Interphotographicality*1

ここ最近、とても stressful な日々を送っており、勉強がほとんど進みません。ですが、哲学や論理学の話そのものではないものの、関連する少し面白い話をこの前に読みましたので、今日はそれを紹介してみることに致します。以下では哲学的な議論を展開するのではなく、その脇道に入って行くような話をしますので、この後、哲学的にすごい話が聞けるものとは期待しないでください。まぁ、誰もこの blog にそのようなものは期待していないでしょうが…。私もそのほうが気が楽でいいのですけれど…*1


さて、先日、以下の文献を入手しました。

  • Christian Eric Erbacher and Bernt Österman  ''A Passport Photo of Two: On an Allusion in the Pictures of Wittgenstein and von Wright in Cambridge,'' in: Nordic Wittgenstein Review, vol. 3, no. 1, 2014. (これよりこの文献を EO と略記することがあります。)

この文献は以前から名前だけは知っていて、題名がちょっと変わっているので気になっていました。その題名を詳しく訳せば次のような感じにでもなるでしょうか。「二人を写した一枚のパスポート写真 Cambridge における Wittgenstein と von Wright を写した複数の写真にほのめかされている一つの事柄について」。これは何の話なのでしょうか。問題の写真の一枚を上記文献から転載させていただければ次の通りです*2



Fig. 2: Wittgenstein and von Wright in Cambridge.
Scan of a copy preserved in WWA. Erbacher and Österman, p. 141. (WWA, namely The von Wright and Wittgenstein Archives at the University of Helsinki)


この写真 Fig. 2 は見たことがあるような気がします。どの本でだったかは忘れましたが。上記文献 EO によると、この写真はあることをほのめかしているのだそうです。この写真はあることを真似しているのだそうです。それは一体何を真似していると言うのでしょうか。上の文献 EO によると今の写真は次の真似だそうです(EO, p. 140)。



Fig. 4: Max and Moritz.
Photo of a drawing on the first page of a copy of Wilhelm Busch’s book Max und Moritz. Eine Bubengeschichte in Sieben Streichen. The book originally belonged to von Wright’s home library. Erbacher and Österman, p. 142.


えっ、本当ですか? 先ほどの写真 Fig. 2 は直前のイラスト Fig. 4 の真似なのですか? そっくりとは言えないと思いますので、にわかには信じがたいのですが。どのような根拠から、そのように言うのでしょうか。

まず、Wittgenstein は今のイラストの登場人物たちをたぶん子供のころから知っていたようです(EO, p. 142)。イラストの二人はドイツでは大変有名な童話、漫画に出てくる腕白小僧であり、Wittgenstein はこの漫画を描いた Wilhelm Busch を生涯にわたって評価していたみたいです(EO, pp. 142-143)。上記の写真が撮影された晩年においても Wittgenstein は Wilhelm Buschのことを忘れずにいたようです(EO, p. 143)。そして Wittgenstein は von Wright に Busch の散文のことを教え(EO, p. 144)、Busch の本を von Wright にあげているようです(ibid.)。このため、上記の写真が撮影されたころ、Wittgenstein も von Wright も Wilhelm Busch のことを知っていたと言えるようです。

ところで、先の写真 Fig. 2 がイラスト Fig. 4 の真似だとすると、Wittgenstein はイラストのどちらの人物の真似をしており、von Wright はどちらの真似をしているのでしょうか。問題の文献 EO によると、ネクタイを締めている von Wright がイラスト向って左のネクタイを締めている、青い服を着た Max を真似ており(EO, p. 144)、Wittgenstein はイラスト向って右の、緑の服を着た Moritz を真似ているのだそうです(ibid.)。でも、そう言われても、そうかもしれませんが、それはまたどのような理由でそうなのでしょうか。まぁ、ネクタイを締めている点で von Wright と Max が似ているというのは、しぶしぶではあれ何とか受け入れることができるかもしれません。それに二人とも、どことなく「にやっ」と笑みを浮かべているように見えるので、von Wright は Max の真似をしているのかもしれないとも思えます。しかし、Wittgenstein が Moritz の真似をしていると言われても、どこが似ているのだか、全然わかりません。

そこで文献 EO の著者たちは次の写真を持ち出します。同じときに撮影された写真です。



Fig.3: Wittgenstein and von Wright in Cambridge.
Scan of a copy preserved in WWA. Erbacher and Österman, p. 141


この写真の Wittgenstein の横顔は、かなり有名だと思います。大抵の人が見たことのある写真だと思います。たとえば、みすず書房から出ていた Monk さんの伝記の邦訳第2巻のdust jacketで使われていた写真です。訳書本文の中にも出てきていました。さて、この写真 Fig. 3 で、Wittgenstein が Moritz の真似をしていると、どうしてわかるのでしょうか。先ほどの Moritz の姿を見返してみると、彼の最も目立つ特徴は髪の毛が逆立っているように飛び出ている点です。これを踏まえて直前の写真 Fig. 3 の Wittgenstein をよく見ると目に付くのが彼の髪の毛です。Moritz ほどではないにしても、Wittgenstein の髪の毛も確かに飛び出ています。EO の著者たちの推測によると、Moritz の髪の毛の特徴を示すために Wittgenstein は横向きに写真を撮ってもらって自分の髪の毛の逆立っているところを見てもらおうとしたらしいです(EO, p. 144)。そうだとすれば、まぁ、一応 Wittgenstein は Moritz の真似をしていると言えるのかもしれません。とはいえ、でもやはりまだ信じられませんよね。

そこで EO の著者たちは、今回の写真の撮影者の証言を状況証拠として持ちだしてきています(EO, pp. 145-146)。EO からその証言を引用してみましょう。引用文中の Tranøy さんが写真の撮影者です。一部、邦訳を付します。

In some recollections of Wittgenstein, first published in 1976, Tranøy offers the following description of the occasion:


In the late spring of 1950 we had tea with the von Wrights in the garden. It was a sunny day and I asked Wittgenstein if I could take a photograph of him. He said, yes, I could do that, if I would let him sit with his back to the lens. I had no objections and went to get my camera. In the meantime Wittgenstein changed his mind. He now decided I was to take the picture in the style of a passport photograph, and von Wright was to sit next to him. Again I agreed, and Wittgenstein now walked off to get the sheet off his bed; he would not accept Elisabeth von Wright’s offer of a fresh sheet from her closets. Wittgenstein draped the sheet, hanging it in front of the verandah, and pulled up two chairs. The pictures were taken, and I bungled them, being too inexperienced a photographer to be able to handle all the reflected sunlight from the sheet. Too bad, but the photographs do catch, I think, his face as it was less than a year before he died. It is very much Wittgenstein as I remember him.12 (Tranøy 1976 [''Wittgenstein in Cambridge 1949–51. Some Personal Recollections'']: 17) *3


一九五〇年の晩春に、私たちは庭でフォン・ウリクトの家族の人たちと一緒にお茶を飲んだ。夏のような日であった。私はウィトゲンシュタインに写真を撮っていいか尋ねた。彼は、いいと言い、レンズに対して後ろ向きに座ってなら、写真を撮ってもいいと言った。私は異存がなかった。それでカメラを取りにいった。その間ウィトゲンシュタインは心変わりした。彼は今度はパスポート用写真のスタイルで写真を撮ることに決めた。ふたたび私は同意した。ウィトゲンシュタインはベッドからシーツを取りにいった。彼はエリザベス・フォン・ウリクトが押入れから新しいシーツをもってきたのを受け取らなかった。ウィトゲンシュタインはシーツをベランダの前に掛けて覆い、そして二つの椅子をひき寄せた。*4 写真は撮ったものの、私にはうまく撮れなかった。撮影者としての経験があまりに不足していたため、シーツから反射してくる太陽光のすべてにうまく対応できた、というわけではなかったからである。あまりにひどかったが、一年たたずに亡くなる彼の表情を写真に捉えることはできていたと思う。これが私の覚えているウィトゲンシュタインその人である。

この証言によると、Wittgenstein は最初、撮影者に背を向けてなら写真を撮っても構わないと述べています。とすると、彼は写真を撮られることが嫌だったのだろうと思われます(EO, p. 146)。取られる際に何か虫の居所が悪かったのかもしれません。しかし気を取り直し、正面から撮られることを許し、合わせてパスポート写真のようにして、von Wright と一緒に撮ってもらうことにしたようです。

こうして撮影時の状況が明らかにされているのですが、これでどうして Wittgenstein と von Wright を写した写真が Max と Moritz の真似であるという状況証拠になるのでしょうか。

このような疑問に対し、EO の著者たちは次のように言います。

There is, however, an additional piece of evidence, which changes the picture: the Busch drawing owned by Wittgenstein. It depicts a solitary man sitting on a chair with his back to the viewer, scratching his head with a quill pen.{\tiny ^1^3}

13 For the drawing and an interpretation of its meaning for Wittgenstein, see Rothhaupt 2010: 300.*5

Wittgenstein は Busch の描いたスケッチのオリジナルを一つ持っていたそうです。そこに描かれているのは、見る者に背を向けた男性の姿でした。そのスケッチは、上記引用文中にある註13によると、Rothhaupt さんの2010年の文献の300ページにあるようです。文献情報詳細を記すと以下の通りです。Net 上で誰でも無料で閲覧できます。

  • Josef G. F. Rothhaupt  ''Ludwig Wittgenstein über Wilhelm Busch: ''He has the REAL philosophical urge.'','' in V. Munz, K. Puhl, J. Wang eds., Language and World. Part Two: Signs, Minds and Actions, Ontos Verlag, The Austrian Ludwig Wittgenstein Society, New Series, vol. 15, 2010.

この文献の300ページに次の絵が載っています。



ただ、実際にはWittgenstein はこの絵を持っていたのではないと思われます。厳密にはこれと非常によく似た、しかし若干異なっている絵を持っていたようです。実際に Wittgenstein が持っていた絵は次の文献に掲載されています。

  • Josef G. F. Rothhaupt  ''Ludwig Wittgenstein and Wilhelm Busch: ''Humour is not a mood, but a 'Weltanschauung','' in Sascha Bru, Wolfgang Huemer, Daniel Steuer eds., Wittgenstein Reading, Walter de Gruyter, On Wittgenstein, vol. 2, 2013.

この文献の198ページに出てくるよく似た絵のほうを Wittgenstein は持っていたと思われます*6

どちらの絵を本当は持っていたのかという点は、今は置いておきましょう。いずれにしても、上に見られるような男の背中を描いた絵を Wittgenstein が持っていたことから、EO の著者たちは Wittgenstein が私たちの問題としている写真を撮影する際に、当初背中を向けて撮影にいどもうとしたのは、上に掲示した男のスケッチの真似を Wittgenstein が意図していたからだろうと言います(EO, p. 146)。不機嫌だったので撮影に背を向けようとしたのではなく、自分の持っている Busch の絵の真似をしようとしたのだろうと言います。

もしもこれが正しいとするならば、この後に続く一連の行為も Busch の絵を意識したものだったのではなかろうか、と言えるかもしれません。つまり、撮影の時に背を向けるのをやめ、von Wright と二人並んで撮ってもらおうとした時、その間ずっと Busch のことが Wittgenstein の頭にあったはずだ、というのです。背を向けて写真を撮ってもらうことが Busch のスケッチの真似のつもりだったとするならば、Busch の作品中、おそらく最も有名な Max と Moritz の pair のつもりで写真を撮ってもらったほうが、みんなにわかってもらいやすいし、うけもいい、と Wittgenstein は考え直したのかもしれません。

とはいえ、そもそも背を向けて撮影してもらおうと思った時、Wittgenstein は本当に Busch の描いた後ろ姿の男性の真似をしようとしていたのか、現時点では誰にも判断ができないと思います。たとえ Wittgenstein が Busch の後ろ姿の男性の絵を所有していたとしても、だからといって、Wittgenstein が背を向けて撮影してもらおうとした時、その Busch の絵のことを思っていたはずだ、とは断言できません。ただの推測にすぎないと思います。

実際、EO の著者の方々も、断言するつもりはないようです。一つのあり得る推測として、以上の見解を著者たちは私たちに提示しているだけのようです。著者の方々は EO の結論の section で、以上のような解釈について、'this seems at least possible' と、控えめに述べておられます(EO, p. 147)。

まぁ、しかし、Wittgenstein と von Wright さんの例の写真が Max と Moritz の真似だとすると、それはそれで愉快ですね。Max と Moritz が人々に色々といたずらを仕掛けたように、Wittgenstein と von Wright は私たちに様々な哲学的謎掛けをして、煙に巻こうとしているのかもしれません。そんなふうに考えると楽しくて面白いですね。


EO の著者の方には面白い話に感謝申し上げます。ありがとうございました。なお、私のほうで何か誤解していたり、勘違いしていたり、理解が行き届いていない点がございましたら大変すみません。お許しくださいますようお願い申し上げます。

*1:息抜きのため、脇道に入って行く以外に、哲学や論理学の勉強も一応しているのですが、ここのところ、ほとんど足踏み状態です。ちなみに近頃少しは真面目に学ぼうとしている哲学、論理学の事柄は、次です。Russell Paradox に見られる矛盾を自然演繹で証明してやると、その reduction sequences に oscillating loops が見られるという現象を学んでいます。加えて、やはり Russell Paradox に見られる矛盾を自然演繹で証明してやった際、その証明図の各式を type として捉えた時、これら type を持つ lambda terms の application に、これもまた loop が見られるという現象を学んでいます。ただし、それらについてはまだまだよくわからないところがあって、いつものように苦戦を強いられており、この種の話題に関し、私自身で何か original なものをひねり出せるのかというと、残念ながらまったくそういうことはありません。さらに言うと、ここ数日で、また別の話題に興味が shift して行きそうな感じがしています。Stress によって、ひとところでこらえる力がなくなっているのです。

*2:なお上の文献 EO はクリエイティブ・コモンズ・ライセンスに関し「Erbacher & Österman CC BY-NC-SA」と表示されています。これにより、その文献に載っている写真等も引用、転載可能と判断して以下に掲示致します。

*3:Erbacher and Österman, pp. 145-146. この Tranøy さんの証言は、今では次の文献で読むことができます。Knut E. Tranøy, ''Wittgenstein in Cambridge 1949-1951: Some Personal Recollections,'' in F. A. Flowers III and Ian Ground eds., Portraits of Wittgenstein, 2nd ed., Volume 2, Bloomsbury Academic, 2015. 今回引用した証言は、今上げた文献の pp. 1022-1023 に見ることができます。ただし、上に引用したのは EO からです。

*4:ここまでの証言の邦訳は、次から引きました。レイ・モンク、『ウィトゲンシュタイン 2』、岡田雅勝訳、みすず書房、1994年、623ページ。これ以降の証言の邦訳は、引用者によるものです。誤訳しておりましたらすみません。

*5: Erbacher and Österman, p. 146.

*6:Rothhaupt, 2013, pp. 197-198. 私はこの文献を所有しているので、その198ページ目を scan し、personal computer に取り込んで、ここでお見せしてもよいのですが、scannerも PC も持っているものの、ちょっと面倒なので遠慮させてください。すみません。