How Were Buddhist Scriptures Translated into Classical Chinese? Part II: Was Each of Buddhist Scriptures Translated by One Translator Alone?

今回は、次の本を読んで意外に感じたことを記す第二回目。

  • 船山徹  『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』、岩波書店、2013年。

前回は仏典漢訳のスピードが、私たちが思うよりも圧倒的に速く、数年をかけてじっくり訳されるものなのではなく、一巻あたり数日とか数十日ぐらいで訳し下して行くものだったという意外な実態を記しました。今回記すのは、訳出の形態が意外であったという話です。その話を上記の書籍から抜き出して、引用してみます。

以下の引用文中にある '[…]' は、引用者によるものです。漢字の後に丸カッコをして、その中にその漢字の読みをひらがなで書いていますが、それも引用者によるものです。原文では漢字に添え字として読みが書かれているのですが、引用に際しては、丸カッコ内に入れています。それ以外のカッコの類いはすべて原文にある通りです。なお、原注は省いています。

では、どのようにしながら仏典は漢訳されたのでしょうか。ひとりの苦行僧のようなお坊さんが、暗闇に灯る一つのろうそくの明かりのもと、一字一句、時間をかけ推敲しながら訳文を、うんうんうめきつつ、ひねり出していたのでしょうか。どうもそうではなかったようです。私にはとても意外でした。

 漢訳の作成において翻訳が単一人によって行われることはほとんどなかった。漢訳は複数の人々が集まり、それぞれの役割を分担しながらチームとして行われるのが常であった。そうした複数の人々が集まって翻訳作業を行う場所や施設のことを「訳場 (やくじょう)」という。
 訳場の実態を知るためには、鳩摩羅什訳や玄奘訳のように官訳 (国家事業) か、真諦訳のように私訳かの別を視点とするのも有効だが、最も注目すべき区別は、聴衆の有無および分業組織の粗密によって、訳場を年代的に前後する二つの種類に分ける分類である。
 すなわち第一は、経典の講義を伴う訳場であり、六朝時代末までの大半のものはこの型である。そこには多人数の僧侶やそれ以外の聴衆が参加し、彼らは翻訳と解説とを見守りながら、時には古い訳本を持参して参照したり、また時には訳文の内容に関する質問が発せられて翻訳者側がそれに答えるような場合もあったらしい。こうした大人数による経典講義を伴う形の訳場では、訳者の分業体制はあまり細分化していない。後に詳しくみるように、「訳主 (やくしゅ)」という訳場の主導者、「筆受 (ひつじゅ)」という筆記係などの別があるにすぎない。これに対して第二は、隋唐から北宋のほとんどのタイプであり、比較的少数の専門家集団のみによる細かな分業体制の確立した訳場である。それは専門家のみからなる閉じた空間であり、専ら翻訳作業のみが、あたかも現代の製造業の工場のベルトコンベア上の流れ作業のようになされた。経典の講義は原則として行われなかった […]。
 経典講義を伴う多数参加型の代表は鳩摩羅什の訳場である。その具体例は後にみるが、数十人、時には数百人あるいは千人以上の僧侶や在家信者が集う、一種の法会 (ほうえ) (仏教儀礼) だった。翻訳に従事する人々には、その訳場の中心人物と、「筆受」と呼ばれる者、「伝訳 (でんやく)」と呼ばれる者などがおり、彼らの翻訳作業を見守る形で多数の聴衆が列席し、翻訳と同時に当該経典の解説や理解の難しい箇所を議論したりもした。羅什以後にも大勢が参加した訳場の記録がある一方で、隋唐以前にも少人数の訳場の例が少しはある […]。また参加者の人数に言及しない記録もある。したがって古型の訳場の特徴は、参加人数の多さよりも、訳経がある種の儀式として行われ、翻訳担当者以外にも公開された、閉じた空間でなかった点にみとめるべきであろう。
 他方、専門家集団による後代の訳場は経典講義とは無関係であり、原則として聴衆は存在しない。訳経院、翻経院、伝法院などと呼ばれる翻訳作業のための専門施設に翻訳分担者のみが集まり各々の役割を分担しながら、流れ作業のような形で翻訳した。役割は「訳主」 「筆受」 「度語 (どご)」 (「伝語」とも) 「潤文 (じゅんぶん)」 「証義 (しょうぎ)」などと呼ばれ、一つの担当に複数の人員が充てられることも多かった。役割分担の詳細は後述する。
 新型の訳場がいつできたかは十分に解明されていないが、役割の細分化は玄奘よりも以前、隋の大興城 (だいこうじょう) (長安、現在の西安) で那連提耶舎 (なれんだいやしゃ) の主導する訳場ですでにかなり明確な分業体制があったようだ […]。役割分担の理由は、仏典の漢訳が国家事業で行われたこと、それゆえ、速やかな翻訳が追求されたこと、そして那連提耶舎の場合は、彼が相当高齢だったため、強力な補佐が必要だったことなどが考えられるが、正確な理由はまだわかっていない。*1

これじゃあほとんど今で言えば concert みたいですね。あるいはいい意味での公開裁判みたいなものかな? または大学の市民講座?

 専門家集団による、分業体制の細分化され訳場のことをもうすこし詳しく紹介しておこう。[…]
 北宋の太平興国七年 (九八二)、訳経院の完成を記念してインド人僧の天息災 (てんそくさい) によって訳場のこけら落としと言うべき法要がとりおこなわれた。その詳しい様子は、『仏祖統紀』巻四十三に「訳場儀式」として記録される。天息災の主導したこの訳場儀式の様子は、有名な『般若心経 (はんにゃしんぎょう)』の経名と、経中の一節「照見五蘊皆空 (しょうけごうんかいくう)、度一切苦厄 (どいっさいくやく)」に即して説明されている。翻訳にたずさわって分業を担う係は「訳主」 「証義」 「証文 (しょうぶん)」 「書字 (しょじ) の梵学僧」 「筆受」 「綴文 (ていぶん)」 「参訳 (さんやく)」 「刊定 (かんてい)」 「潤文官 (じゅんぶんかん)」と呼ばれ、それぞれつぎの通りである。*2

  第一に「訳主」は、外に (僧たちの側に) 向かって正坐し、梵語の文を口で述べる。
  第二に「証義」は、訳主の左に坐り、訳主と共に梵語の文 (の意味内容に何か問題がないか) を討議する。
  第三に「証文」は、訳主の右に坐り、訳主が梵語の文を高らかに朗読するのを聴いて誤りがないか点検する。
  第四に「書字の梵学僧」は、梵語の文を注意深く聞いて、それを漢字で書き取る。ただしそれはまだ梵語である<(たとえば) […] kṛdaya クリダヤ (hṛdaya フリダヤの意) をまず最初に「紇哩第野 (きりだいや)」と、[…] sūtraṃ スートラムを「素怛覧 (すたんらん)」と転写する>。
  第五に「筆受」は、梵語を漢語に改める<「紇哩那野[ママ*3] (きりなや)」を今度は「心 (しん)」と訳し、「素怛覧」を「経 (きょう)」と訳す>。
  第六に「綴文」は、文字の順序を入れ替えて文章化し、語句の意味を通じさせる<たとえば筆受が「照見五蘊彼自性空見」とした場合、今ここで「照見五蘊皆空」とする。およそ梵語は多くの場合、動詞目的語を先に、動詞要素を後に表記する。たとえば、(漢語の) 「念仏」を (梵語では) 「仏-念」、「打鐘」を「鐘-打」 (の語順) とするように。それゆえ、字句の順序を入れ替えて文章化し、この土地 (中国) 文章に合うようにする必要がある>。
  第七に「参訳」は、(インドと中国) それぞれの土地の文字を比較検討し、間違いないようにする。
  第八に「刊定」は、冗長なところを削除し、語句の意味を確定する<たとえば、もし「無無明 (むむみょう) 無明」となっていたら二字の重複 (を削除して「無無明」に改め)、「上正遍知」となっていたら「上」の直前に「無」の字が欠けている (ので「無上正遍知」に改める)>。
  第九に「潤文官」は、僧たちの南側に席を設け、(訳語の表現が適切かどうかを) 念入りに調べ、(必要があれば適宜、) 潤色する<たとえば『般若心経』の場合、「度一切苦厄 (どいっさいくやく)」という一句はもともと梵本になかったものである。「是故空中 (ぜこくうちゅう)」という一句の「是故」の二字はもともと梵本になかったものである>。*4


あるいは現代においては、一人の自律せる近代的個人が、その個人の名のもとに、その個人に帰属する、その個人の創造的著作物として、文学作品は書かれ、かつ翻訳されると、反射的に考えてしまいますが、もしかすると当時はそのような創作の観念がなかったのかもしれません。当然一人の人が書いたり訳したりするものだと思ってしまいますが、たぶん口承文学の伝達の際に、多くの人の口を介する中で、その文学が誰のものでもあり、かつ誰のものでもないという特徴を帯びて行くであろうことと同様に、仏典の漢訳も一個人に帰属する著作活動ではなく、共同的な産物であることが当然視されていた結果、皆で訳すというようなことが行われていたのでしょうか。特に旧訳の時代はそうだったのでしょうか。かつて「作者の死」が叫ばれましたが、もともと作者は死んでいて、それが近代になってよみがえった、ということでしょうか。このあたり、まったくの空想です。Roland Barthes とかには詳しくないので、単なる妄想にすぎないのですが…。まぁ、私の勝手なおとぎ話はさておき、現代において哲学書を翻訳するのにも、今回記した仏典の翻訳ほどには分業化は進んでいないと思われますので、当時の方が進歩的だったと言えるような気もしなくはありませんね。


PS

今回記した仏典漢訳の分業体制と、漢訳作業遂行の実態について、入門書の類いでは、既に次の本で簡略ながら説明されていることに気が付いた。

  • 金文京  『漢文と東アジア 訓読の文化圏』、岩波新書、新赤版 1262, 岩波書店、2010年、第一章。

この本のあとがきを見ると船山徹先生にお世話になった旨、金先生が記されているので、金先生の説明の source は船山先生にあるのだろうと思われます。

*1:船山、55-57ページ。

*2:以下原文での引用文は、一、二段落、全体が落とされているだけですが、ここでの引用に際しては、それら全体を箱でくくっておきます。

*3:「第」を「那」としているのは、誤りではなく意図的なもの。

*4:船山、57-59ページ。