What Problem Did Frege Argue in his "Über Sinn und Bedeutung"? More Precisely, What Problem Is a Great Part of his Most Famous Paper Devoted to? Part 2

以下の内容目次

 1. ''Über Sinn und Bedeutung'' の構成面からわかること: 「宵の明星」や「明けの明星」などの単称名の Sinn と Bedeutung の話は、論文全体に対する序論にすぎず、論文の本論は文の分析にある。
 2. "Über Sinn und Bedeutung" の本論で行われていることは何か?: 単文と複合文を含む文一般の Bedeutung が真理値であることの確認
 3. 文一般の Bedeutung が真理値であることの論証
  3.1 単文の Bedeutung が真理値であることの論証
  3.2 副文の分析による、複合文の Bedeutung が真理値であることの論証
 4. おさらい


2. "Über Sinn und Bedeutung" の本論で行われていることは何か?: 単文と複合文を含む文一般の Bedeutung が真理値であることの確認

それでは、Frege が "Über Sinn und Bedeutung" で、最も示したかったことは何だったのでしょうか。論文の読者を最も説得したいと考えていたことは、何だったのでしょうか。以上の話から、それはいわゆる私たちが言うところの単称名に関する事柄ではなく、文に関する事柄です。では、文に関する分析、つまり単文の分析と複合文の副文に関する分析の場面で、Frege は何と言っているのでしょうか。


まず、単文の主張文の分析は、論文32ページ目の冒頭近く (32ページ目の上から5行目) から36ページ目の真ん中辺りまででした。この32ページ目冒頭近くで Frege は次のように述べています。

単文の主張文について、

Ein solcher Satz enthält einen Gedanken. Ist dieser Gedanke nun als dessen Sinn oder als dessen Bedeutung anzusehen? Nehmen wir einmal an, der Satz habe eine Bedeutung!*1


そのような文には、一つの思想 (Gedanke) が含まれている。では、この思想というものは文の意義 [Sinn] と見なされるべきであろうか、それとも文の意味 [Bedeutung] と見なされるべきであろうか。さしあたって、文が意味をもつことを仮定しよう。*2


ここでは文に含まれる Gedanke が Bedeutung であるか否かが問われています。
この後で Frege は文に関して、次のように述べています。

Wie ist es nun aber mit der Bedeutung? […] Hat vielleicht ein Satz als Ganzes nur einen Sinn, aber keine Bedeutung?*3


しかし、文の意味はいかなるものであろうか。[…] ことによると、一つの文は全体として意義はもつが、意味はもたないということではないだろうか。*4


ここでは、文の Bedeutung とは、そもそも何なのかが問われています。
この後しばらくしてから Frege は以下のように述べます。

Wir haben gesehen, daß zu einem Satze immer dann eine Bedeutung zu suchen ist, wenn es auf die Bedeutung der Bestandteile ankommt; und das ist immer dann und nur dann der Fall, wenn wir nach dem Wahrheitswerte fragen. So werden wir dahin gedrängt, den Wahrheitswert eines Satzes als seine Bedeutung anzuerkennen.*5


以上で見たように、構成部分の意味が問題となるときは、常に、文に対して意味が求められる。そして、このことは真理値を求めるときは常に、そしてそのときに限ってのことである。このように考えるならば、我々としては、文の真理値をその文の意味として認めざるをえなくなるであろう。*6


この文章に至るまでの論述でも、Bedeutung が論じられていたということがうかがえます。
また、この後では以下のように述べられています。

Wenn unsere Vermutung richtig ist, daß die Bedeutung eines Satzes sein Wahrheitswert ist, so muß dieser unverändert bleiben, wenn ein Satzteil durch einen Ausdruck von derselben Bedeutung, aber anderm Sinne ersetzt wird.*7


もし、文の意味が真理値であるという我々の推測が正しいならば、一つの文の真理値は、別の意義をもちつつも同じ意味をもつ表現で、その文の一部を置き換えたときも不変でなければならないはずである。*8


ここでは文の Bedeutung が何であるかについて推測されており、それは真理値であろうと言われています。
また、後では以下のようにもあります。

Es soll nun die Vermutung, daß der Wahrheitswert eines Satzes dessen Bedeutung ist, weiter geprüft werden.*9


さて、文の真理値がその意味であるという推測は次のように考えることによってさらに検討されなければならない。*10


ここでは文の Bedeutung が何であるかの推測に関して、さらに検討を進める旨が述べられています。そしてこの最後の引用文の後、ほどなくして単文の主張文の分析は終わります。

これらの引用文から考えられることは、単文の主張文の分析部分においては、主として文の Bedeutung が話題となっているということです。一言で言うと、ここでは「文の Bedeutung は何か?」が問われており、その答えは「真理値だ」と推測されているということです。つまり単文の主張文の分析部分においては、その部分の全面に渡って、文の Bedeutung が問題の中心となっている、ということです。


それでは次に、複合文の副文の分析の箇所では、Frege は何と言っているでしょうか。副文の分析は、論文36ページ目の真ん中辺りから50ページ目に入ったすぐのところ (50ページ目の上から2行目) まででした。この副文の分析部分の冒頭で、Frege は文に関し、次のように問うています。

Aber es tritt uns hier die Frage entgegen, ob denn von den Nebensätzen gleichfalls gilt, daß ihre Bedeutung ein Wahrheitswert sei.*11


ここで我々に向けられる疑問は、文の意味が真理値であるということがそのような副文についても同様に成りたつであろうかというものである。*12


そしてこの後、副文の長い分析が始まります。あまりに長くて複雑な分析のため、その分析部分を読んでいる間に、段々と何がそもそも問題となっていたのかを忘れてしまいそうになるのですが、ようやく分析が終わるところで、Frege はこの分析を振り返って次のようにまとめます。

Es ist schwer, alle in der Sprache gegebenen Möglichkeiten zu erschöpfen; aber ich hoffe doch, im wesentlichen die Gründe aufgefunden zu haben, warum nicht immer unbeschadet der Wahrheit des ganzen Satzgefüges ein Nebensatz durch einen andern desselben Wahrheitswertes vertreten werden kann.*13


言語に与えられたすべての可能性を尽くすことは困難である。しかし、それにもかかわらず、なぜ、複合文全体の真理値を損なうことなく、副文を同じ真理値をもつ別の文で置き換えることが必ずしも常にできないかということの理由が本質的な点については見出されたと期待する。*14


この文章から、長い副文の分析において、Frege が示そうとしていたことは、一般的に言って、真理値であると推測された、文の Bedeutung に関する事柄であったことがわかります。
また、副文の分析部分の最後の最後で Frege は次のように締めくくります。

Hieraus geht wohl mit hinreichender Wahrscheinlichkeit hervor, daß die Fälle, wo ein Nebensatz nicht durch einen andern desselben Wahrheitswertes ersetzbar ist, nichts gegen unsere Ansicht beweisen, der Wahrheitswert sei die Bedeutung des Satzes, dessen Sinn ein Gedanke ist.*15


このことからかなりの確実さをもって明らかであるように、副文が同じ真理値をもつ別の文で置き換えられない場合があるからといって、それは、文の意味が真理値であり、文の意義が思想であるという我々の考え方を反証するものではない。*16


やはり、文の Bedeutung が今まで問題となっていたことが、ここでも確認できます。


さて、Frege の "Über Sinn und Bedeutung" では、本論に相当する部分は、この論文の大部分を占める単文の分析と副文の分析部分でした。そしてその単文の分析と副文の分析部分で Frege が主として問題としていたのは、文の Bedeutung についてでした。特に、文の Bedeutung は何であるのか、文の Bedeutung は真理値ではないのか、ということでした。この後詳細を見ますが、Frege は単文の分析部分で、単文の Bedeutung が真理値であることを、それが成功しているか否かは別として、論証しています。そして、先ほど見たごとく、副文の Bedeutung が真理値であるとした場合にも、この副文を含む複合文全体の Bedeutung を真理値であるとすることに不合理はないとして、結局、単文と複合文を含む文一般の Bedeutung が真理値であることを確認しています。つまり、以上からわかることは、Frege の有名な "Über Sinn und Bedeutung" は、文一般の Bedeutung が真理値であることを立証することに主眼が置かれた論文であるということです。それが成功しているか否かは別として、文一般の Bedeutung が真理値であることを確立し、そのことを読者に向かって説得しようとしているのが件の論文なのだ、という訳です。このことは、上述のごとく、論文の構成の側面から、特別な理論や学説を前提とせず、件の論文にそのまま見られるほとんど客観的な事実として、示すことが可能であろうと考えられます。つまり、それはほとんどそのままそこに書いてある、という訳です。


続く。

*1:S. 148. Zeitschrift für Philosophie und philosophische Kritik に載っている "Über Sinn und Bedeutung" は、Fraktur で書かれていますので、ここでの引用と同様、以下での引用に際しては、Latin alphabet で書かれている Kleine Schriften, Zweite Auflage, Herausgegeben und mit Nachbemerkungen zur Neuauflage versehen von Ignacio Angelelli, Georg Olms, 1990 から引用します。また、Frege によるドイツ語の単語のつづり方と、現在のつづり方がいくつか異なるものが、今後引用文中に出てきますが、逐一それを明記することは控えます。

*2:邦訳、78ページ。

*3:S. 148.

*4:邦訳、79ページ。

*5:S. 149.

*6:邦訳、80ページ。

*7:S. 150.

*8:邦訳、81ページ。

*9:S. 151.

*10:邦訳、82ページ。邦訳中の「次のように考えることによって」という言葉に相当するドイツ語は、ドイツ語原文中にありませんが、邦訳をそのまま引用しておきます。

*11:S. 151.

*12:邦訳、83ページ。

*13:S. 161.

*14:邦訳、97ページ。

*15:S. 162.

*16:邦訳、97ページ。