目次
お知らせ
今のところ毎月一回、月末の日曜日に更新を行なっています。しかし今後更新は不定期になるかもしれません。
最近毎日が猛烈に忙しくなっています。人生でこれほど忙しいことはなかったというぐらい忙しいです。正直、ブログを書いている場合ではないです。無理やり時間をひねり出して書いているといったありさまです。
そのようなわけで、ある日更新がぱたりと止まるかもしれません。
そうなってしまった場合のために、事前にお知らせしておきます。何卒よろしくお願い申し上げます。
お知らせ終わり
はじめに
ここ数回に渡り、Ludwig Wittgenstein の Tractatus Logico-Philosophicus の一部を読んで来ました。前書きを読んだり、中盤部分を読んだり、末尾を読んだりして来ました。しかし肝心の本文冒頭部分はまだ読んでいません。そこで今回はその冒頭部分の命題番号1番台のところを読んでみることにしましょう。
ドイツ語原文に文法上の説明を施し、私訳による逐語訳と直訳を提示します。そして既刊の邦訳と仏訳を掲げます。仏訳には文法の説明とやはり私訳による逐語訳と直訳を提示します。そして最後に命題番号1番台の部分に関する個人的コメントを少しだけ記します。
私はドイツ語やフランス語の先生ではないので私訳に誤訳が含まれていましたらすみません。自分で訳したあと、一応次の文献の訳文と突き合せ、誤訳がないかどうかチェックしました。幸い大過はなかったようです。
・ ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考』、野矢茂樹訳、岩波文庫、岩波書店、2003年、
・ ヴィトゲンシュタイン 『論理哲学論考』、丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫、光文社、2014年。
なお、私訳の逐語訳と直訳は自然な日本語に訳すことは二の次としております。私と同様、ドイツ語、フランス語を修行中のかたにとって勉強になるよう原文の構造などが読み取れる無骨な訳にしてあります。意訳がよくないということが言いたいのではありません。この点ご承知ください。
ドイツ語原文は、次の文献から引用致します。
・ L. Wittgenstein Tractatus Logico-Philosophicus, tr. by C. K. Ogden, Routledge, 1922/1981, p. 30.
それではさっそく読んでみましょう。
ドイツ語原文
ドイツ語文法事項
alles, was: alles は不定関係代名詞 was の先行詞。
nicht der Dinge: Die Welt ist nicht die Gesamtheit der Dinge の略。
ist ... bestimmt: 状態受動。bestimmt は bestimmen の過去分詞。
dadurch, dass: 〜することによって。
es: この es は単数や複数、それに性に関係なく、文中で任意の表現を指します。ここではすぐ前に出て来た die Tatsachen を指しています。
Denn: 定動詞の位置に影響を与えない接続詞。つまり、主文に理由を付け足すように副文を成す接続詞として配置される時、定動詞はその副文末尾には置かれず、第二位に置かれます。
bestimmt, was: この bestimmt は過去分詞ではなく、bestimmen の直説法現在三人称単数。
was der Fall: この was は「〜であること」または「何が〜であるか」と訳されます。次に出てくる was も同様です。
was alles: 副文を成す不定関係代名詞 was の文中に alles が出てくる場合は二つあります。一つは (1) その alles が was の先行詞になっている場合 (つまり先行詞 alles が was の文の中に入り込んでいる場合) 、もう一つは (2) alles が was の先行詞ではなく、was と同格になっている場合です。ここでの alles は (2) の、was と同格としての alles です。次を参照ください。桜井和市、『改訂 ドイツ広文典』、第三書房、1968年、179ページ、注4、163ページ、注1。(1) の例文: Ich benutze, was ich alles sehe. 「私は眼にする一切を利用する」。(桜井、179ページ。) (2) の例文: Es ist erstaunlich, was er alles weiß. 「彼が何でも知っているということは驚くべきことである」。 (出典不詳。私がどこかで見かけた文で、どこで見たのか忘れました。すみません。)
zerfällt in: A zerfällen in B4 で「A は B に分解される」。
alles übrige: この後ろに「事」を意味する単数の中性名詞 Ding が省略されていると考えられます。しかしここでは Tatsache (事) と Ding (物) が対比されており、その Ding (物) をまた「事」の意味で使うとは考えにくいので、もしかしてここでは Ding が省略されているのではなく、あるいは単数中性名詞 Ereignis (出来事) などが省略されているのかもしれません。間違っていたらすみません。
gleich bleiben: 意味は「同じままである」。bleiben が bleibt ではなく、複数形もしくは不定形になっています。そこでよく見ると、主語/主部は単数 (alles übrige) なので、この bleiben は複数形ではなく不定形だとわかります。ということはこれは何か助動詞に従属している不定詞ではなかろうかと考えてさらによく見ると、kann があるので、bleiben はこの kann に従属しているとわかります。というわけでここでの gleich bleiben は単に「同じままである」と訳すのではなく、kann も考慮して「同じままであり得る」などと訳す必要があります。
den Nachdruck: これは das logische Gewicht der Sätze と同格です。
und so weiter: 以下同様。
独文直訳
独文逐語訳
既刊邦訳
・ ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考』、野矢茂樹訳、岩波文庫、岩波書店、2003年、13ページ、
・ ヴィトゲンシュタイン 『論理哲学論考』、丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫、光文社、2014年、6ページ。
本文は野矢先生の訳を、注*は丘沢先生の訳を引きます。(なぜか野矢先生の訳では注*が訳出されていないようなので。)
傍点は下線で代用し、訳注は省略します。
仏訳
・ Wittgenstein Tractatus logico-philosophicus, tr. par G. G. Granger, Gallimard, 1993, p. 33. *3
フランス語文法事項
tout ce: tout + 指示代名詞で「(指示代名詞) のすべて」。
a lieu: avoir lieu で「行われる、起きる」。
ceci qu': ceci は que 節を従えると que 節を指します。
ils sont: この ils は前方の les faits を指します。
se décompose en: A se décomposer en B で「A は B に分解される」。
demeurer inchangé: demeurer + 属詞で「(属詞) のままである」。demeurer が主語/主部の tout le reste に合わせて三人称単数の demeure なっていないということは、それは前方の助動詞 peut に従属した不定詞になっているということです。なので、ここでは tout 以下を「残りのすべては変わらぬままである」と訳すのではなく、「残りのすべては変わらぬままであり得る」と訳す必要があります。
leur importance: これは直前の leur poids logique と同格です。
et ainsi de suite: 以下同様。
仏文直訳
仏文逐語訳
個人的コメント
最後に、Wittgenstein の Tractatus の本文冒頭で取り上げられている事実についての哲学的問題にちなみ、その種の問題に関する拙い個人的コメントを一つ。
Tractatus における命題番号1番台を理解する参考として、次の文献、
・ M. Black A Companion to Wittgenstein's 'Tractatus', Cambridge University Press, 1964, p. 32,
の1番台解説箇所を読んでいると少しばかり面白い話が書いてあったのでそこを引用し、個人的な感想を若干だけ記してみましょう。
ここでの論証の肝だけを取り出してみましょう。すると、こうなります。
なるほど、事実は見たり聞いたりできるんだ。すごいですね。
しかしこの結論をブロックすることもできるかもしれません。簡単に思い付くブロック法を少々くどくどと記してみましょう。
もっと手短には、
この結論においては事実への言及はありません。というわけで事実が知覚できると主張する必要はありません。少なくともここでは。
これとよく似た論法は、先の引用文中で触れられていた Ramsey さんが既に述べているようです *4 。
とは言え、事実は知覚できないのかというとそうでもなく、知覚できるかもしれません。
事実が知覚できるかどうかは「事実」という言葉で何が意味されているかによるでしょう。
ではそもそも事実とは何でしょうか。私には詳しいことはわかりませんが、大まかでひどく不完全な私見を少しだけ素描してみましょう。
その際、
を少し参考にしてみます。ただし、以下の私による素朴すぎる話は飯田先生がそっくりそのまま主張していることだ、というわけではまったくありません。先生の話と私の話はひどく異なっていますので絶対に混同しないでください。
さて、私たちは時空間中にあるものとないものとを区別していると思います。太郎やポチや小石などの、時に「個体」と呼ばれるものや、水や粘土や煙などの「物質」、地震や戦争や勉強などの「出来事」、本の背表紙の日焼けや体調不良などの「状態」は時空間中に位置付けられると思われますが、その一方で、数の 2 や人間の尊厳などの抽象的なもの、つまり時として「抽象的対象」と呼ばれるものは時空間中に位置付けられないと思われます。
そして、時空間中に位置付けられる個体と物質は、あったりなかったりします。出来事は生じたり生じなかったりします。状態はそうなったりならなかったりします。
さらに時空間中に位置付けられない抽象的対象は、それについて言われることが成り立ったり成り立たなかったりします。
思うに、事実とは以下のような場合のことだろうと考えます。
これら (1) 〜 (4) の場合に、私たちはそのことを「事実」と呼んでいるのだろうと推測します。
おおよそながら、事実が以上で曲がりなりにもわずかばかりではあれ特徴付けられたとすると、事実が知覚できるとするならば、それは (1) から (3) の事実であり、(4) の事実は知覚できないと思われます。
それぞれ知覚できる事実の例を上げてみましょう。すべて視覚を例にして上げてみます。
これに対し、(4) に関する事実は知覚できないものと思われます。そもそもそこで言及されるものが知覚できない抽象的なものだからです。
なお、上にあげた (1-1) から (3) の事例において、見られているのはそれぞれ太郎、水、太陽、壁紙であって、たとえば太陽が東から昇るという事実を見たわけではない、という反論があるかもしれません。
しかしその場合、(2) の事例において、見たのは太陽だけなので、それが東から昇るのは見なかったのだ、ということになるのでしょうか。(2) において、「太陽が東から昇るのを見た」と言っておきながら、それが東から昇るのは見なかった、というのは理解に苦しみます。矛盾していると思います。やはり東から昇るという出来事、すなわち事実を見たのだと言うべきでしょう。
う〜む、ここまでの私の話はどうなんでしょうか? 間違っているかもしれませんね。間違っていましたらごめんなさい。
事実に関する存在論や認識論は、近年の分析的形而上学の発展により、かなり細かい話が繰り広げられているようですから、私の以上の話もそれこそお話にならないぐらい大雑把にすぎるものでしょう。よかったら上記飯田先生の精緻な議論が多数記述されているご高著を参考に、皆さんの方でも考えてみてください。そして私の話をもっとずっとまともな話に「上書き」してみてください。ここで私の話は終わります。
今日のブログにはいつものようにいろいろと誤解や無理解や勘違い、誤字や脱字などがあると思います。誤訳や悪訳ももちろんあると思います。無知な点もいっぱいあると思います。それらすべては私の注意不足、勉強不足によるものです。また出直しますのでどうかお許しください。
*1:「事例」は der Fall の訳。Fall はよく見かける語であり、特に訳出に困るということはないと思いますが、ここではぴったりとした訳語がなかなか見当たりません。Tractatus の邦訳の訳者ごとに訳語が異なるようです。私としてはあまりあれこれ考えず、便宜的に「事例」と訳しておきました。ちょっと不自然ですが、当座のものとして許してください。哲学的に深い意図があって「事例」と訳したわけではありません。
*2:was の訳として「こと」という言葉を選び、「もの」という言葉は選びませんでした。ここでは事実 (Tatsache) と物 (Ding) が対比されており、両者は異なるとされているので、事実に類比される Fall を含んだ文「was der Fall ist」を「事例というもの」と訳すのはミスリーディングであると考えたからです。「事例であるということ」と訳すとどこか不自然ですが、お許しください。
*3:URL=<http://www.unil.ch/files/live//sites/philo/files/shared/etudiants/5_wittgenstein.pdf>.
*4:F. MacBride et al., ''Frank Ramsey,'' in: The Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2019, section 'Ontology,' URL = <https://plato.stanford.edu/entries/ramsey/#Onto>.