洋書

  • Sorin Costreie ed.  Early Analytic Philosophy: New Perspectives on the Tradition, Springer, The Western Ontario Series in Philosophy of Science, vol. 80, 2016

本書では主に Frege, Russell, Wittgenstein, Carnap, Lukasiewicz, Weyl らが論じられています。

本書で Frege を論じている著名な先生方には、Patricia Blanchette, Jaakko Hintikka, Danielle Macbeth, Matthias Schirn 各先生がおられます。Russell を論じている著名な先生には、Gregory Landini, James Levine, Bernard Linsky 各先生がおられます。Wittgenstein を論じている著名な先生には、Sébastien Gandon 先生がおられます。Graham Priest 先生は Lukasiewicz による Aristotle の矛盾律について検討されているようです。この他に、私の存じ上げない著名な先生方がいらしたかもしれません。著名であるのに、その認識を私の方で逸しているようでしたら失礼をお詫び致します。

いずれにせよ、大変興味深い論文がいくつも含まれていましたから、本書を購入致しました。


和書

吉本先生、中村先生のご高著は、昔からある次の赤い本を、今風に大幅に update させたもののように感じられました。

  • J. オールウド、L.-G. アンデソン、Ö. ダール  『日常言語の論理学』、公平珠躬、野家啓一訳、産業図書、1979年。

『日常言語の論理学』は形式意味論そのものの本ではないので、吉本先生、中村先生のご高著と、単純に比較すべきではないかもしれませんが、個人的には何となく先生方のご高著で『日常言語の論理学』を思い出してしまったのです。

なお、吉本先生、中村先生のご高著に関し、同じ書肆からつい最近、以下のような本が出ております。

萩原先生のこのご高著も、形式意味論に関する本です。とても興味深く思ったのですが、お金もないし、少しでもほしいと感じる本を全部購入しているわけにもいきませんので、より教科書的で、より入門的な印象のある吉本・中村本の方を入手させてもらいました。萩原先生のご高著はまた参照させてもらうか、あるいは必要とあらば購入させていただきます。


和雑誌


英語論文

  • Rafal Gruszczyński and Achille C. Varzi  ''Mereology Then and Now,'' in: Logic and Logical Philosophy, vol. 24, no. 4, 2015, Special Issue: Mereology and Beyond


邦語論文

  • 大村泉、渋谷正、平子友長  「第1章 廣松版の根本問題」、大村泉、渋谷正、窪俊一編著、『新 MEGA と『ドイツ・イデオロギー』の現代的探究 廣松版からオンライン版へ』、八朔社、2015年、初出2006年

これは論文そのものではなく、書籍の一章に当たるのですが、元々は論文として刊行されたものみたいですので、邦語論文としてここに掲示致しました。

廣松版の根本問題とは、

が、しばらく前までは人々に認識されてこなかった重大な編集上の問題を抱えているということです。今回入手した大村、渋谷、平子先生の論考は、この問題を指摘し、詳しく説明されているようです。

それはどのような問題かと言うと、私はこのあたりについて無知ですから間違っているかもしれませんが、大体次のような感じです。まず Marx, Engels の著作の編集の歴史は、大よそ以下のようになっているみたいです。

Rjazanov 版、1926年刊行
   ↓
Adoratskij 版 (旧MEGA版)、1927年刊行
   ↓
新MEGA試行版、1972年刊行
   ↓
廣松版、1974年刊行 (上記の河出書房新社版)
   ↓
新MEGA版、1975年刊行

大村、渋谷、平子先生の論考によると、廣松版は Adoratskij 版に基づいているようです。ところで廣松版が出る2年前に既に新MEGA試行版が出ていました。この新MEGA試行版とその後に出る新MEGA版では、Adoratskij 版にはなかった新しい知見が多数盛り込まれているようで、Adoratskij 版以後の研究成果、調査結果が多く含まれ、それがよくわかるように編集、page layout がなされているらしいのですが、廣松版は新MEGA試行版に掲載されている新知見を取り込んでおらず、新MEGA試行版の出るはるか昔の Adoratskij 版に依存したままなので、21世紀の今から見てもそうだし、廣松版が出た時もそうですが、旧態依然とした遺物になってしまっている、とのことみたいです。廣松版が出た時点で、実は既にその役割を終えていた、とのことみたいです。なぜこのことが長い間理解されずに来たのかと言うと、Marx, Engels の著作の編纂学に詳しい研究者が、廣松版が出た当時は国内にほとんどいなかったことにあるようです。そのため、高い評判だけ先行してしまい、それが伝播、定着してしまったみたいです。今世紀に出た上記岩波文庫版にも大きな問題があるようなのですが、岩波文庫版の問題はちょっと複雑みたいで、ここで簡単に説明することは私にはできませんので、詳細は上記の大村、渋谷、平子先生の論考をご覧ください。

以上は、大村、渋谷、平子先生の論考に依拠した記述です。この論考に対し、岩波文庫版の補訳者小林昌人先生から、反論がなされているみたいです。私はまだその反論を拝見しておりません。CiNii で論文を探すと、それとわかる文献が出てきます。また機会があれば拝見させてもらいたいと思っております。この反論を読むまでは、廣松版とその岩波文庫版の最終的な評価については、保留させていただきます。

私は Marx, Engels については何も知らないので、ここで私の記しましたことをそのまま信じてしまわずに、気になる方は必ず大村、渋谷、平子先生の論考と、小林先生の反論を読んでいただいて、ご自分で問題の当否についてご判断ください。私が間違っていましたら、大村、渋谷、平子、廣松、小林各先生にお詫び申し上げます。すみません。