というような政治的意味合いを持つ主張を、とりわけ都合のよい屁理屈として捉えられる政治的な主張を、しかもこの書簡が書かれた当時の時代状況を考えると、そのような強圧的な主張は Nazism と結びついたであろうし、自らもそのように結びつけようと考えていたであろうそのような主張を、Heidegger は真理概念の中に読み込もうとしていた、ということです。ということは、Heidegger の Alētheia は、単なる哲学上の、無味無臭、中性的で中立、無害な概念なのではなく、Heidegger 自身、(強く右寄りの) 政治的意味合いを意図的に込めようとしていた概念なのではなかろうか、ということが予想されます。そのように思うと、Heidegger の Alētheia には、危険なにおいがしてきます。


(3)

上の (1), (2) で言及した事柄よりも、もっと私を強く捉えたのは次の文です。やはり、翻訳原文にある註は省きます。引用文中の「〔 〕」は訳者の権左先生によるものです。

 ハイデガーは、後の講義や演習でも、シュミットに対し時折論争を行っている。一九三四年度冬学期のヘーゲル演習で、ハイデガーは、ヘーゲルとの論争を新たな土台に置いて、国家に対する民族の優位を、ヘーゲルの「倫理」で把握しようと努めている。ヘーゲル右派による国家社会主義の弁護論は、当時広まっていた。演習を準備するため、ハイデガーは、シュミットの国家社会主義的プログラムの書『国家、運動、民族』を読んで、次のように書きとめている。ヒトラーライヒ首相に任命された権力掌握の日、一九三三年の「一月三〇日に、官僚層と国家を担う階層の統一を特徴とする一九世紀のヘーゲル的官僚国家は、別の国家構成に置き換えられた。従って、この日に「ヘーゲルは死んだ」と言える。」 まさに反射的に、[この Schmitt の言葉に対し] ハイデガーは反論している。「三三年一月三〇日に「ヘーゲルは死んだ」。 − 否! 彼はまだ全く「生きて」いなかった! − その時、彼は初めて生き始めたのだ。 − 歴史がまさに生き始める、あるいは死んだ時に」。改めて厳密に取れば、これは支持できない強引な主張である。ヘーゲル国家社会主義で初めて生き始めたのか? ハイデガーの演習は、国制史上の根拠を問うことなく、シュミットの [先ほどの] 名句を反駁しようとしたように見える。一九三四年度冬学期にハイデガーは、ヘーゲルを使って、シュミットに対抗し、国家社会主義がまだ憲法を持っていたと想定している。この際に、歴史的には、一九三四年の六月三〇日に 〔突撃隊・保守派の幹部が〕 公然と殺害され、八月二日に [大統領の] ヒンデンブルクが死去し、ヒトラーライヒ大統領の権限を引き継いだ後に、ハイデガーがこれを主張していることを考慮しなければならない。一九三四年の六月三〇日の殺害は、国家社会主義のテロルの歴史において一時期を画するものだった。この時期以後にまだヒトラーを公然と弁護した者は、もはや最終的に免責することはできなかった。ハイデガーの一九三四年度冬学期演習は、一九三三年度冬学期の学長演習とは別に政治的に評価しなければならない。ここで語っているのは、政治的予感 [あるいは政治的展望] を欠いた軽率な期待外れの人物である。

引用文中の「一九三四年の六月三〇日に 〔突撃隊・保守派の幹部が〕 公然と殺害され」たという話は、いわゆる長いナイフの夜のことです。調べてみると、どうもこのことは、文字通り、「公然」のことのようで、この粛清については、当時おそらくドイツ国内でも報道されており、一般市民でも知っていた事柄だったのだろうと推測します*8。しかも、この件に関し、首謀者の Hitler が何らとがめられることがなかったということも、みんな知っていたのだろうと思います。ということは、もちろんこれらのことを Heidegger も知っていただろうということです。これらのことを知りながら、なおも Heidegger は「国家社会主義がまだ憲法を持っていたと想定してい」たようです。推測ですが、当時は既に授権法により、Hitler の手によって、Weimar 憲法が事実上、停止させられていたと、人々は理解していたのではないかと思います。少なくとも、教養ある人々は、そのことを理解していたと想像します。ところで周知のとおり、憲法は国家権力を規制、統制するためにあります。その憲法が停止させられている状況というのは、凶暴な、あるいは凶暴になりうる強大な国家権力を野に解き放つことに相当します。好きにさせることを許すことに当たります。当時もおそらく一般に、憲法が死滅していることが認識されている中で、しかも長いナイフの夜を経た後で、それでもなお Nazis は憲法を持っていて、彼らは憲法の統制下にあり、憲法に従い合法的に秩序正しく行動しているのだということを、Heidegger は言いたいのでしょうか。ところで1933年は、強制収容所の第一号ができた年です*9。まだ、殺人工場は組織立った形で効率的に本格稼働する状態にはたぶんなく、この工場の中で何が行われているのかは、多くの人には知り得ないことでした*10。しかし、長いナイフの夜の出来事は、おそらく大抵の人が知っていたことだと思われます。当時の強制収容所の実態は知らずとも、周知のこの陰惨な粛清を目の前にして、それでも Hitler を支持すると明言することは、相当な commitment を持っていると理解せざるを得ません。長いナイフの夜「以後にまだヒトラーを公然と弁護した者は、もはや最終的に免責することはできなかった」と言われる所以です。


今挙げたばかりの引用文とよく似た文章が、既に何年か前に発表されていますので、参考のために長くなりますが引用してみます。次の文献からの引用です。改めて文献情報を記します。この文献は、評価が分かれるかもしれません*11

  • Emmanuel Faye  Heidegger: The Introduction of Nazism into Philosophy in Light of the Unpublished Seminars of 1933-1935, translated by Michael B. Smith, Yale University Press, 2009, First French Edition in 2005.


以下の引用文内の '〚 〛' は引用者によるもの、'[ ]' は英語原文にあるものです。英語原文に付されている註は省いて引用します。代わりに引用者による脚注を付します。

〚Chapter〛8


Heidegger and the Longevity of the Nazi State in the Unpublished Seminar on Hegel and the State


It has been said that Hegel died in 1933; on the contrary, it was only then that he began to live.  − Heidegger, Hegel, On the State*12


 Heidegger's writings of the years 1933-1934 that we have considered thus far, whether in the form of speeches, lectures, or courses, exalt the ''grandeur'' of the historical moment represented by the Führer's takeover of power and the ''transformation in the essence of man'' brought about by that event. The Hitlerian seminar of the winter of 1933-1934 revealed a Heidegger*13 attached to the consolidation of the institution of the Third Reich by the formation of a ''political nobility'' that, in his view, Bismarck lacked, a nobility destined to serve the furtherance of the domination of the Führerstaat body and soul, by arousing the eros believed to unite the German people to Hitler. The text we are about to examine, the second of the unpublished seminars to which the present work is dedicated, will enable us to progress further in our grasp of Heidegger's National Socialist commitment. It dates from the winter of 1934-1935 and bears the double title Hegel, On the State. There we find a Heidegger concerned with ensuring the very long-term durability of the Nazi state.
 Already in the introduction of the seminar he does not hesitate to assert: ''The [present] state should to〚sic〛continue to exist beyond fifty or one hundred years.'' This statement, made at the end of 1934, shows that Heidegger projects the political reality of the Nazi state into the most distant future − even beyond the year 2034! We will see him enjoining his students to contemplate the perdurance of that state even beyond the person and lifespan of the Führer. This has nothing to do with any critical distance taken with respect to Hitler. The positive interpretation he gives to the finiteness of the ''one and only Führer'' in his course on Hölderlin of the same period, the praise for Hitler and Mussolini in his course given the following year on Schelling, and Karl Löwith's relevant statement in Rome in 1936 − all testify to his undiminished Hitlerism despite the assassination of Ernst Röhm and Schleicher on 30 June 1934, and the Nuremberg racial laws of September 1935. We must see in this long-term projection Heidegger's way of presenting himself as the one best suited to ensuring the ''spiritual'' direction and survival of the Nazi state over the long haul.
 This ambition shows that the aim of his teaching is not philosophical, but political. It is not a question of contributing to the progress of human thought, but of reinforcing the unconditional dominance of the Nazi state. Now at the time we are discussing, there was no longer any possible doubt: the Nazi state's violence was radically destructive to the human being and his fundamental freedoms, as shown by the racial laws instituted from 1933 to 1935, the daily acts of violence of the SA〚Sturmabteilung〛, the increasing grip of the SD〚Sicherheitsdienst〛and the Gestapo at all levels of administrative and academic activity, the opening of the first concentration camps, and the murders of the Night of the Long Knives. The fact that Heidegger considered himself to be the ''thinker,'' instituting in ''spirit'' the Nazi state that had been created by Hitler in concrete form and making its perpetuation possible, is confirmed as the seminar progresses. He even goes on to compare his ''doctrine'' of the state and its future realization to Aristotle's thought on movement, which, twenty-five centuries later, made possible the flourishing of mechanics and ultimately the automobile! Similarly, the ternary relation that unites poet, thinker, and creator of the state in the course on Hölderlin of the same period is further illustrated and reinforced by the way Heidegger conceives of the relation of his writings to the Führer's actions: that is, to the longevity of the ''present-day state'' instituted by Hitler.
 The will to project himself into the most distant future is what is most troubling about Heidegger. On the one hand, what he intends to make everlasting is quite simply the Nazism that came to power in 1933. On the other hand, his strategy of postwar ''reconquest,'' which has turned out to be such a tremendous success, tends to camouflage the Hitlerian and Nazi aquifer sustaining him from below. In this connection, the fact that this seminar is still not accessible but only announced as forthcoming in an indefinite future, in volume 80 of the Gesamtausgabe, which is supposed to contain all the seminars devoted to Hegel and Schelling (but this seems materially unrealizable) *14, shows that Heidegger's intention is still operative today, since the plan is to publish, in the guise of a work of philosophy on Hegel, a teaching whose avowed purpose is to give permanence to the Nazi domination.*15


引用文中に 'Karl Löwith's relevant statement in Rome in 1936' とありますが、これは次のようなことを指すのだろうと推測します。1936年に Rome で Löwith と Heidegger は会い、話をしています。その際の模様を Löwith が報告しています。以下の '〔 〕', '( )' は邦訳原文にあるものです。'〚 〛' は引用者のものです。

あくる日、妻とわたしとは、ハイデガー・夫人・二人の息子たち〚…〛といっしょに、〚…〛遠足に出かけた。陽光かがやく晴天で、わたしは、ハイデガーといっしょにすごすこの最後の機会を − 気おくれは避けられなかったが − 楽しんだ。ハイデガーは、この 〔私的な〕 機会にさえ党員バッジを上着からはずしていなかった。ローマ滞在の全期間それをつけていて、自分がわたしといっしょに一日をすごす場面にはハーケンクロイツがふさわしくないのだということには、明らかに思い及んでいなかった。〚…〛帰り道、わたしは、かれがドイツの状況とこれにたいする自分の態度とについて自由に意見を述べるように仕向けよう、と思った。会話を『新チューリヒ新聞』紙上の論争のほうへもっていって、自分は先生にたいするバルトの政治的攻撃にもシュタイガーの先生弁護にも賛成しないが、それは、先生のナチズム支持が先生の哲学の本質に含まれていることだという意見だからだ、と言明した。ハイデガーは、留保ぬきにわたしの右の意見に同意して、自分の「歴史性」(Geschichtlichkeit) という概念が自分の政治的「出動」の基礎だということを詳しく述べた。そのヒトラーにたいする信頼の念についても、疑問の余地を残さなかった。ただ二つのものだけは、ヒトラーは過小評価していた、それは、キリスト教諸教会の生命力とオーストリア併合にとっての障害物とだ、とかれは言った。ナチズムがドイツ発展の方向をさししめす道だ、とあいかわらず確信していた。ただ、たっぷり長い時間「耐え抜」かなければならないということはある、という。*16

「Heidegger 先生、先生の哲学の本質には、Nazism が含まれているのですね?」 「その通りだ、含まれている。」 Löwith の報告に間違いや虚偽がないならば、これはどう考えればよいのだろう?


もう一つ、Faye さんの本から引用させてください。

 Heidegger makes a parallel between the Hegelian system's affirmation of fullness and totality, and the impossibility of giving a determined content to the current state, in such a way that as nature abhors a vacuum, he ends up identifying the National Socialist state with the Hegelian spirit*17. The culminating point of the seminar is doubtless the moment when Heidegger, with no preliminary justification, abruptly makes the following assertion. ''It has been said that in 1933 Hegel was dead; on the contrary, it was only then that he began to live.''
 This loathsome assertion − it is the shock I felt when coming upon it that led to the writing of this book − cannot be justified, whatever one's judgment may be of Hegel's philosophy and his doctrine of the state. The brutality of the statement confirms, in that winter of 1934-1935, the radical nature of Heidegger's Nazi commitment. What he appreciates in Hegel's doctrine is not a bygone moment in past conceptions of the state but the possibility of finding within it the very image of the state such as it was being realized since Hitler's seizure of power in 1933. What is indefensible in the utterance is both the fact that in it Heidegger reaffirms his allegiance to the power of Hitler before his students in the beginning of 1935, and that he associates and merges philosophy and Nazism by identifying Hegel with the year 1933.*18

「1933年に Hegel は死んだと言われている。だが、むしろその反対であって、その時になって初めて、Hegel は生きることを始めたのである、この世に生まれ、命を得たのである。」 Hegel 哲学というのは、Nazism を注入されなければ、いみがない、死んでいるのも同然、哲学として体をなさない、という感じに聞こえます。Hegel 哲学というのは、西洋哲学史上の頂点であると言われることがあると思いますが*19、そうだとすると、むしろ Hegel 哲学が Nazism の注入によって本当に命を得た瞬間こそ、つまり1933年の Nazis による政権獲得の瞬間にこそ、西洋哲学史上の頂点がある、ということになります。「1933年に Hegel は死んだのではなく、生まれたのだ」というこの言葉に Faye さんは、'it is the shock I felt when coming upon it that led to the writing of this book' と述べておられるのが印象的です。


1934年6月末の長いナイフの夜の後、この件を知っていたであろう Heidegger は、それでも Nazism を支持していたようです。そのことを1935年初頭の seminar で明らかにしているようです。また、1936年に Rome で Löwith に対し、自身の哲学の本質に Nazism が含まれていることを、自ら認めているようです。先ほどの Löwith の引用文末尾にあるように、Nazism の運動に対しては、長年にわたって耐え忍びつつ見守っていかねばならないのだから、その運動について多少の紆余曲折、本道からの逸脱はあろうとも、それはやむを得ない、と Heidegger は考えていたのかもしれません。また、戦後になって Heidegger の弟子である Hans Jonas さんが、関係を絶っていた Heidegger と和解を試みるため、師のもとを訪れましたが、ユダヤ人である Jonas さんに対して Heidegger は、1933年以降の自身の言行について、説明もしなかったし、詫びの一言もなかったようです。Jonas さんの言葉を引いてみます。

われわれの再会はもちろん、本質的に言って、マールブルク時代の思い出の短い交換にすぎず、私にとって決定的な事柄は語られなかった。1933年以後の出来事について、ナチス・ドイツにおけるユダヤ人の境遇や私の母の運命について一言あるかもしれないと期待していたならば、私はあらためて苦い幻滅を味わったことだろう。私は自分に対して、この会見によってハイデガーとの関係をめぐる格闘に決着をつけたが、彼の側からの説明、いわんや遺憾の言葉はなかった。われわれ二人を長らく隔ててきたものは、沈黙におおわれて残ったのである。*20


一方、次のような話もあります。

 戦後の釈明では、ハイデガーは、ヒトラーが民族全体に対する責任を負ったからにはすべてがまとまるだろうと信じていたが、一九三四年六月のレーム事件 [長いナイフの夜の件] からこの信念の誤りを悟ったという。革命の継続を求める声をヒトラーが大規模な粛清によって封じ込めたからであろうか。*21

長いナイフの夜の後、seminar で Nazi を支持するような発言をし、Löwith にもその種の発言をし、戦後、Jonas には、無言で通した Heidegger, その一方、長いナイフの夜の件によって、Nazism の誤りに気が付いたと言う戦後の Heidegger, 何かが食い違っているように見える。これは一体どういうことなのだろう?


2013年9月11日追記:

1.
購入したばかりの次の本を読んでいると、

この本の中に、とても興味深い一節を見かけたので、記しておきます。引用文中の註 (11) は Putnam さんによるものです。翻訳原文にある傍点は、時間がないので、省略させていただきます。

レヴィナスにとって規範的な意味において人間であること (ユダヤ人が人間と呼ぶものであること) は、私が [ヘブライ語で] hineni [「ここに私はいますよ、お助けしましょうか?」] と答えるよう命令されているのを承認することを意味した。[…] もしあなたが「なぜ私が彼/彼女のために骨を折るべきか」 [「何で私がわざわざ彼/彼女を助けてやらねばならないんだ?」] と尋ねるとき、あなたはいまだ人間ではない。こういうわけでレヴィナスハイデガーを否定しなければならない。すなわち、ハイデガーは私自身の死を十分に評価すること (「死へ向かう存在」) が私を「彼ら」のなかの単なる一メンバーと対立するような本来の人間たらしめると考える。レヴィナスは本質的なことは他者との関係であると信じている(11)。

(11)
[…] もちろん、他者との関係を十分に評価することは他者の死にゆく運命を十分に評価することを意味する。ハイデガーとの対照がこれほど完全になるところはない。*22

Heidegger ならば、私に固有の死を、他の誰の死でもない私の死を、つまり他人には無関係である私の死を自覚することが、人間を人間たらしめると言っているのでしょうか。これはつまり、人の死にお構いなく、自分の死だけを見つめ、他の人のことを後回しにするという態度になると思われます。これに対し、Levinas の場合は、人間が人間になるのは、自分の死を考えずに、他人の死を優先的に考えて気遣いを示してあげる時、常にこのような態度でいる時、このような時にこそ、人間は人間であるのだ、ということでしょうか。


2.
以下のような本が間もなく出るようです。Seminar の記録です。

  • Martin Heidegger  Nature, History, State: 1933-1934, Translated by Gregory Fried and Richard Polt, Bloomsbury Academic, Athlone Contemporary European Thinkers Series, Due in October 2013

本の内容は次の通り。

The seminar, which was held while Heidegger was serving as National Socialist rector of the University of Freiburg, represents important evidence of the development of Heidegger's political thought. The text consists of ten 'protocols' on the seminar sessions, composed by students and reviewed by Heidegger. The first session's protocol is a rather personal commentary on the atmosphere in the classroom, but the remainder have every appearance of being faithful transcripts of Heidegger's words, in which he raises a variety of fundamental questions about nature, history and the state. The seminar culminates in an attempt to sketch a political philosophy that supports the 'Führer state'. The text is important evidence for anyone considering the tortured question of Heidegger's Nazism and its connection to his philosophy in general.

これも問題がありそうな本ですね。追記終り。


上記の内容に関し、誤解や無理解や、誤字、脱字などがございましたら、改めてお詫び致します。申し訳ございません。Heidegger の哲学については、よく知りませんので、上の話は間違っているかもしれません。間違いがありましたら訂正させていただきます。どうかお許しください。

*1:権左先生はドイツ語の書名 (またはその和訳名) を記してはおられませんが、文脈から先生はそこで Seminare: Hegel - Schelling のことを述べれられているとわかります。

*2:既に問題となっているのか、それとも大して問題にされずに忘却されるか無視されるのか、それはわかりませんが…。

*3:See Emmanuel Faye, Heidegger: The Introduction of Nazism into Philosophy in Light of the Unpublished Seminars of 1933-1935, translated by Michael B. Smith, Yale University Press, 2009, First French Edition in 2005. なお、私はこの本を、ところどころ拾い読みしただけで、通読はまだ致しておりません。

*4:この格言とは、おそらく次に引用する Heraclitus の言葉のことだろうと推測されます。引用者註。

*5:メーリング、10ページ。

*6:メーリング、18ページ。私は Heraclitus の専門家ではないので、ここでの Heraclitus の言葉が、正確に言って、何をいみしているのか、厳密なところはわからないのですが、少なくとも表面的には、戦争は「勝てば官軍」だ、ということが、その一面として言われているのだろうということはわかります。次の言葉が思い出されます。「戦争が済んだ後でその勝利者が、自分の方が正しかったから勝ったのだと、品位を欠いた独善さでぬけぬけと主張する場合」、それは「騎士道精神に反する。」 マックス・ヴェーバー、『職業としての政治』、脇圭平訳、岩波文庫岩波書店、1980年、83ページ。国家間の戦争における道義的な責任をどのように処理すべきかについて、自身の主張を述べるために、今のセリフを Weber は口にしているのですが、「戦争の道義的埋葬」の方法に関しては、今のところ私は全面的に Weber に同意しているというわけではございません。正直に言うと、考えあぐねております。

*7:メーリング、18ページ。なお、メーリング先生と同じ推測が、既に次の文献でなされています。Faye, Heidegger: The Introduction of Nazism into Philosophy ..., p .155 を参照。参考までに述べますと、この p. 155 に今問題にしている Heidegger の書簡英訳が掲載されています。ドイツ語原文は、同書の p. 373, note 8 に載っています。

*8:ドイツではなく America での話ですが、長いナイフの夜の翌日に、早速 The New York Times はこの夜の出来事を伝えています。See ''Nazi Chiefs Tell of Ending Revolt,'' in: The New York Times, July 1, 1934, http://graphics8.nytimes.com/packages/pdf/topics/germany_timeline/7-1-1934.pdf. この記事は、Nazi 党が出した当夜の件に関する声明や、Hitler による布告などに基づき、それをほとんどただ英訳しただけのものから成ります。その声明や布告では、当夜のような事態に至った経緯や、執り成しを行ったことの正当性が主張されています。Hitler が lead して執り成しが行われたことが、記事の記述からはっきりわかります。また、1934年7月13日に Hitler は国会で演説し、この事件に関し、報告ならびに釈明あるいは正当化を行っています。次を参照。ウィリアム・L・シャイラー、『第三帝国の興亡 1 アドルフ・ヒトラーの台頭』、松浦伶訳、東京創元社、2008年、442, 447ページ。長いナイフの夜に関する詳しい記述は、この本の424-448ページ、「1934年6月30日の血の粛清」にあります。以上のことにより、長いナイフの夜については、その夜の翌日には、ドイツ国民にも知られるようになっていたと推測します。2013年9月11日追記: ハインツ・ヘーネ、『髑髏の結社・SSの歴史 上』、森亮一訳、講談社学術文庫講談社、2001年、「第6章 レーム一揆」、221ページを見ると、Nazi の機関紙である Völkischer Beobachter に、長いナイフの夜の翌日らしき号の紙面において、「レーム逮捕」の大見出しが出た、との話が書かれている。この紙面を刑務所に収監された Röhm に見せ、「もうこのようなことになっているから、自分の進退にけりをつけよ」と自決を迫られるが、自決しようとしないので、この後すぐ、Röhm は射殺されたようです。Net で画像を探すと、'Völkischer Beobachter, 1. Juli 1934' が出てきて、一面の top に Fractur で、'Röhm verhaftet und abgesetzt', 「レーム逮捕・解任」という見出しが躍っています。というわけで、Völkischer Beobachter がどれだけの数、発行されていて、どのような人々が購読していたのか、そこまでは調べてはいないのですが、この機関紙を通じて、おそらく多くのドイツの人々が長いナイフの夜のことを知ったのだろうと思います。Heidegger は党員だったから、この機関紙のこの号を読んでいたかもしれません。ちなみに今言及したヘーネ著、『髑髏の結社・SSの歴史 上』の「第6章 レーム一揆」では、長いナイフの夜の話がかなり詳しく説明されています。Note を取りながら読まないと、よくわからなくなってしまうぐらい結構詳しいです。

*9:E. コーゴン、『SS国家 ドイツ強制収容所のシステム』、Minerva 西洋史ライブラリー、50, ミネルヴァ書房、2001年、40ページ。

*10:前註参照。

*11:ここで一言申し添えておきますと、この文献については、おそらく高く評価する方もいれば、この文献に憤慨する方もおられるだろうと推測します。この文献を書かれた Faye さんの stance としては、遠目から Heidegger と Nazis の関係を、突き放して眺めて、問題点を見た後にふたを閉じる、という行動を取るのではなく、「Nazi である Heidegger の考えを、真理を表す偉大な哲学だとすることは、完全に間違っており、非常に危険だ。これは哲学に対する冒涜であり、人類に対する挑戦である。これは看過できない。手遅れになる前に何としても正さねばならない。それが人類のためだ。」という調子を持っており (See Faye, p. xxv.)、積極的な行動に打って出ているという感じを抱かせます。そのため、Faye さんのこの著作を高く評価する人々は、「あっぱれ、立派だ。そうでなければいけない。」と称賛するかもしれませんが、この著作に憤慨する人々は「余計なことをするのではない。勝手なことをするんじゃない。」と、不快の念を述べるかもしれません。Faye さんの行為に対しては、よいいみでも悪いいみでも、「人道的介入 (humanitarian intervention)」という言葉が個人的に思い浮かびます。

*12:Faye, p. 385 に、次のように書かれています。'Epigraph from ''Man hat gesagt, 1933 ist Hegel gestorben; im Gegenteil: er hat erst angefangen zu leben.'' (Heidegger, Hegel, über den Staat, Winterseminar 1934-1935, Deutsches Literaturarchiv, Marbach am Neckar, beginning of the eighth session, 23 January 1935, reportatio by Wilhelm Hallwachs, f. 75 v^o.)' Also see Faye, p. 389, n. 37.

*13:英文解釈に関する話を一つ。ここでは固有名詞である人名の前に不定冠詞が付いています。この paragraph の最後の文の中にも、'a Heidegger' という表現が出てきます。これらが誤植でないとして、人名の前に不定冠詞が付く場合の解釈には主に四つあると思います。例えば 'He is a Hitler.' とあれば、(1) 「彼はヒトラーみたい (に極悪) な奴だ。」ということを述べているか、(2) 「彼はヒトラー家のうちの一人だ。」ということのどちらかを、通常述べているものと思います。そして (1) でも (2) でも 'He' と言われている人物は、Hitler 本人ではないのが普通だと思います。次に (3) 'You have a call from a Mr. White.' とあれば、「(どこの誰だかよくわかりませんが) ホワイトさんとかいう方からお電話です。」となると思います。さらに (4) 'This is a Picasso.' とあれば、「これはピカソの作品の一つです。」となると思います。これら四つの解釈のうち、どれが今の 'a Heidegger' に当てはまるのかを考えてみると、まず、(2) と (3) は明らかに除外されると思います。残る (1) と (4) のうち、可能性が最も高いように思われるのは (1) ですが、しかしそうすると、Heidegger 本人に対し、「Heidegger みたいな人物」と言うことになり、何だか不自然です。(4) の解釈を取ると、Heidegger の著作物について言われることになりますが、そのように解しても、何とか筋を通すことができるようにも感じますが、少し迂遠であり、この paragraph 最後の文に出てくる 'a Heidegger' を Heidegger の著作物と解することは、不自然に感じられます。 (1) から (4) のうち、どれかを取らねばならないとすると、どれを取ればよいのか、英語力のない私にははっきりしません。あるいは「Heidegger ほどの偉大な哲学者が ... 」と言うつもりで、'a Heidegger' と表現し、(1) に近い解釈を取るよう、読者に促しているのかもしれません。そんなことがありうるのかどうか、私にはよくわかりませんが…。とりあえず、ここの解釈については、それほどこだわらなくても、一応何となく言わんとしていることはわかりますので、これ以上追究することはやめておきます。なお、人名などの固有名詞に不定冠詞が付いた時のいみは、どのような mechanism を持っているのか、このことについては、石田秀雄、『わかりやすい英語冠詞講義』、大修館書店、2002年、210-223ページの「固有名の問題」において、詳しく説明されています。

*14:今回の日記項目の (1) にあるように、volume 80 として出版の予定だったものは、volume 86 として、実際に出版されました。

*15:Faye, pp. 203-205.

*16:カール・レーヴィット、『ナチズムと私の生活 仙台からの告発』、秋間実訳、叢書・ウニベルシタス 325, 法政大学出版局、1990年、93-94ページ。

*17:この文は、この引用文の前を読んでいないとよくわからないと思いますので、この文を大まかに意訳すると、次のような感じになるかもしれません。「ヘーゲルの体系が完全性 (充溢性) と全体性を肯定する (求める) ことと、現今の国家ということばに内容を詰め込んで確定させることができないということを、自然は真空を嫌うというようなたとえを通す仕方でハイデガーは比較し、最終的に国家社会主義の国 (ナチのドイツ) にヘーゲルの精神 (Geist) を注入することで国家社会主義の国をヘーゲルの精神と、ハイデガーは同一視しているのである。」 訳文中で「(充溢性)」や「詰め込んで」、「注入する」という表現を使ったのは、真空のたとえに絡めるためです。なお、誤訳しておりましたら大変すみません。Hegel にも Heidegger にも私は無知ですから、その可能性は大です。

*18:Faye, p. 223.

*19:本当にそうかどうかはまた別だと思いますし、そのような解釈は、話を単純化させすぎているという意見もあろうかと思いますので、Hegel 哲学が西洋哲学史上の頂点であるということは、とりあえず単なる一つの見方として、ここでは捉えておきます。

*20:ハンス・ヨナス、『ハンス・ヨナス 「回想記」』、盛永審一郎、木下喬、馬渕浩二、山本達訳、東信堂、2010年、274ページ。

*21:後藤嘉也、「ハイデガー」、野家啓一編、『哲学の歴史 第10巻 危機の時代の哲学 【20世紀 I】』、中央公論新社、2008年、347ページ。なお、「信念の誤りを悟った」とする Heidegger の告白の典拠情報が、ここにはないようです。どこかの文献から、この告白の情報が得られるのでしょうが、どの文献にこの告白が記されているのかは、ここでは明記されていないようです。あるいはもしかすると、この引用文の少し後に注記されている、H. W. Petzet, Auf einen Stern zugehen, 1983 という本に、この告白が書かれているのかもしれませんが、私は未確認です。

*22:パトナム、123-125ページ。