Susie Meets Charlie in the Library.

以前から次の本を購入したいと思っていたのですが、

  • Francesco Bellucci, Ahti-Veikko Pietarinen, Frederik Stjernfelt eds.  Peirce: 5 Questions, Automatic Press / VIP, 5 Questions Series, 2014

先日ようやく入手致しました。本書に対する出版社の home page の説明を部分的に引用してみます。

This volume gathers a large bundle of contemporary Peirce scholars of different backgrounds, giving a picture of the variety of Peircean themes under current development in many different directions.*1

著名な方々がアンケートに答えておられます。例えば一部上げますと、

Cornelis de Waal, Susan Haack, Leila Haaparanta, Jaakko Hintikka, Christopher Hookway, Nathan Houser, Masato Ishida(石田正人), Isaac Levi, Cheryl Misak, Ilkka Niiniluoto, Nicholas Rescher, Sun-Joo Shin

といった先生方です。ちらちらっとこれらの先生方の冒頭の文を見ると、Susan Haack 先生の文が若干 colorful に感じられましたので、Haack 先生の冒頭の文を和訳して紹介してみようかと思います。若干 colorful とはいえ dramatic な展開が見られるというわけではありません。何だかちょっと生き生きした感じの文だったので私訳/試訳を付してみます。81-82ページからの訳です。

なお、その Haack 先生の文章は、幸い次の文献として、net で誰でも PDF で無料で見ることができます。

  • Susan Haack  ''Why I'm a Peirce Person [Peirce: 5 Questions],'' in Francesco Bellucci, Ahti-Veikko Pietarinen, and Frederick Stjernfelt, eds., Peirce: 5 Questions, Automatic Press / VIP, 5 Questions Series, 2014, Available at Social Science Research Network Home Page*2.

ただ、できればこの文章が載っている上記の本 Peirce: 5 Questions を購入してあげてください。出版社とともに、先生方が喜ばれると思います。

以下で私訳/試訳を掲げますが、何分私の和訳は怪しいので、すっかり正しく訳されているとは思わないでください。誤訳が含まれていたり、読みにくい悪訳になっている部分があると思いますので、単に雰囲気だけを感じ取るぐらいにしてください。正確には上記 URL か書籍によって、英語原文を参照ください。あらかじめ、含まれているであろう誤訳、悪訳、誤解、無理解、勘違いに対し、お詫び申し上げます。(和訳中のカッコ 〔 〕は引用者によるもの、[ ]は原文にあるものです。Haack 先生の付けておられる註は省きます。)

最初に Peirce に魅かれたのはなぜですか?


ずいぶん前のことでした。思い出せる限りでは、最初に真剣に Peirce を読むことになったのは、『ことばと対象』の第1章終わり近くの自信にあふれたパラグラフによってでした。そこで Quine は Peirce の真理論を批判していました。Quine は書いていました。「パース (Peirce) は、科学的方法でもって真理をあからさまに定義する誘惑に駆られ、真理とは、継続する経験に対して科学的方法の (想定上の) 諸規範を不断に使用するときに、極限として接近されるところの理想理論であるとした。」*3 しかしこれは望みがないと Quine は私たちに請け合っていました。「理論の極限ということを 〔Peirce は〕 述べているが、そこでは数との類推が誤って使われている。なぜなら、極限の概念は <<より近い>> という概念に依存するが、これは理論についてではなく数について定義されるものだからである。」*4 この一方的な否定は的を外してしまっているかもしれないと疑念を覚え、− もちろんその通りでした! − Peirce 自身ならきっと言うはずのことは何か、それを調べるために、まっすぐ図書館に行きました。『選集 (Collected Papers)』全8巻のうち、どれが重要なのか知らなかったので、真面目に全巻をラックに載せて研究室まで持って帰り、読み始めました。続く数週間、Peirce を読むこと以外に何をしたのか、覚えていません。しかし読むのに一息ついた後、誰だったかに嬉しそうに次のように伝えたことは、実際覚えています。その人は、こんな言葉を聞いたことでしょう。「哲学の金鉱をちょうど見つけたとこよ!」
 Quine が、初めて出たばかりの『選集』の 2, 3, 4 巻を書評していたことにようやく気が付いたのは、それから数年してからでした。加えて気が付いたこととして、彼の書評から明らかだったのは、Peirce による論理学への貢献の重要性を彼が十分には正しく理解していない、ということでした。− このことは、のちに Putnam が指摘することになるのですが、現代の論理学がどのように発展したのかということに対する私たちの理解に、不幸な結果をもたらしました。さらにこのあと何年かしてからはじめて知ったのですが、Arthur Bentley と交わした John Dewey の書簡集をあちこち拾い読みしていると、私が Peirce の著作から受けた反応が、数週間、Peirce に没頭した後の Bentley のものと、ちょうど同じだったことに気が付きました*5。「… ここ2ヶ月かそこら、Peirce を読むことでわくわくしたが、これは私の人生において、そのような刺激的な経験の数少ないうちの一つだった。… Carnap が言い立てていたことのすべてが Peirce によってまるまる述べられている。加えるに、Carnap の仲間が欠いている「生き生きとしたひらめき」を伴って、述べられているのである。− [Peirce] は、長きに渡る世界の歴史 〔a longtime world〕*6 の中で記号を使う人間の生きた行為を、精一杯、描き出そうとしていた。」
 いずれにせよ、読み始めた最初の数週間からこのかた、私は Peirce を、哲学についてそのつど指南してくれる者とみなしてきた。彼の知恵を私はしばしば参考にし、彼の著作をひもとくたびにいつも間違いなく教えられ、光明を与えられ、啓発され、彼のアイデアをしばしば拝借し、翻案してきたのだった。− 言うまでもなく、たとえ時に同意できないことがあるとしても。

Haack 先生は8巻全部を読んじゃったんでしょうか? さすがの先生も、たぶんはじめから全部すらすらわかったわけではないでしょうから、読んでて苦痛じゃなかったのかな? まぁ、上記の通り、苦痛でも何でもなく、楽しかったんでしょうね。すごいな。

改めて、誤訳、悪訳等にお詫び申し上げます。おやすみなさい。

*1:Vince-inc, Automatic Press, http://vince-inc.com/.

*2:URL, <http://poseidon01.ssrn.com/delivery.php?ID=910024021106117080094097074104098126039006020032019035067000095010126094094065077007039055026029057040105067021117115090065086119055089076076124102106064085071010022053043025100119007120069064115114099093085008121068094011016122127091006097096095081&EXT=pdf>.

*3:訳者註: Quine さんの言葉を既存の邦訳から引用しました。W. V. O. クワイン、『ことばと対象』、大出晁、宮館恵訳、双書プロブレーマタ 3, 勁草書房1984年、36-37ページ。Haack 先生は Quine さんの言葉の一部を省いて引用されていますが、まんべんなく引用しても問題ないと思われますから、省かずに引用しました。

*4:訳者註: クワイン、『ことばと対象』、37ページ。ここでも Haack 先生は省きながら Quine さんの文を引用されていますが、邦訳ではまんべんなく引用しておくことに致します。

*5:訳者註: ここのあたりは、原文では次のようになっています。'[...] my reaction was exactly like Bentley's, after he buried himself in Peirce for weeks.' (p. 82) ここにある通り、'he' が italics になって強調されているのですが、工夫を凝らせば和訳中でも「Bentley」ではなく「」を強調できると思うのですが、ちょっともう寝なければならないので、推敲している間もないので、ご覧の通りにしておきます。すみません。

*6:訳者註: 正直に申しますと、この 'a longtime world' をどのように訳せばよいか、わかりませんでした。長期間に渡るのは時代や歴史でしょうから、「歴史」という言葉を補って訳してみました。間違っていたらすみません。時間があればいろいろ調べたり考えたりして解決できるのかもしれませんが、時間がないのでとりあえず「長きに渡る世界の歴史」と訳しておきます。