If McTaggart had not got married, Russell would not have read Leibniz, then the Leibniz Renaissance might not have happened.

先日、次の本を購入した。

  • Ralf Krömer and Yannick Chin-Drian eds.  New Essays on Leibniz Reception: In Science and Philosophy of Science 1800-2000, Birkhäuser, Publications des Archives Henri Poincaré / Publications of the Henri Poincaré Archives, Science Autour de / Around 1900, 2012.

ぱらぱらとなかを眺めていると、

  • Nicholas Griffin  ''Russell and Leibniz on the Classification of Propositions''

という論文が収録されていて、その冒頭を読むと、ちょっと面白いようにも感じられたので、その冒頭部分を引用してみます。その内容は、例によって「ものすごく重要な事柄だ」というわけではございません。まぁ、それ自身は、確かにものすごく重要というわけではないことは、Griffin 先生もお認めいただけると思います。話のつかみとして、少し面白いかもしれないような話から Griffin 先生は論を説き起こしておられるのでしょうし…。この Griffin 先生の文を引用する前に、その引用文の内容に関係してくる別の文を二つ、まず初めに引用します。次がそれです。

 これまでライプニッツの哲学には時代ごとに新たな読解と新たな解釈とがあった。数学者、『弁神論』の著者にはじまり、一八世紀にヴォルテールの戯画化した「パングロス博士」、カントが見た「ライプニッツ=ヴォルフ哲学」のドグマティストを経て、彼は一九世紀に初めて歴史的研究の対象となる。そしてその姿は二〇世紀初頭の「ライプニッツルネサンス」によって記号論理学者にして哲学者へと移り変わった。*1

 二〇世紀の開始期には、ライプニッツの論理学を重視し、形而上学をも論理学に基づけようとする所謂「汎論理主義的」なライプニッツ解釈がラッセル、クーテュラ、カッシーラーによって提示され、研究史を画する傾向となる。*2

これら二つの引用文からわかることは、Russell らが描き出した Leibniz の哲学は、彼の論理学にその基礎を持つものであり、このような解釈が受け入れられて行った過程を 'the Leibniz Renaissance' と呼んでいる、ということです*3。このことを踏まえた上で、問題の Griffin 先生の文を引用してみましょう。そして引用者による大まかな試訳を付してみます。個人的な試訳/私訳なので、誤訳が含まれているかもしれません。決して和訳だけを読まずに、まずは英語原文をお読みください。もしも文意が取りにくいところがございましたら、その時に限り、和訳を慎重な態度を崩さずに参照してみてください。前もって含まれているであろう誤訳や、うまくない訳文に対し、お詫び申し上げます。なお、原文にある註は省いて引用します。代りに引用者による註を付します。また、訳文中に補足的な説明を加えた個所もございます。これら引用に関する注記事項は、以下で上げるすべての引用文に当てはまります。

We owe Russell's book on Leibniz*4 to a very improbable series of events, of which surely the most improbable of all was that McTaggart was getting married. It was McTaggart who was scheduled to give the lectures on Leibniz that Russell ended up giving at Trinity College, Cambridge during Lent Term of 1899 and it was McTaggart's marriage that prevented him from giving them. Now getting married (even for McTaggart) would not normally be so traumatic an event as to prevent one from lecturing, but McTaggart's bride-to-be was a New Zealander. So McTaggart's nuptials in 1899 took him away from Cambridge for a very long time while he travelled to the other side of the globe in pursuit of love - the relation which, in his metaphysics, appropriately enough, held the Absolute together. In his absence, Trinity College looked around for a replacement lecturer, and offered the job - another unlikely event - to Russell. Why they would have chosen Russell is not clear. He was not known to be interested in Leibniz, or even very much in the history of philosophy. And there were other people at Cambridge who might well have been available: G. F. Stout regularly taught early modern philosophy there. But given that they did offer the lectureship to Russell, it is another mystery why he accepted it. His own work was at that time in a state of rapid transition which might have been expected to keep any normal workaholic more than fully occupied. It was not that he needed the money: he was not a wealthy man, but he already had a Fellowship stipend from Trinity which he was giving away to the London School of Economics. He did not enjoy lecturing, being still quite painfully shy on public occasions. Nor would the subject have seemed particularly attractive to him. Describing his attitude to Leibniz at the start of his research, he said that the Monadology appeared to him as 'a kind of fantastic fairy tale, coherent perhaps, but wholly arbitrary' […]. This hardly seems like a recommendation of the subject. Nonetheless, Russell did accept the invitation and the result of this once-only teaching assignment was not just a book on Leibniz, but a very important book, which, as Nicholas Jolley says, exerted 'a huge influence on Leibniz studies ... for much of the twentieth century'.*5


我々が Leibniz に関する Russell の本を手にしているのも、実にあり得ないようなことが続いたおかげである。そのようなあり得ない出来事のうち、まさに最もあり得なかったことは、McTaggart が結婚しようとしていたことだった。McTaggart こそ Leibniz について講義する予定だったのだが、結局 Russell が1899年の春学期に Cambridge の Trinity College でその講義を行なったのであり、McTaggart が結婚したことこそが、彼に講義をできなくさせてしまったのである。ところで通常、(McTaggart にとっても) 結婚したら、講義ができなくなってしまうような心の傷を受けることになるわけではないだろうが、講義できなくなったのも、彼が結婚しようとしていた女性が、New Zealand の人だったからである。それで McTaggart は1899年に結婚式を行うため、長い間、Cambridge を離れ、その間、愛を求めて地球の反対側に行っていたのである。その二人の絆という関係により、McTaggart の形而上学の点からは正しくも、愛という絶対的なものが一つに固く結ばれたのだった*6。McTaggart が不在の時、Trinity College は彼の代りの講師を探し、また一つあり得ないこととして、Russell に代りの仕事を頼んだのである。なぜ大学が Russell を選んだのか、はっきりしたことはわからない。Russell は Leibniz に興味を持っているとは思われていなかったし、それどころか哲学史に興味があるなんて思われていなかったのである。それに Cambridge には、教えることのできたであろう人々が他にもいたのである。例えば G. F. Stout はその大学で定期的に近世の哲学を教えていた。しかし大学が講義の仕事を Russell に回した理由を不問に付すとしても、なぜ彼がそれを受け入れたのかが、また新たな謎である。Russell 自身の研究は当時、急速に変遷する過程にあり、そのような状況だと、よくいるようなただでさえ忙しい人を、引き続き、さらに忙しくするように思われたであろうからである。Russell は、お金を必要とはしていなかった。なぜなら、彼は富豪ではなかったけれども、Trinity College から Fellow としての給費を既に受けていて、それを LSE に寄付していたからである*7。彼にとって講義をすることは、気分のいいことではなかった。依然としてひどく苦痛を感じるほど人前で話すのが苦手であったのである。それに講義内容は、彼にとって特に興味深い、ということでもなかったであろう。Leibniz の勉強を始める際に、この哲学者に対し、どのような気持ちでいたのかを記しながら、Russell は次のように述べている。つまり、彼にとり、「『単子論』は一種の空想的なおとぎ話であり、おそらくつじつまは合っているかもしれないが、まったく恣意的なものである」と […]。これでは Leibniz の哲学を称賛しているようにはほとんど思われない。にもかかわらず、Russell は要請を実際受け入れ、この一度だけの講義の仕事の結果、Leibniz に関する本が一冊成るばかりでなく、非常に重要な本が成ったのであり、Leibniz 研究の専門家である Nicholas Jolley が言うように、この本は「20世紀において長い期間に渡り、Leibniz 研究に対し、巨大な影響」を及ぼしたのである。

ということは、McTaggart が結婚していなかったら、Russell は Leibniz を勉強することもなく、ひいては20世紀の多くの期間を席巻したと思われる the Leibniz Renaissance は生じなかった、ということでしょうか。まぁ、ちょっと大げさでしょうが、いずれにせよ、Russell が Leibniz を読むことになったのは偶然であり、この偶然の結果、彼の Leibniz に関する重要な研究書が世に出て、それでうまい具合に the Leibniz Renaissance が花開いた、という感じみたいですね。


そこで Russell はこの件に関して何か言っているのか調べてみると、次の文献で

  • Bertrand Russell  Autobiography, Routledge, Routledge Classics Series, 2009, First Published in 1975, p. 125,

若干言及していることに気が付きました。引用してみます。

 In the year 1898 […] I was at this time beginning to emerge from the bath of German idealism in which I had been plunged by McTaggart and Stout. I was very much assisted in this process by Moore, of whom at that time I saw a great deal. It was an intense excitement, after having supposed the sensible world unreal, to be able to believe again that there really were such things as tables and chairs. But the most interesting aspect of the matter to me was the logical aspect. I was glad to think that relations are real, and I was interested to discover the dire effect upon metaphysics of the belief that all propositions are of the subject-predicate form. Accident led me to read Leibniz, because he had to be lectured upon, and McTaggart wanted to go to New Zealand, so that the College asked to me to take his place so far as this one course was concerned. In this study and criticism of Leibniz I found occasion to exemplify the new views on logic to which, largely under Moore's guidance, I had been led.


1898年当時、私はドイツ観念論の湯船から上がり始めていた。私はかつてそこに McTaggart と Stout によって放り込まれていたのだった。私は湯船から上がる過程で Moore に大変お世話になった。当時私は彼によく会っていたのである。感覚可能な世界は実在しないと考えていた後に、table や椅子のようなものは本当に存在すると、再び思うことができるようになることは、実にわくわくすることだった。しかし私にとって最も関心を引いたのは、その論理的な面だった。関係は論理学にかかわるのだが、関係が実在すると考えることは、私にとってうれしいことだった。すべての命題は主語・述語形式を持つと考える形而上学に対し、大きな効果があることを見てみたいと思った*8。たまたま私は Leibniz を読むことになったのだが、それはこの哲学者について講義する必要があったからであり、McTaggart は New Zealand に行きたいと思っていて、それで大学は私にこの講義の course を一つだけ、McTaggart の代りをしてほしいと求めてきたのである。Leibniz を研究し、批判的に吟味する中で、論理学に関する新しい見方をものにする機会に恵まれた。このような見解に至ったのは、大部分、Moore が導いてくれたおかげであった。

ほんと、たまたまだったみたいですね。この Russell の話では、Moore がなぜ New Zealand に行きたがっていたのか、その理由が彼の結婚にあったのだ、とは書かれていませんが、少し調べると以下の文献に

  • Emily Thomas  ''John McTaggart Ellis McTaggart (1866-1925),'' in: Internet Encyclopedia of Philosophy, Section 1. Biography, http://www.iep.utm.edu/mctaggar/,

手短に触れられている。引いてみます。

Beginning in 1891, McTaggart took a number of trips to New Zealand to visit his mother, and it was there that he met his future wife. He married Margaret Elizabeth Bird in New Zealand on 5 August 1899, and subsequently removed her to Cambridge. They had no children.


1891年以降、McTaggart は母親に会うため、何度も New Zealand に行っていた。そして自分の未来の妻に会ったのも、そこでのことだった。彼は1899年8月5日、New Zealand で Margaret Elizabeth Bird と結婚し、その後、彼女を Cambridge に呼び寄せた。二人に子供はいなかった。

McTaggart のお母さんは元々 New Zealand にいたんですね。それでちょくちょく New Zealand に行ってはいたんだ。


なお、最初に引いた Griffin 先生の文の中で、McTaggart が結婚したことは、あり得ないことで意外である、というようなことが書かれていましたが、なぜそうなのか、McTaggart に詳しくないので私にはよくわかりません。しかし先ほどと同じ Russell の伝記の次の個所を見ると、

  • Bertrand Russell  Autobiography, Routledge, Routledge Classics Series, 2009, First Published in 1975, pp. 52-53,

その理由となりそうなことが書かれていたので、これも引用してみます。

 Another friend of my Cambridge Years was McTaggart, the philosopher, who was even shyer than I was. I heard a knock on my door one day - a very gentle knock. I said: 'Come in', but nothing happened. I said, 'Come in', louder. The door opened, and I saw McTaggart on the mat. He was already a president of The Union, and about to become a fellow, and inspired me with awe on account of his metaphysical reputation, but he was too shy to come in, and I was too shy to ask him to come in. I cannot remember how many minutes this situation lasted, but somehow or other he was at last in the room.


Cambridge 時代のもう一人の私の友人は、哲学者の McTaggart で、彼は私よりもさらに shy だった。ある日、私の部屋の door を knock する音が聞こえた。非常に物腰柔らかな knock だった。「どうぞ」と私は言ったが、何も起こらなかった。それで私はもっと大きな声で「どうぞ」と言った。そうすると door が開き、玄関 mat のところに McTaggart がいた。彼は当時既に学生会の会長で*9、間もなく fellow になるところだった。彼の説く形而上学の評判により、私は彼に畏敬の念を抱いていたが、彼は shy すぎて入ってこようとはせず、私も shy すぎて入ってくるようにそれ以上求めはしなかった。この状況がどれぐらいの間続いたものなのか、もう思い出せないが、結局どうにかこうにか彼は部屋に入ってきた。

大変内気で奥手であった、ということみたいですね。McTaggart が結婚したのは意外である、という理由は、これかもしれません。


あと、'the Leibniz Renaissance' という言葉が「汎論理主義的」な Leibniz 解釈という新しい波のことをいみしているのであれば、たぶん、この波は一応もうおさまっていると思われます。この新しい波は、多面的な Leibniz の哲学を、言ってみれば一面的に、論理学だけで説明し尽くそうという試みだと思うのですが、今ではこのように複雑な側面を有する Leibniz の哲学を単純化して説明するのではなく、その多様性を多様なまま理解しようと試みることの方が、おそらくですが主流となっているのではないかと推測しています。このように Leibniz をあるがままに理解しようとする試みの先鞭をつけたのが、たぶんですが、Michel Serres, Le Systèm de Leibniz et ses modèles mathématiques, 1968 だろうと思われます。この点については、例えば、長綱啓典他、「座談会 ライプニッツ研究のこれまで、いま、これから」、酒井潔、佐々木能章、長綱啓典編、『ライプニッツ読本』、法政大学出版局、2012年、5ページの佐々木能章先生のご発言、11ページの山内志朗先生のご発言をご覧ください。


以上で終わりますが、個人的には Russell が Leibniz を勉強した結果、Hegelianism から脱し、関係の重要性を確信するに至ったらしいことがわかり、興味深く感じました。この後、Russell はこの状況を押し進めて現代の論理学を整備して行ったのだろうと推測致します。そうだとすると、Russell と現代の論理学にとって、内気な McTaggart 先生が結婚してくれた偶然は、とても lucky なことだったと言えるかもしれませんね。あるいは McTaggart の奥さんに感謝しなければいけないかな。

最後に。私は Leibniz や Russell の専門家ではありませんので、今日の話に間違いが含まれていましたら謝ります。また、英語ができるわけでもないので、誤訳をしておりましたらすみません。その他、誤字、脱字などに対し、お詫び致します。念を押しておきますが、私は Leibniz, Russell の専門家ではありませんので間違っているかもしれませんし、和訳もひどい誤訳が含まれているかもしれませんから、そのまま信じてしまわずに、読まれる方は、必ず裏を取るなりしてご確認をお願い致します。


2014年1月4日追記

Russell の Leibniz 本が生まれたきっかけは、McTaggart にからむ偶然からだったという Russell 自身の回想は、次の文献でも語られています。

  • Bertland Russell  ''My Mental Development,'' in Paul Arthur Schilpp ed., The Philosophy of Bertland Russell, 5th ed., Open Court, The Library of Living Philosophers, vol. 5, 1971/1989, p. 12.

ただし、上記の本日の日記で述べたこと以上は語られていません。むしろ本日の日記で言及した文献の方がより多く語っています。

*1:松田毅、「ライプニッツ」、小林道夫編、『哲学の歴史 第5巻 デカルト革命 【17世紀】』、中央公論新社、2007年、520ページ。

*2:酒井潔、『ライプニッツ』、人と思想 191, 清水書院、2008年、132ページ。

*3:ただし、'the Leibniz Renaissance' という言葉が指す事柄を、もう少し広く取っている研究者もおられます。Leibniz のご研究でも有名な Benson Mates 先生は、近年、哲学の色々な分野の研究者が Leibniz に注目して来ていることと、Leibniz の大規模な著作集である Akademie 版が刊行され続けていること、Leibniz を主に取り上げる journal Studia Leibnitiana が創刊されたこと、Leibniz に関する様々な研究会が催されていること、これらを総称して 'this Leibniz Renaissance' と述べておられます。See Benson Mates, The Philosophy of Leibniz: Metaphysics and Language, Oxford University Press, 1986, p. 3.

*4:A Critical Exposition of the Philosophy of Leibniz, published in 1900.

*5:Griffin, pp. 85-86.

*6:この文は、このような訳でよいのか、正直に言って私にはよくわかりません。と言うのも、私は McTaggart の形而上学をまったく知らないからです。Hegelian なものでしょうが、詳しいことは全然知りません。彼の時間の哲学についてさえも知りません。ですから、この文は、気分で訳しています。彼の哲学に詳しい方ならば、もっと違った風に訳されると思います。完全に誤訳しておりましたらすみません。

*7:Trinity College の Fellow の給費を LSE に寄付できるものなのか、できたとしてもなぜ Russell はそのようなことをしていたのか、私はまだ確認を取っておりません。

*8:Leibniz もすべての命題は主語・述語形式を持つと考えていたみたいです。たぶん、Russell はこの Leibniz の考えを論駁することを通じて、British Hegelian を退け、この結果、湯船から上がることができたのであろうと思われます。

*9:'The Union' というのが正確に言って何を指すのかは未確認です。たぶん日本の中学校や高校における生徒会の Trinity 版のようなものではないかと推測しました。