You're Missing the Point.

目次

 

はじめに

このあいだ、次の本を購入し、拝見させていただきました。

・ 轟孝夫 『ハイデガーの哲学 『存在と時間』から後期の思索まで』、講談社現代新書講談社、2023年。

(ほぼすべてを) 読んでみて、いろいろと多数疑問を感じたのですが、そのうちの一つを前回は記しました。今回は、ハイデガーがナチ加担を謝罪したとされることを巡って、疑問に思ったことを記してみます。この疑問は細かく分けると四つあります。したがってこのあとでは四つ、疑問を提示します。

なお、以下を読まれる前に、前回の記事の「はじめに」の部分を必ず読んでおいていただければと存じます。前回と今回の記事に対する留保事項、注意事項のようなものが書かれていますので。

今回記す疑問に関し、あるいは今回記す疑問に関してもまた、私が轟先生とハイデガー氏の話を誤解していましたら謝ります。ごめんなさい。センシティブな問題を扱いますので、私に無知なところがありましたらすみません。(間違いなく無知な点があります。)

さらに私が偏見に基づいて書いているところがありましたら大変すみません。できるだけ距離を取って冷静に考えた結果を書き付けたつもりです。けれども、正直に言いまして、私自身が大切だと思っている観点から書いていますので、別の観点から見れば、偏見が皆無であるとは言えないかもしれません。そのようなところが散見されるようでしたら私の至らなさの現れです。許してくださいとは言いませんが、轟先生とハイデガー氏に対し、前もってここに深くお詫び申し上げます。誠にすみません。

 

ではナチに加担したことに対するハイデガーの「謝罪」について疑問を四つ提示します。

 

タイミングの問題?

四つの疑問のうち、まず一つ目です。

私たちは、ナチに加担し、ナチズムを信奉することは間違いだと考えます。ではナチに加担してナチズムを信奉することの何が間違いだというのでしょうか?

この問いに対する返答は様々にあるでしょうが、次のような答えが最も重要でしょう。すなわち

(*) ナチは、ナチズムに基づいて、ユダヤ人差別を黙認するだけでなく、それどころかユダヤ人を排除することを政治政策とし、そのための法律を制定して激しく差別し、強制収容所に送り込んで絶滅しようとした。これは途方もない巨悪である。こんな恐ろしいことに手を貸すなんて間違っている。

つまりナチズムを基に反ユダヤ主義を推進する法律を制定し、ユダヤ人の大量虐殺まで引き起こしたナチに積極的に関わることは、大変な誤りである、ということです。おそらくこれがナチに加担することの最も重大な誤りでしょう *1

ところでハイデガーはナチに加担しました。彼はナチに加担したことは誤りだったと考えているのでしょうか? 轟先生によると、ハイデガーはナチに加担したことは誤りだったと認めているのだそうです。では、ナチに加担したことの何が誤りだったとハイデガーは考えているのでしょうか?

轟先生のご高著を拝見すると、二つの点でハイデガーはナチに加担したことは誤りだったと考えているようです。

1933年にナチは政権を取りました。その年、ハイデガーフライブルク大学の学長に就任し、ナチ党に入党し、大学運営、大学改革を試みました。そして先生は述べておられます (18頁。また288頁も参照)。下線は引用者によります。

 

 しかし周知のとおり、ハイデガーの試みはすぐに行き詰まり、就任後、わずか一年足らずで学長職を辞任した。彼はのちになって、ナチスの政権奪取という歴史的瞬間をあまりにも短絡的に自分の哲学に引き付け、西洋の精神的覚醒のチャンスと安易に捉えてしまった性急さのうちに、自身の「誤り」を見て取っている。哲学的思索は「一撃」で実現できるようなものではなく、もっと「長いとき」を必要とするが、一九三三年にはそのことが理解できていなかった、そう反省したのである。/ ここで注意しなければならないのは、ハイデガーは自身のナチス加担の「誤り」は認めるが、それはあくまでも自身の「性急さ」によるものであり、自身の思索そのものに問題があったとは考えていない点である。

 

これを読んで、私は当惑しました。ナチへの加担は「急ぎすぎだった」とハイデガーは言うのです。そのことが「誤り」だったと言うのです。そういう問題なのでしょうか?

自分の哲学的な主張を、政治を通じて実現させるためには長い時間が必要です。すぐに実現できるものではありません。しかしハイデガーは新政権に期待して、その政治運動に関われば、自分の抱く大学のあるべき理念をすぐさま実現できると思ってしまったことが誤りだったとハイデガーは言うのです。

ナチに加担することの最も重大な誤りは、その反ユダヤ主義を支持することにあると考えられます。ハイデガーは、反ユダヤ主義を支持してしまったことが誤りだった、と言うのではなく、時間的に急ぎすぎたのが誤りだった、と言うのです。時間の問題なのでしょうか? タイミングの問題なのでしょうか? 私は困惑してしまいます。

 

政治と哲学の混同?

四つの疑問のうち、今度は二つ目です。

轟先生は書いておられます (412-413頁。また287-288頁も参照)。

 

ハイデガーは自身のナチス加担の「誤り」を認めていた。彼はその「誤り」を、哲学的思索と権力政治の性急な混同のうちに見て取っていた。つまりハイデガーは近代のリベラリズム共産主義キリスト教といったものに批判的であり、それらの形而上学的基盤との哲学的対決が必要だと考えていた。しかしこのことは本来、社会民主党共産党カトリックの中央党を選挙で打ち負かしたり、解散に追い込んだりするようなこととは次元の違う話なのである。

 

私はここでも困惑しました。反ユダヤ主義を政策の大きな柱とするナチズムに加担したことが誤りだったとするのではなく、自分のリベラリズム批判や共産主義批判が、現実の政治場面で、自由主義寄りの政党や共産党の打倒にすぐさま結び付くと考えたことが誤りだった、と言うのでしょうか?

そのような、政治と哲学の混同は、時に誤りとされることがあります。しかし「反ユダヤ主義は許せない」という自分の哲学信条に基づいて、反ユダヤ主義を掲げるナチ党を批判し、ナチス打倒を目指すことは「誤り」なのでしょうか? これを誤りだとするならば、神学や宗教思想に基づき行動を起こしたボンヘッファーは誤っていた、ということになるでしょう。ボンヘッファーは誤っていたか否かについては議論がありますが、「政治と哲学宗教を混同していた」と言って単純に彼を非難することは、あまりにも酷であり、死者に鞭打つ行為だと思います。

 

恥 = 謝罪?

三つ目の疑問です。

轟先生は、ハイデガーは自分がナチに加担したことについて謝罪している、と言い、次のように述べてその証拠とされるものを示しておられます。丸括弧で示されているドイツ語の単語は原文にあるものです。

 

 戦後、ハイデガーに対して、ナチス加担の罪について沈黙している、ないしは謝罪をしていないという非難が繰り返し向けられた。しかしそれは根拠のない非難である。ハイデガー自身はたとえばヤスパース宛ての書簡 (一九五〇年四月八日) で、ナチス加担に対する罪をはっきりと認めている。その書簡で彼は、自分が学長職を早々に退いたことに触れたあと、次のように述べている。「私が今このようにお伝えしたからといって、それで何かが弁明されるということは全くありません。ただこのようにお伝えすれば、いかに年々歳々、悪質なものがいよいよ多く出現してくればくるほど、かつてこの地で直接間接にそれに参画したという恥の思い (Scham) もまたつのってきたかを、御説明することができるのではないかと思っただけです」(ヴァルター・ビーメル / ハンス・ザーナー編『ハイデッガー = ヤスパース往復書簡 1920-1963』渡邊二郎訳、名古屋大学出版会、一九九四年、三一九頁。訳は一部、変更した)。

 

私はこれにも困惑してしまいました。恥じれば謝罪したことになるのでしょうか? 恥じることと謝ることは同じことなのでしょうか?

私は違うと思います。何かについて謝罪するならば、そのことについて、自分の誤りを認めるとともに、そのことに対する責任を引き受けることを含意すると思います。しかし恥じているだけならば、ないしは「恥ずかしい」と述べるだけならば、その責任まで引き受けるとは言っていないと思います。

恥の念が生じ、逡巡し悩んだ挙句、ようやくその責任まで引き受けることを表明することがありますが、あるいは恥じたあと、ジタバタして責任回避に走ることがありますが、このことからわかるように、恥じることと謝罪して責任を引き受けることとは別のことだと思います。

しかし上の書簡を提示し、恥じているからといって謝罪の証拠とすることは、恥と謝罪の混同だと思います *2

(さらに細かいことを言えば、私信で恥の念をあらわにしても、それは公の場で公式に謝罪したことにはなりません。私たちがハイデガーに求めているのは前者のような内輪話ではなく、後者です。)

 

謝罪の拒否

四つ目の疑問です。

すぐ上のセクションで轟先生は、ハイデガーは謝罪している、とされていますが、その一方、先生は次のようにも記しておられます (417頁)。

 

 戦後、ハイデガーが自身のナチス加担について決して「謝罪」しようとしなかったことは、今日に至るまで咎められている。[...] / ハイデガーはかつてのユダヤ人の教え子、ヘルベルト・マルクーゼ (一八九八 — 一九七九) から、いまだに一般の人びとはハイデガーをナチ政府の精神的支柱の一人と捉えているから、そうした誤解を解くために、ナチ政府の行為やイデオロギーに対する批判を公に告白すべきではないかと手紙で求められたことがあった。ハイデガーはマルクーゼ宛ての返信 (一九四八年一月二〇日付) で、自分が一九三四年には自身の「政治的誤り」を認識し、ナチスに対する抗議として学長を辞任したこと、その後は一九四四年まで、講義や演習でナチズムへの明確に批判的な態度を示していたことを指摘したあとで、次のようにマルクーゼの要求を拒否している。「一九四五年以降に信条を告白することは私にはできませんでした。なぜならナチの信奉者たちは嫌悪を催させるような仕方で変節を表明しましたが、私には彼らと共通するところは何もなかったからです」[...]。

 

これにも私は困惑してしまいました。学長を辞任してのち1944年までは、ナチに明確に批判的な態度を取っていたとハイデガーは言います。この点に私は疑問なしとはしないのですが、今はこれについては問わないとして、上記引用文中のカギ括弧内の発言に私は疑問を感じました。そこで述べられているのはつまり「他の変節漢と一緒にされたくないから謝らない」ということではないでしょうか? 「私は他の連中とは違うんだ。他の変節漢と同じに見られたら嫌だ。他の連中と同列扱いにはされたくないので謝らない」ということでしょうか?

はっきり言って、他の人のことはどうでもいいから、自分が間違っていたと思うなら謝ればいいし、間違っていないと思うなら謝らなければいいだけの話だと思うのですが。

上の引用文のすぐあとに、轟先生は、ハイデガーが謝らない理由を上げてハイデガーを擁護しておられます。続きを引用してみましょう (417-418頁)。振り仮名は省きます。

 

 先ほども述べたように、学長辞任後のナチズムとの対決そのものがすでに、自身のナチス加担に対する反省という意味をもっていた。彼はこの批判的考察によって、ナチズムの「悪」を「主体性の形而上学」のうちに見定めたのだ。ハイデガーの見るところ、この「主体性の形而上学」は戦後もなお温存されたままである。そうである以上、ナチスにさんざん迎合したあげく、ナチス崩壊後、にわかに懺悔しはじめたような人びとのように戦後社会への帰依を表明するわけにはいかない。それは「主体性の形而上学」への無自覚な追随という意味においては、ナチスへの迎合と変わらない行為だからである。それゆえ、現状においてはむしろ安易な転向宣言を差し控えることこそが、ナチスに対する真摯な反省にふさわしい態度である。ハイデガーの考えは以上のようにまとめることができるだろう。

 

私はまたしても当惑してしまいました。「主体性の形而上学」というような難しい話がなされていますが、この話を冷静に読み、距離を取って眺めてみると、次の疑問が湧いてきます。つまり、なんのかんの言っても結局のところ、ナチに加担したことを謝ることはナチに迎合することなる、ということなのでしょうか? まるで逆です。心底困惑してしまいます。

これは卑近な言い方をすれば「謝ればみそぎは済んだ、ということにはならない。だから私は謝らない」ということでしょうか? 確かに謝っただけで許されるというものではありません。しかし謝らないことには話は始まらないのも確かなはずです。

また「私が謝ったところでこの世の「悪」は消えない。だから私は謝らない」ということでしょうか? 確かに謝ったところでこの世の悪はなくならないだろうと思います。しかし、だからといってあなたが謝罪することを免責されるわけではないのです。

それに、ナチに加担したことを謝ることは、必ずしも戦後社会への帰依を表明することにはなりません。両者は必ず等号で結ばれる、ということではありません。何なら謝罪しつつ、戦後社会にはもう復帰せず、故郷のメスキルヒに隠遁して、何が誤っていたのかを深く思索する生活に入る、と表明し、それを実行に移してもよかったはずです。そうすれば「謝罪 = 戦後社会への帰依の表明」とはならなかったはずです。

既に前々から自分はナチ加担の誤りを認め、謝罪を行っているという証拠があるのならその証拠をハイデガーは示し、それ故今この戦後に改めて謝罪を表明しても、それは転向宣言ではなく、念を押して謝罪を繰り返しているのである、と言えば、別に転向宣言にもなりません。

謝罪を「差し控えることこそが、ナチスに対する真摯な反省にふさわしい態度」なのではまったくありません。そんなわけはありません。その正反対です。謝罪を繰り返す「ことこそが、ナチスに対する真摯な反省にふさわしい態度」です。これには当惑を通り越して本当に驚いてしまいます。謝罪を表明しないことが真摯な態度だなんて信じられません。

 

そして轟先生は上記引用文の直後に次のように記しておられます (418頁)。振り仮名は省きます。ここでも下線は引用者によるものです。

 

 ハイデガーは戦後、自身のナチス加担につきて「沈黙」していたと非難されることが多い。しかし以上で見たように、彼はその問題について沈黙していたのではなく、むしろ饒舌すぎるほど語っている。ただ世間一般が望むような仕方で語らなかったというだけである

 

ハイデガーが「謝罪」していたとするならば、その時、私は下線部分の先生の話に完全に同意します。まったくそうだと思います。

ハイデガーはナチに加担したことを謝罪していると言います。その場合、彼に対し私たちは自然と次のように感じるでしょう。すなわち「反ユダヤ主義に染まったナチに加担したことをハイデガーは謝っているのだろう。反ユダヤ主義は悪いから、ユダヤ人を差別し虐殺したナチに加担したことは悪い。だから彼はそのことを謝罪しているのだろう」と。(初めの方のセクション「時間の問題?」における冒頭のセリフ (*) も思い出してください。) しかしハイデガーがナチ加担に対し謝っているのは、ナチが反ユダヤ主義者だったからということを理由としてではなく、哲学者として政治に関わるのが早すぎたから「謝罪」しているのであり、自身の哲学的信条を早急に政治的に実現できるとして、政治と哲学を混同していたから「謝罪」しているのです。反ユダヤ主義が悪いからそれに手を貸したことについて謝罪しているわけではないのです。これでは確かに世間は納得しないでしょう。納得するわけがありません。そこがポイントではないのですから。

ハイデガーはひょっとしてひょっとすると「謝罪」していたのかもしれません。しかしその場合「世間一般が望むような仕方で語らなかった」ということになるでしょう。ポイントのずれた「謝罪」だったのでしょう。ですから今に至るまで世間は彼が本当は謝っていないと感じているのだと思います。「謝罪」の理由が世間一般が考えるものとはまったく違っているため、現在も謝っているものとは認められていないのだと思います。

くどいかもしれませんが、念のためにたとえ話をしてみましょう。

私が泥棒を働いて捕まったとし、次のように「謝罪」したとします。

 

しまったな。すみません。住民が帰ってくる前に侵入を終えて逃げ失せてしまうべきでした。タイミングが悪かったと思います。ごめんなさい。

 

これで謝罪したことになるでしょうか? 謝っていると言えば謝っているのかもしれませんが、みんなはこう言うでしょう。「そこじゃない。謝るべきはそこじゃない」。

 

終わりに

轟先生はご高著のなかのあちこちで「ハイデガーの思想はナチズムとは違う。だからハイデガーの思想をナチズムだと言って非難することは間違っている」というような趣旨のことを述べておられます。私もそう思います。「ナチズム」という言葉で何が意味されているにせよ、ハイデガーの思想がまるまるそっくりナチズムそのものであるとは思いません。これはハイデガーのナチ加担に対し批判的な人々も大半が同意することだと思います。ですから轟先生が一生懸命盛んに両者は違うと唱えてもハイデガーのナチ加担に批判的な人は「痛いところを突かれた」とは感じないと思います。

むしろ問題なのは両者がまったく同じか否かではなく、ハイデガーの思想の本質に、ナチズムと同様の危険な要素が含まれているか否かだろうと思います。たとえハイデガーの思想がナチズムそのものではないとしても、ナチズムにもある極めて問題のある要素がその本質部分に含まれているとしたら、これは由々しきことです。

そして私は、ハイデガーの思想はきっとナチズムではないだろうけれど、しかしそれでもそれは非常に危険な要素をはらんでいるのではないか、と推測しています。

まず言えるだろうことは、その思想に、私たち現代の日本人の多くにとって、好ましからざる要素が含まれている可能性が高いだろう、ということです。たとえば、ハイデガーの思想はおそらく反民主主義的であり、反議会主義的であり、反政党政治であり、反個人主義的であり、反自由主義的であろうと推測されます *3

特に危険なのは、私たちにとってとても大切な権利を踏みにじるような、それこそ「無化」するような、そんな要素がハイデガーの思想に含まれているのでは、と推測されます。もう少し具体的に言えば、個人の自由のような基本的人権の無効化を図るような側面がハイデガーの思想の本質には含まれているのではなかろうか、と私は危惧します *4 。この危惧が杞憂であればいいのですが。

轟先生がおっしゃるように、たとえハイデガーの思想がナチズムとは異なるとしても、それでもその思想に基本的人権を否定する要素が本質的に、すなわち抜き難く含まれているのならば、ハイデガーの思想は問題があると、そう言わざるを得ないと思います。ハイデガーの思想を専門的に勉強、研究されている方には、ハイデガーの思想がナチズムか否かという問いを越えて、以上に述べたような問題点が彼の思想に含まれているのかどうか、もしも含まれているとしたら、その問題点を無害化し、彼の思想を生かし残せるかどうか、検討していただければと存じます。今後のハイデガー研究の一つの方向はそちらに伸びていると想像します。

 

また轟先生は、ハイデガーの思想はナチズムとは異なるとともに、ハイデガーがナチに加担したのは一時的な気の迷いの類いではなく、ハイデガー自身の哲学に基づいてのことであり、ナチから距離を取るようになったのも、自身の哲学に基づいてのことであったと、ご高著のあちこちで述べておられますが、これは多くの人から危険な綱渡りのような解釈だと捉えられるでしょう。

ナチ加担が一時の気の迷いならば、そのことでハイデガー本人の評判は下がるものの、その思想は無傷のまま残しておくことができます。しかし自身の哲学に基づいて、本気でコミットしていたとするならば、彼の思想と行動を解釈し損ねると、ハイデガーの哲学は本物のナチズムだ、と取られかねません。彼は筋金入りのナチだと見られる可能性があり得ます。

ナチは生物学的な人種概念を前提としたフォルクの観念に基づいて反ユダヤ主義的政策を推進しましたが、轟先生は、ハイデガーはそのフォルクの観念を、人種概念を前提とせず、ハイデガー本人の哲学的な形而上学的概念を前提として解釈し直し、それでもってナチを指導しようとしたと、そのような趣旨のことをご高著のなかで何度か述べておられます。もしもそれが成功していたらどうなっていたことでしょうか? ユダヤ人の大半を強制収容所から救うことができたでしょうか? 私にはわかりません。しかし下手をすると、ユダヤ人迫害に学問的なお墨付きを与えることになっていたかもしれません。それは極めて危険なことです。

 

「終わりに」が長くなりました。もうこのあたりで本当に終わりにしましょう。

最後にどうしても記しておかなければならないことは、私が轟先生とハイデガー氏を理解していない可能性があるということです。実際、正直なところ、ハイデガーの哲学は私にはよく理解できません。先生のご説明を拝読していましても、よく理解できない、もしくは仮に理解できていたとしても、とても納得できるとは思えない、賛成できるとは思えないところがあります。

また、私はナチ時代のドイツの政治や社会についても、当時のドイツの大学行政についても、さらにはユダヤ人の歴史や慣習、考え方についても、反ユダヤ主義の実態や歴史についても無知であるために、何か間違ったことを今回の話で書いてしまっているのではないかと危惧しています。もしも間違ったことを書いていたのなら、大変申し訳ございません。深謝致します。それに誤字や脱字、衍字の類いがありましたら、これもお詫び致します。誠にすみません。自分の知識や知力が不十分であることは、しばしば感じ、自覚しているところですが、にもかかわらず、勝手なことを書いていましたらごめんなさい。重ね重ねお詫び致します。

前回と今回のブログ記事を振り返ると、そこに物足りなさを感じる方は多いと思います。何よりも、ハイデガー哲学を踏まえた疑問が提起されていない点が最も不満に感じられることでしょう。彼の哲学独自の問題点が何ら突かれておらず、一般的な疑問の提示に終始してしまっているからです。

しかし逆に言えば、ハイデガー哲学特有の事柄を前提とせず、誰にでもわかる一般的な事柄を前提とした疑問を提示していますので、その分、納得が行きやすく、説得力があるのではないかと思います。生意気なことを言いますが。

いずれにしても、今述べたことについては、読者の判断に任せねばなりません。前回と今回の話が読者の方々の参考になりましたら幸いです。今日はこれで失礼致します。

 

*1:ナチズムをどのように規定すべきか、これは簡単ではないでしょうが、いずれにせよナチズムの根幹を成しているのは反ユダヤ主義的観念であるということ、このことはおそらく否定し難いことだと思われます。ナチの時代のドイツを解説した、現時点の基本図書と考えられる次の入門書には、以下のような記述があります。下線は引用者によるものです。「ヒトラー政権が成立すると、ナチズムの思想は、各政策分野に重大な影響を及ぼすようになった。その中核を占める反ユダヤ主義は、ユダヤ人差別立法となって具体化した」。石田勇治、『ヒトラーとナチ・ドイツ』、講談社現代新書講談社、2015年、270ページ。このことからわかるのは、ナチズムに加担することは、反ユダヤ主義という差別に加担することだ、ということです。

*2:ただしドイツ語の Scham には、恥という意味とともに謝罪の意味もあるならば、または Scham は謝罪の意味は第一義的にはないが、その意味を婉曲的に含意するのが通常ならば、ここでの私の疑問、疑義は当たらないことになります。

*3:念押ししますが、以上の「反〜主義」が含まれているかもしれないという話は推測です。ハイデガーの哲学・思想は非常に抽象的であり、とても曖昧模糊としたところがありますから、当然のことながら、上のような「反〜主義」など一切含まれておらず、むしろその逆に、極めて民主主義的で、極めて議会主義的でありうんぬん、という解釈を捻り出すことも、哲学・思想の常として、可能でしょう。それらの主義が含まれているか否か、単純に、鮮明に、決着を付けることはできず、どちらがどの程度、説得力があるか、もっともらしいかという、程度の問題になるでしょう。

*4:ハイデガーが、基本的人権のような人権概念に対し否定的であった可能性があることについては、彼の文字通りの愛弟子アーレントによる『存在と時間』の解説文から推測されます。ハンナ・アーレント、「実存哲学とは何か」、『アーレント政治思想集成 1』、J. コーン編、齋藤純一他訳、みすず書房、2002年。