The Intellectual and Moral Bankruptcy of One of the Japanese Intellectuals

本の一部を読んだ感想を記します。下記の本に出てくる橋爪大三郎先生のご発言に対する批判的な感想です。詳細な批判を展開するというものではなく、簡単な感想を述べるだけのものです。その感想は個人的な印象を述べたものであり、問題の本の主題となっている事柄に私は詳しくありませんので、間違った印象を抱いているかもしれません。そのようでしたらすみません。橋爪先生にもお詫び致します。もしもこのあとを読まれる方がおられれば、必ず割り引いてお読みください。


先日、次の本の前半の、橋爪先生のご発言の、その一部を拝読致しました。近頃、私は天皇の戦争責任について考えていたからです。

私は今まで橋爪先生を尊敬していたのですが、上記書籍の先生のご発言を読み、大変失望してしまいました。

私は先生の啓蒙書をいくつか購入し拝読したことがあります。そこでは重要で基本的なことが、とてもわかりやすく説明されていて、非常に勉強になりました。そのため「橋爪先生はすごい先生だな」と私は思ってきました。しかし今回の読書で先生のすごさが、実のところ、幻想だったことがわかってしまいました。とてもショックです。

上記書籍のご発言を拝読していたとき、「これは本当に橋爪先生のご発言なのか?」と感じ、信じられない思いでした。その日は夜寝るまで「信じられない、そんな馬鹿な、信じられない、そんな馬鹿な、... 」という言葉が頭の中をぐるぐる回っていました。今もとても残念な気持ちでいっぱいです。上記の発言を拝読しているとき、先生は感情に流され、判断に狂いが生じているように私には感じられました。先生の、天皇に対する愛着が、冷静な判断を上回り、理性的な判断ができていないように思われました。先生の無残な姿に痛ましさを感じました。先生のご発言の一部にケアレス・ミスが数か所見つかったという程度ではまったくなく、しばしば感情に引きずり回されて、ひどく無理な判断を繰り返しているように見えました。たぶんご本人もそのことを自覚されていたように思われます。

先生は博覧強記の物知りですが、そのような頭脳の持ち主が、見るも無残に砕け散っているさまを見ると、気持ちがとてもなえます。「先生はもう終わってしまった、もう先生は終わった人だ」という言葉が心の中に浮かんできました。先生は今でも盛んに面白そうな啓蒙書を多数、世に出しておられますが、とても空しく感じられます。「頭のいい、えらい先生でも、こうなってしまうのだ、こういう方もいるのだ」と、何だかやり場のない思いに駆られます。

もしかすると、私以外にも、上記図書の発言を読んで、橋爪先生に痛く失望された方がおられるかもしれません。あるいは「天皇を擁護するのはいいが、橋爪先生のような擁護論はやめてほしい、そんなやり方だと、われわれ擁護派にとばっちりが来る、火の粉が飛んでくるので、やめてくれ」と思った方もおられたかもしれません。確かに、天皇を擁護するのはいいですが、このような論述はまずすぎる、説得力がないのはもちろんのこと、反擁護派に付け入るすきを大いに与え、勢いづかせることになるだろうと思います。それとも、先生の論のあまりのひどさに、擁護派にも、反擁護派にも、それにできるだけ中立であろうとする研究者にも、誰にも先生の論は相手にされないかもしれません。(十分相手にされているようでしたらすみません。)

いずれにしても先生のご発言には心底がっくり来ました。ちょっと大げさに言えば、日本の知性の崩壊するさまを目の当たりにしてしまったかのような印象を持ちました。知性と倫理が破たんしている様子を目の前にして、やりきれなさに打ちのめされ、なんだがやる気が起きません。戦争が終わってだいぶ経ちますが、先生を見ていると、一部、何も当時と変わっていないと思われました。重要な部分で何も学んでいないように思われました。あるいは学び続けて行って、そのまま一周して来て元に戻っているのでしょうか。そのために何も当時と変わっていないように見えるのでしょうか。とにかく残念です。

きっと冷静になられれば、先生は上記の書籍での発言とは違った発言をされるようになるかもしれません。自分の心の中の弱い部分に目を向け、その弱い部分を認めて受け入れてしまえば、先生の頭の中の霧は晴れ、事実にかなう筋の通った思考が回復してくると思います。その時、今まで以上に先生は心の強い人間になって私たちの前に戻ってくることになります。そのような本物の知性として、私たちの前に戻ってきてください。期待しています。生意気を申しましてすみません。私はあまり人のことは言えない身です。どうかお許しください。私の方が全然間違っているようでしたらお詫び致します。誠に申し訳ございません。


PS

先生のご発言を読んで、例えば Eichmann と Bonhoeffer のことを思い出した。職務権限へ逃避することで死刑を逃れようとした Eichmann と、職務権限へ逃げ込んでいれば殺されることはなかったはずの Bonhoeffer のことを。*1

*1:Eichmann については近年研究が進み、'Evil is banal' ではなかったことが、つまり 'Evil is not banal' だったことが、残されている資料により、明らかになってきているようです。すなわち、当時、反ユダヤ主義を Eichmann は信奉しており、それに基づいて、彼はユダヤ人の虐殺に進んで加担していたみたいです。この、'Evil is not banal' だったという話については、当日記、2013年9月14日、項目 ''Arendt and Eichmann Fifty Years Later: Was Evil Banal?'' を参照ください。