Frege の‘Bedeutung’をどう訳すか?

昨日記しておきたかったことを以下に記します。それはFregeの‘Bedeutung’をどう訳すかという問題にまつわる。
Fregeの‘Bedeutung’を日本語ではいつの頃からか「指示」や「指示対象」ではなく、「意味」と訳すようになっています*1。なぜそうするのだろうか? これには大体三つ答えがあると考えられます。ここではメモるだけなのでその三つをすべて詳説することはできませんが、中でも一番重要だと思えるのはFregeの文脈原理に関することからくる答えです。つまり彼の文脈原理の重要性を強調するために「指示」や「指示対象」ではなく、特に「指示」と訳すのではなく、「意味」と訳しているのだと思われます。理由を述べていると長くなるので省きます。飯田先生の『大全I』やトゥーゲントハットさんのBedeutung論文を見れば答えが書いてあります。
いずれにせよ‘Bedeutung’を「指示」ではなく「意味」と訳す理由を以上のように考えていた私は、Fregeの英訳の一部で‘Bedeutung’を‘reference’や‘referent’ではなく‘meaning’や‘Meaning’と訳すのも、同種の理由によるのだろうと何となく思っていました。しかし昨日入手した以下の文章を読んでいると必ずしもそうではないことがわかりました。

  • David Bell  “On the Translation of Frege's Bedeutung”, in: Analysis, vol. 40, no. 4, 1980
  • Peter Long and Roger White  “On the Translation of Frege's Bedeutung: A Reply to Dr Bell”, in: Analysis, vol. 40, no. 4, 1980

ここでBellさんは‘Bedeutung’を‘meaning’と訳すことに反対されていて、その理由をいくつか挙げていますが、要するにがっつりとまとめてしまえばFregeは‘Bedeutung’を、日本語で言えば「指示」とか「指示対象」という言葉が持ったニュアンスを備えている‘reference’のいみでほとんどの場合使っているのだから‘reference’と訳すべきであって、なぜわざわざ言葉の一般的ないみでの‘meaning’にしなければいけないのか理解に苦しむ、といった感じです。
これに対しPeter Long and Roger White組の反論はいくつか上げられていますが、これも要するにがっつり言ってしまえば、自分たちは翻訳者なのであって特定の解釈を読者に押し付けるのは極力避けるべきなのであり、可能な限りニュートラルな訳を提示することを目指しているのである、Bellさんの言い分はFregeがSinn/Bedeutungの区別を意識的に行なうようになってからの話しで、しかしFregeがその区別をいつも必ず明示的にしていたとは限らず、翻訳者が自らの判断でその区別の線引きを行なうことは中立性を損なう可能性がある、大体、件の区別を行なう以前の‘Bedeutung’を‘reference’と、Sinnと対比されたもののいみで訳すなどはアナクロニズム以外の何ものでもない、だからニュートラルな‘meaning’で訳すのだ、解釈は読者や研究者が行うのであってテキストは開かれていなければならない、とのことのようです、がっつりと言ってしまえばですが…。
ここで私に意外だったのは私が思っていた文脈原理の話がぜんぜん出てこないことです。Fregeの文脈原理の重要性を強調するために‘Bedeutung’を‘meaning’と訳す、などという話ではまったくない。逆にそれではPeter Long and Roger White組からすると特定の解釈を不当に押し付けてしまっていることになる。読者を特定の解釈に誘導し過ぎ、ということなのだろう。そうすると日本の勁草書房版はどうなるのだろう? 別に勁草書房版に反対している訳ではないのですが。こういう微妙な問題はやっぱりドイツ語原文を読んで哲学し、考えないといけないのでしょうね。
ちなみに

  • Michael Beaney (ed)  The Frege Reader, Blackwell Publishers, 1997

のBeaneyさんによるIntroductionのsection 4, ‘The Translation of ‘Bedeutung’’では、10ページ以上に渡り、この種のことに関するまとまった考察が見られて参考になります。そこでは‘denote’,‘designate’,‘refer to’,‘mean’,‘signify’,‘connote’,‘imply’,‘stand for’などの細かい違いが述べられています。Beaneyさん自身は‘reference’派で、どうやらその理由はFregeの“Uber Sinn und Bedeutung”では‘Bedeutung’をほとんどいわゆる‘reference’のいみで使っているのだから‘reference’の方がいい、とのことのようです*2
またさらに先日入手した

  • Tyler Burge  Truth, Thought, Reason: Essays on Frege, Oxford University Press, 2005

のp. 4、註2ではBurgeさんは‘denotation’派です。
Burgeさんによると‘meaning’と訳すことはFregeの用語としては‘deeply misleading’だそうです。むしろ‘reference’の方がまだいい。‘reference’も‘Bedeutung’も‘a word-subject-matter relation’を表している点で共通している。これは‘meaning’とは違う。しかしBurgeさんによると‘reference’は、文や関数記号の‘reference’を、Fregeがするように考えてみると奇妙な響きを読者に与え過ぎる。それにFregeの専門用語という感じを読者にあまり持ってもらえない。そこで色々他の候補を考えた結果、Churchに従って‘denotation’がいい。Russellっぽさがあってちょっとやばいけど、ほどほどに専門用語っていう感じがする。それにFregeはいみをSinn/Bedeutungと分けたが、‘denotation’にすればconnotation/denotationという区別も連想できてちょうどいい。以上のようなことをp. 4、註2で述べておられます。
しかしここでも文脈原理の話はまるでない。一応この註ではFregeの‘Bedeutung’はnamingやsingular referenceに尽きるものではないという感じのことが語られていますので、この辺なんか文脈原理につながっていきそうな気分を漂わせていますが、そこのところはBurgeさんの本論を読まなければやはりわからない…。


以上メモ書き終わります。よく読み返さずにざぁ〜っと書き下しましたので、書き損じがありましたらすみません。
お腹すいた、晩飯食べよう。

*1:それに伴ってFregeの‘Sinn’を「意味」から「意義」と訳すようになっています。

*2:cf. Beaney, pp. 43-44. 私自身は「Fregeの“Uber Sinn und Bedeutung”では‘Bedeutung’をほとんどいわゆる‘reference’のいみで使っているのだから」ということを根拠にすることには異議があるのですが…。