Can You Learn Anything from Modal Logics? Nothing!

W. V. Quine さんが様相論理に否定的であったことはよく知られていると思います。先日たまたま目の前の手の届くところに次の本があり、

以前にところどころ拾い読みしていたのですが、先日も何気なくこの本を手に取って、開いたところを読み出すと、私はまったく知らなかったのですが、A. Tarski さんも様相論理に否定的だったらしい話が書かれていました。ちょっと印象的な場面が描写されていますので、ご存じの方も多いかもしれませんが、引用してみます。

大出先生が留学中の話*1

 1954年の春のことである。パリのポアンカレ研究所で小規模ではあるが論理の国際会議が開かれていた。フランス人の若い研究者が様相論理にかんする発表をおえて、司会者が参会者の意見を求めたときのことであった。いきなり訛りのある英語で「様相論理などなんの役にたつのか」という鋭い声がきこえてきた。その語気の荒さにわたしが思わず後ろをふりむいてみると、精悍な感じの小柄な人物が立って発言しているのが見えた。それがアルフレッド・タルスキであることを知ったのは、そのセッションが終わって休憩にはいってからである。わたしの耳にはかれの声がいまだに残っている。*2

こわいですね。そんなに怒らなくてもいいのに、という感じですね。どういう理由で様相論理に文句を言っているのだろう?


ところで Tarski さんは modal predicate logics に意味論を与える一つの方法としての Kripke semantics 開発の先駆者であると見なされることもあるかもしれませんが、厳密にはそうではないことはよく知られていると思います。例えば、次のようにです。註を省いて引用します。

実際、可能世界意味論を抽象的な代数構造と見るならば、その実質は、様相論理の多様な体系に対応する代数的構造を研究したヨンソンとタルスキの論文 (一九五一年) にすでに含まれている。それにもかかわらず、この論文が、様相論理の満足すべき意味論をすでに与えていたとは通常考えられてはいない。*3


Tarski さんが Kripke semantics 開発の先駆者ではないとする直接の証拠は、Kripke さんが受け取った Tarski さんからの発言に見ることができます。以下の引用文では、まず最初に出てくる地の文が Jack Copeland さんの文であり、その地の文の後に Copeland さんが Kripke さんの発言を引用しておられます。そしてこの Kripke さんの発言の中に問題の Tarski さんの発言内容が出てきます。ここでも引用に際し、註を省きます。引用文中のカッコ '( )', '[ ]' はすべて Copeland さんによるものです。この引用文にいくつも出てくる '(McKinsey and Tarski 1948)' のような文献名の詳しい書誌情報は、申し訳ございませんが面倒なので、ここでは掲示致しません。しかしどれも有名なものですから、お調べいただくとすぐに大体わかると思います。

In 1948 McKinsey and Tarski gave algebraic characterisations of the systems S4 and S5 (McKinsey and Tarski 1948). Their idea of enriching Boolean algebras with new operations was extended to arbitrary Boolean algebras with operators by Jónsson and Tarski (1948, 1951, 1952). Jónsson and Tarski proved rather general theorems connecting Boolean algebras with sets having certain relations between their elements. Their theorem 3.5 (1951, 930–931) states equivalences between various functional and relational conditions, the latter including reflexivity, transitivity and symmetry; and in theorem 3.14 (1951, 935) they showed that every closure algebra is isomorphic to an algebraic system formed by a set and a reflexive and transitive relation between its elements. With hindsight, these theorems can be viewed as in effect a treatment of all the basic modal axioms and corresponding properties of the accessibility relation. Kripke described this as a 'most surprising anticipation' (1963a, 69). Later Kripke expanded on this remark:

Had they [Jónsson and Tarski] known that they were doing modal logic, they would have had the completeness problem for many of the modal propositional systems wrapped up, and some powerful theorems. Mathematically they did this, but it was presented as algebra with no mention of semantics, modal logic, or possible worlds, let alone quantifiers. When I presented my paper at the conference in Finland in 1962, I emphasised the importance of this paper. Tarski was present, and said that he was unable to see any connection with what I was doing!*4

  Kripke: Tarski 先生、あなたは私の考え出した様相論理の意味論を既に思い付いていたのですよ!
  Tarski: 何? そんなことは知らん!

という感じみたいですね。まぁ、ちょっと、私の方で簡潔に描きすぎたかもしれませんが…。いずれにしましても、このような会話は1962年に行われたようですが、大出先生が証言しておられるように、既に1954年に Tarski さんは「様相論理なんてやってどうする? そんなの俺は知らん」というような感じのことを言っていたわけで、そうであるならば、Tarski さんはその'54年の発言に続けて、「ましてや様相論理の意味論なんて、なおさら知らんわ。まったく興味なし!」と考えていた可能性がありますよね。このようであるとするならば、大出証言は、Tarski さんが Kripke semantics 開発の先駆者ではないことを立証する、上記引用文中の Kripke 発言とはまた別の、新たな一つの傍証とはなりそうな感じがします。強力な傍証ではないでしょうけれど…。

しかしなぜ Tarski さんは様相論理を毛嫌いしていたのでしょうか? Quine さんの様相論理批判を念頭に置いて嫌っていたのでしょうか? それとも単に「Syntax をいじってばかりで何になる?」という感じで否定的だったのでしょうか? 私にはよくわかりません。それに Kripke さんが出てきてからは、様相論理に対する態度は Tarski さんの中で変化があったのでしょうか? つまり、Kripke semantics の成功を受けて、Tarski さんは様相論理に肯定的になったのでしょうか? これも私はまったくわかりません。またそのうち勉強してみます。

それにしてもこうしてみると、天才が「そんなのくだらん!」と一蹴する学問的テーマであっても、自分が「面白そうだな」とか「自分には何か価値あることを秘めているように感じられる」と思うようなことがあるならば、自らを信じて興味あるテーマを追究してみてもいいかもしれないですね。天才に否定されたらくじけそうになりますが、天才も筆を誤るようです。上の話にあるように、天才 Tarski さんは modal logic を、「やったって仕方がない」と言い切っていましたが、その logic の重要性が認められる時代が来たわけですから、天才の断言も、時には当てにならないみたいです。


なお、次の文献を見ると、

  • Jan Woleński  ''Polish Logic,'' in his Historico-Philosophical Essays, vol. 1, Copernicus Center Press, 2013, this paper first published in 2004, Section 3, Results and Ideas, Subsection F, Modal Logic,

以下のように書かれていました。註は省いて引いてみます。

Tarski (in collaboration with McKinsey and Jónsson) pointed out links between modal logic, topology and Boolean algebras, particularly in semantics.*5

大出先生の文章や、Copeland 先生の証言を読んだ後では、この Woleński 先生の文は、間違っているか、あるいはそこまで言わないとしても、misleading な記述になっていると思います。ちなみに、Woleński さんと言えば次の本ですが、

  • Jan Woleński  Logic and Philosophy in the Lvov-Warsaw School, Kluwer Academic Publishers, Synthese Library, vol. 198, 1989,

この本の、Chapter VI, Non-Classical Logics, 2. Modal Logic, pp. 128-134 にも上記の ''Polish Logic'' における 'Modal Logic' の section と似たような話が出てくるのですが、この Logic and Philosophy in the Lvov-Warsaw School における 'Modal Logic' の section では、1921年に、まだ学生であった Tarski さんが、可能性の operator を、否定記号と条件法記号で定義した話が出てくるだけで(p. 130)、Kripke semantics を思わせる話は出てきていないようです。このことを memo 代わりにここで記しておきます。


以上です。何か勘違いしたことを書いておりましたらすみません。誤字、脱字等にもお詫び申し上げます。

*1:大出晁著、野本和幸編、『大出晁哲学論文集』、慶應義塾大学出版会、2010年における野本先生の「はしがき」、i ページに、「さて、大出先生は、第2次大戦後早期に (1952年) フランス (パリ大学ソルボンヌ校、アンリ・ポアンカレ研究所)、ベルギー (ルーヴァン大学哲学研究所) に留学 (1956年まで)、孜々として研究に励まれた」とありますので、以下の引用文に描かれている1954年の情景は、大出先生欧州留学中の話のようです。

*2:大出、85-86ページ。

*3:飯田隆、『言語哲学大全 III 意味と様相 (下)』、勁草書房、1995年、108ページ。

*4:B. Jack Copeland, ''Meredith, Prior, and the History of Possible Worlds Semantics,'' in: Synthese, vol. 150, no. 3, 2006, p. 392. なお、ここで引用した文章とよく似た文が、次にも出ています。Jack Copeland, ''Prior's Life and Legacy,'' in his ed., Logic and Reality: Essays on the Legacy of Arthur Prior, Oxford University Press, 1996, pp. 12-13, and B. Jack Copeland, ''The Genesis of Possible Worlds Semantics,'' in: Journal of Philosophical Logic, vol. 31, no. 2, 2002, p. 105. 今引用したものと合わせてこれら三つは、読み比べるといずれも互いによく似ていますが、三つのうち、一番新しい文章を今回引用しておきました。なお、Kripke さんによる Tarski さんに関するこの逸話は、Copeland さんが Kripke さんから直接個人的に1993年にお聞きになられた話のようです。See Copeland, ''Meredith, ...,'' p. 394, n. 30.

*5:Woleński, ''Polish Logic,''p. 241.