On a Few Titles I Was Impressed by Last Year

先日、次の文献を拝見しました。

・  『みすず』、読書アンケート特集、みすず書房、2022年1・2月合併号。

著名な先生方が2021年に読まれ、興味を持たれた文献をアンケート形式で紹介しているものです。

私は著名でも何でもありませんが、私が昨年拝読して興味を持った文献を以下に記してみます。

 

去年は私の人生において大きな転換点になった年でした。紀元前と紀元後ぐらいの違いがある大きな転換点でした。決してこのような転換点をターンしたいわけではなかったのですが、やむなくそうせざるを得なかったのです。

そのため、去年は毎日が苦しく、激しく心さいなまれる日々でした。(今もそうですが。) そのため文献を集めたり、勉強を進めたりすることはほとんどできない状態でした。

このようなわけで本や論文をほとんど読んでいないのですが、そのようななかで印象に残ったものを二つ上げてみたいと思います。一つは哲学・論理学関係の本、もう一つは音楽関係です。

 

最初は哲学・論理学関係の本です。

・ 大西琢朗  『論理学』、3 STEP シリーズ、昭和堂、2021年。

これは論理学の大学生用教科書です。このように書くと、ごくありふれた教科書のように思われます。実際、教科書なので血湧き肉躍るようなエンターテイメントな本ではありませんが、それでもありふれていない、珍しい側面も持ったワクワクするところのある教科書です。

(ちなみに私はこの本を全ページ、全文を隈なく読んだというわけではありません。大体すべてのページを斜め読みし、ところどころ立ち止まって拾い読みした、という程度です。)

まず、全体を概観すると、本書の前半は、古典命題論理、古典述語論理、可能世界意味論を使った様相命題論理が扱われています。このあたりは珍しいものではありません。

(などと言うと、簡単そうに見えますが、わかりやすく正確に、魅力的な文章でこれらの話題を執筆することはたやすいことではないでしょう。)

一方、後半は少し珍しい話題が一部出てきます。そこで扱われているのは、C. I. Lewis の厳密含意の論理、直観主義論理、多値論理、部分構造論理 (substructural logic)、関連性論理 (relevant/relevance logic) です。

厳密含意の論理は様相論理の入門段階で言及されることもあるので、それほど珍しいものではないかもしれません。ヒューズ & クレスウェル先生の有名な教科書でも出てきます。

また直観主義論理もそれほど珍しいというわけはないでしょう。野矢先生による対話体の論理学の入門書でも取り上げられています。

多値論理は工学系の本ならちょくちょく出てくる話題だと思います。

それに部分構造論理の説明もあります (これについては線形論理の日本語の教科書にも出ていたかもしれませんが)。

しかし関連性論理に関しては日本語で書かれた論理学の教科書で見かけることは今までまったくなかったか、あるいはあったとしてもごくまれなことだったと思います。しかもその論理が三つの章に渡って説明されているのはかなり珍しいでしょう。

そこでは3項関係 (ternary relation) か解説されていたり、変わったことに、star 関数、別名 Routley Star が一節を割いて説明されており、これはかなり珍しいことです *1

Routley Star は可能世界ならぬ不可能世界 (impossible worlds) の説明に必要な概念的装置、数学的テクニックであり、不可能世界は古典論理で妥当とされる論証を、ある種のパラドックスを防ぐために非妥当にする用があって必要なものなのですが、現在のところは通常、マイナー扱いされるこのような話題が普通の論理学の教科書で取り上げられているというのは割と野心的な試みかもしれません。

それに本書にはコラムの類いも各章末尾に多数配置されており、しかもその内容が教科書で取り扱うには結構変わっていると言うか、突っ込んだものと言うか、興味をそそる話が多く、さらに進んでこの種の論理学や論理学の哲学を学んでみたいと思わせるものがあります。その内容をいくつか上げると次のようです。

・ 計算としての思考、
・ 認識論理 (epstemic logic)、
・ 全称量化文と総称文の違い、
・ 解析学の厳密化と論理主義、
・ 証明の機械化、
・ 必然的なことはなにも生じず、またなんでも可能になる非正規世界、
・ 数学の証明とコンピュータ・プログラムがいわば「同じもの」だというカリー・ハワード同型対応、
・ 哲学の曖昧で漠然とした実在論 vs. 反実在論論争が厳密で扱いやすい古典論理 vs. 直観主義論理に変換可能であるという話、
・ カリーのパラドックスを防ぐためには含意や縮約規則、同一律などのいずれを制限すべきか、
・ 唯一正統な論理があるのかそれともそれは複数あるのかという論理的多元論論争、
・ ブランダムと部分構造論理との関係、
・ 関連性論理におけるモデル論の二つのプラン「American Plan」と「Australian Plan」、

などなど。

論理学の初心者にはかなり通 (つう) なところのあるトピックが並んでいてとても面白いです。

また、本書の記述の難易度ですが、ほどよくフォーマルで、ほどよくインフォーマルなので、難しすぎず優しすぎないといった感じでしょうか。ただし本書はモデル論的観点から書かれており、論理学の教科書としてはその点ではまったくの初心者にとり難しい部類に入ると思います。

論理学の教科書が採用している記法には、タブロー法、フィッチ式自然演繹、ゲンツェンの自然演繹、公理的方法、モデル論による方法などがありますが、一番簡単なのはタブロー法であり、難しいのは公理的方法とモデル論による方法でしょう。公理的方法は証明の際に年季や経験が要る点で難しく、モデル論による方法は数学の集合論を用いる点でちょっと込み入ったところがあって難しく感じられます。

本書はこのモデル論的方法を採用しているので数学が苦手な人 (私がそうです) や嫌いな人は読み切るのはしんどいかもしれません。とはいえ、インフォーマルな説明も多いので、理数系以外の人をまったく突き放してしまう書き方になっているというわけではありません。

あと本書には練習問題もきちっと配されていますが、数は多くないので、この本とは別にドリルのような練習問題をもう少し載せている教科書を改めて読み、紙と鉛筆で問題をせっせと解く必要があるように感じられます。

 

本書は総じて哲学的論理学の教科書であり、論理学の哲学に興味を持っている人にアピールする本です。

哲学上の考えや立場は難解で深遠で曖昧模糊としたところがあり、扱い難く、近づき難いところがあります。一方、形式的な数学的論理学は、難しそうに見えますが、本質的にはわかりやすく、扱いやすいものです。哲学的論理学は、この扱い難い曖昧模糊とした哲学の主張を、基本的に扱いやすく誰にとってもわかりやすい数学的論理学の上に「のせる」ことで、思弁的で無責任な放言を連発しがちな哲学を、成否のはっきりしやすい、言い逃れのしにくい論理学的観点から熟慮・検討することを可能にする学問です。

哲学的論理学は、以上のような哲学の負の側面を克服するだけではなく、数学的論理学の力を借りて、今までぼんやりとした印象しか持てなかった哲学的概念を精細に厳密化し、これまでにはたどり着けなかったところまで論理学によって論証を進め、思いもかけない結論を形式的に引き出して見せることで、その哲学の可能性・ポテンシャルを最大限に発揮せしめるという正の側面もあります。

それには次のようなプロセス・サイクルを踏みます。まず (1) 哲学を論理学に「のせ」ます。(2) それから論理学上の帰結を引き出します。(3) そしてその帰結を吟味します。(4) 吟味の結果に基付いて元々の哲学を検討します。(5) 検討後、その哲学の論理学への「のせ方」を修正する必要があると判断されたとします。その時再び (1) に戻って「のせ方」を手直しします。それからはまた (2), (3), (4) ..., のプロセスを繰り返します。このようなサイクルを使い、哲学と論理学を両輪のようにして進んでいくのですね。これが大切であり、これがなかなか楽しいというわけです *2

本書はこの楽しみのさわりを味わえる興味深い1冊です。

 

次に、昨年読んで印象に残った音楽に関する本です。

・ ブライアン・マッキャン  『ゲッツ/ジルベルト 名盤の誕生』、荒井理子訳、シンコーミュージック、2021年。

『ゲッツ/ジルベルト』は非常に有名なアルバムであり、とてもすてきな演奏を聴かせてくれます。収録されているどの曲もすばらしく、アルバム1枚を通して何度も聴くことができ、聴き飽きるということがありません。

私にはこのアルバムは人生の楽しいことも悲しいこともすべて表現されているように感じられます。

シンプルなようでもあるし複雑なようでもあり、キャッチーな感じもするし捉え切れない深みもたたえている気がして、一筋縄ではいかないアルバムです。

このようなアルバムを、著者は演奏者・作詞作曲者、背景となる時代や歴史、そして各曲の楽理的特徴を描き出すことによって、私たちに新たな理解を促してくれます。

私にとって特に印象深かった曲の話は「プラ・マシュカー・メウ・コラソン」と「オ・グランジ・アモール」でした。

本書は7割がたジャーナリスティックなスタイルで *3 、3割がた学術的なスタイルで書かれているという感じが個人的にはしました。学術的なスタイルが抑制されているので、とても読みやすい本です。掲載されている写真も心に残るものでした。

昨年の苦しい時期に、自分の好きなアルバムの話が詳しく読めて、気分が少し楽になったことを覚えています。

このアルバムか好きな人はぜひ、あるいはこのアルバムをご存じでないかたもぜひ、読まれるといいと思います。

 

これで終わります。皆様が読書のための本の選書をする際に、今日の私の話が何か参考になれば幸いです。ここで私のなした誤解や無理解、勘違い、誤字や脱字がありましたらお詫び申し上げます。

 

*1:3項関係や Routley Star については私のこのブログでも取り上げたことがありますが、大西先生の説明の方がずっと簡潔で明瞭です。

*2:以上のような哲学と論理学の関係については次も参照ください。飯田隆、「数学の哲学は哲学に何をもたらしうるか」、『現代思想』、1990年10月号。

*3:「ジャーナリスティック」なのであって「ゴシップ的」だということではありません。