An Inconsistent Triad of Characters in Nazism

前回と前々回はハイデガーとナチズムの関係を見てみました、その流れの中で興味深い小話を見かけましたので、今回はそれを引用してみましょう。次にその小話が載っています。

・ 芝健介  『ヒトラー 虚像の独裁者』、岩波新書岩波書店、2021年、329-330ページ。

そしてこの小話にハイデガーを絡めて考えてみましょう。

以下の引用文中のカッコ〔 〕は芝先生によるものです。

 

さて、ナチスの軍需大臣あったアルベルト・シュペーアの『回顧録』は、かつてベストセラーになりましたが、

 これと関連して、第三帝国初期ひそかにささやかれ、戦後も長らくナチを冷笑するのに用いられたウィットをひとつ紹介しておきたい。「誠実であることと知的であることとナチであること、この三つが鼎立 (ていりつ) することはない。誠実でナチであれば知的ではないし〔SA が典型〕、知的でナチであれば誠実ではない〔ゲッベルスのイメージか〕、誠実で知的であればナチではない」から、この三つの事象が同時になりたつことはないというところがウィットの味噌なのだが、この回顧録を通じて世界に広く知られるようになったシュペーアは、まさに誠実で知的なナチを象徴したのであり、グッド・ナチ、ジェントルマン・ナチは実在した、シュペーアこそそれだと印象付けることになった。

 

人は

・ 誠実でナチならば知的ではなく、

・ 知的でナチならば誠実ではなく、

・ 誠実で知的ならばナチではない、

ただしシュペーアを除いては、ということです。

ハイデガーにおいては、これら三つの条件は鼎立するでしょうか、それともやはりこのウィットに現れているように、鼎立はしないということになるでしょうか。確認してみましょう。つまり (1) ハイデガーはナチであり、かつ (2) 知的であり、かつ (3) 誠実だったでしょうか。

 

(1) まず、ハイデガーはナチだったでしょうか。答えは「ヤー」でしょう。彼はフライブルク大学の学長に就任し、直後にナチ党に入党しました。その後学長を辞めたあとも離党せず、確かずっと党員であり続けたと思います。レーヴィットの回想録か何かで、ハイデガーはずっと党員だったという話を読んだ気がします。したがって形式的に、または公式に彼はナチであり、ナチであり続けました。それに、彼の哲学にどの程度ナチズムの要素が含まれているかという問題とは別に、彼がナチズムに私的にまたは個人的に共感を抱いていたこともまた確かでしょう。というのも、轟先生の前回のご高著の中でハイデガーは弟に入党するよう熱心に勧めている手紙が紹介されており (254-255頁)、かつハイデガーヒトラーに心酔していたことも紹介されており (273-274頁)、これらの記述を読むとハイデガーがナチズムに共感していたであろうことがわかります。よって彼は形式的にだけではなく、内実としてもナチだったと言えると思います。

(2) 次にハイデガーは知的だったでしょうか。ナチズムに共感を示すような人間は知的ではない、ナチズムに共感を覚えているということが、とりもなおさずその人間の反知性的側面を表している、という意見もあるでしょうが、ハイデガーは大学の教授であり、ムズカシイ哲学を教えていたということを考慮して、ここは彼が知的であったとしておきましょう。

(3) では最後に、彼は誠実だったでしょうか。何をもって知的であると見なすのか、それが問題であるのと同様に、何をもって誠実と見なすのか、これも問題です。それに何をもって誠実とするにせよ、生まれてこのかた一度も誠実な態度を取ったことがないという大人はおそらくいないでしょう。一度だけでも誠実と見なされる態度を取ればそれだけでその人は誠実だ、と評価してもそれはそれで構いませんが、そのような評価はあまり意味もないし大して価値もないでしょう。私はハイデガーの個人史に詳しくはないので、彼が誠実かどうか判断はできません。ただ、木田元先生ならば「彼が誠実だなんてとんでもない、誠実なわけがない、根は誠実な男じゃあない」と、きっと断言するだろうと推測します。先生は、ハイデガーの哲学と彼の哲学史解釈の手並みには舌を巻くし、非常に魅力的なのだが、彼の性格はとても悪く、付き合いたくない人間だ、というような感じのことをあちこちで述べておられます。木田先生の抱いておられる印象が的を射ているとするならば、ハイデガーはたぶんあまり誠実な感じの人間ではなかったろうと思われます。(ただしハイデガーは、もしかすると、ヒトラーにだけは誠実たろうとしたかもしれませんね。)

 

さて、以上を振り返ってみると、ハイデガーにおいては (1), (2) は肯定的に答えられるものの (3) は否定的な答えが与えられると考えられます。すなわちハイデガーは知的なナチでしたが、誠実ではなかったろう、ということです。

というわけで、問題のウィットで言われていることは、ハイデガーの場合でも妥当することが明らかになったようです。つまり件の三つの特徴がハイデガーの場合にも鼎立しないということが確認されたわけです。例外はシュペーアであり、ハイデガーシュペーアと同じく例外に属する、というわけではなさそうです。残念ながら、ハイデガーはグッド・ナチ、ジェントルマン・ナチとは言えないようですね。いや、これは残念なことではないのかもしれません。かと言って、喜ばしいことともとても言えないでしょうが。(それにシュペーアも、本当にグッドだったのか、善良だったのか、疑問なしとはしないでしょうけれど。)

 

今日はこれでおしまいにします。誤解や無理解、無知な点や勘違いがありましたらごめんなさい。誤字や脱字、衍字の類いにも、もしもありましたらお詫び致します。