Professor Masanao Ozawa, Known as the Proposer of the Ozawa's Inequality, Has Written a Paper on Lesniewski.

些細なことながら、個人的にちょっと意外で、少しばかり驚いたことを一つ。


小澤正直先生と言えば、量子力学における不確定性原理をめぐる「小澤の不等式」によって有名な先生です。この不等式に関する新たな事実の発見、確認について、news で報道されていました。私自身は量子力学も、不確定性原理も、小澤の不等式も、難しくてよく知りません。なので、それらが何なのか、ここでは私の言葉では述べず、先生ご自身の言葉で簡単に語っていただこうと思います。次の HP

の、以下の項目を見てみます。原文では下線が引かれている部分がありますが、省きます。

不確定性原理の研究
1927年、ドイツの物理学者ハイゼンベルクは、不確定性原理を提唱して、観測が対象の運動状態を乱すことが避けられないために物理的対象の認識には限界があることを明らかにし、それによって古典力学決定論を退けました。しかし、その限界を与える「ハイゼンベルクの不等式」は、物理的認識の究極の限界を正しく表わしていないという疑問がありました。2003年に発表した「小澤の不等式」によって、 新しい関係が明らかにされ、初めて、物理的認識の究極の限界が与えられました (日経サイエンス2007年4月号等に紹介記事)。 以後、「ハイゼンベルクの不等式」の反証と「小澤の不等式」の実証が待たれていましたが、名古屋大学とウィーン工科大学の長谷川祐司准教授らによる共同チームが中性子のスピン測定において「ハイゼンベルクの不等式」の破れと「小澤の不等式」の成立を確認。2012年1月、イギリスの科学誌ネイチャー・フィジックス(電子版)に論文を発表しました Nature Physics DOI:10.1038/NPHYS2194 (2012))。 検証実験により肯定された「小澤の不等式」は、物理的認識の究極の限界を明らかにするとともに、今後、量子コンピュータや量子暗号をはじめとする量子情報技術への応用が期待されています。*1

だそうです。難しくて詳細は、私には不明です。まぁでも量子力学の話だということはわかります、一応ですが…。とにかく小澤先生は量子力学の先生なのだと思います。


ところで、つい最近気が付いたのですが、この小澤先生は、実は、私のこの日記でも時々言及しているあの Leśniewski に関する論文を書かれているのです。これは個人的にちょっとびっくりした。次がそれです。

  • Masanao Ozawa and Toshiharu Waragai  ''Set Theory and Leśniewski's Ontology,'' in: Annals of the Japan Association for Philosophy of Science, vol. 6, 1985

これが本当にあの小澤先生の論文なのか、次にある先生の HP の業績一覧を確認してみますと、

Research papers by Masanao Ozawa (http://www.math.cm.is.nagoya-u.ac.jp/~ozawa/index-e.html)

  • 91. M. Ozawa and T. Waragai, Set theory and Lesniewski's ontology, Ann. Japan Assoc. Phil. Sci. 6, 261-272 (1985).

となっており、どうやら本当にあの小澤先生の論文のようです。

この英語論文には邦語版もあって、次がそれです。(英語版、邦語版のどちらが先に書かれたのかは、私は知りません。)

冒頭を引用してみます。原註は省きます。代りに引用者の註を付します。

 本論において考察されるのは、公理的集合論とレシニェフスキー (S.Lesniewski) によって1921年に公理化され"存在論"と名付けられた論理体系の間に存在する一般的関係である。これらの諸体系の間の論理的な一般的関係の考察は、それらの間に何らかの密接な論理的関係が成立していることが明らかに推察されるにもかかわらず、レシニェフスキーが哲学的に極めて唯名論的な立場をとっていたということを主な理由として、今まで直接的に行われたことはなかった。
 さて、この問題の基礎論的位置付けについて Fraenkel-Bar-Hillel-Levy [1973]*2 は次のように論じている: 「レシニェフスキーの "ε" はクラス-要素関係を意図するものではないので、彼の存在論集合論の一変種としてではなく、むしろ数学の基礎に関する集合論のライバルとみなす方が望ましい。……… 存在論集合論の如何に重要なライバルであるか、またはなりうるかは、今もって決定するのが極めて難しい問題である」(p.203)。ここでは、存在論が、公理的集合論の立場から、まず数学基礎論的性格に関してその論理的地位を明確に認められているとともに、それらの間に成立する関係が如何なるものか未だ確定されざるものとして言及されている。ところで、彼らも認めているように(同、p.203)、「このような観点は、ある種の概念的な変換の下で、集合論のいくつかの公理が存在論の定理になっていたり、存在論の公理が集合論の公理に変換される可能性を排除するわけではない。実際に、後者の可能性は、存在論の "x ε w" を "x が個物の一点クラスであり、w が個物のクラスでありかつ、x ⊂ w である"と解釈することによって容易に実現する。」従って、この間題に関する本来の困難は、存在論の体系内で集合論の概念を定義し、そこからどのような集合論の命題が証明できるのかを確定することである。
 本論考の意図するところは、この open problem に解決を与えることである。従って、「存在論集合論の如何に重要なライバルであるか、またはなりうるか」が決定されるであろう。本論考の一つの結論は、クラス構成の為の特殊な操作子を導入してレシニェフスキー存在論を拡張することにより、レシニェフスキー存在論の体系内で、集合、クラス及び所属関係が定義可能であり、その結果生じるクラスの理論の強さが、外延性公理とクラス存在に関するある種の内包性公理で特徴付けられるということである。また、この理論は集合の存在に関しては全く白紙であって、レシニェフスキー存在論存在論としての枠組を提供するある種の名辞計算である面が浮き彫りにされる。従って、現存のすべての公理的集合論をレシニェフスキー存在論の内部で展開できることが示される。*3

今までに何度か『科学基礎論研究』などで「小澤正直」というお名前を目にしたことは、私も覚えており、でもそれはまったく同姓同名の別人だと、てっきり思い込んでおりました。それについてよくよく考えたこともなく、確認もしなかったので、まさかあの小澤先生ご本人だとは、微かにも思っておりませんでした。でも先日、上記論文著者名を見て、「この Leśniewski についての論文は、あの小澤先生が書かれたのか? まさかあの小澤先生が?」と思い至って、確認してみると、どうやらご本人のもののようで、ちょっと驚きました。ご存じの方もおられたかもしれませんが、私は全然気が付かなかった。何だかすごく意外な感じがします。今日はそれだけの話なんですが、驚いたことは驚いたので、ここにちょっと記してみました。量子力学における小澤の不等式の小澤先生が、かつて Leśniewski について論文をお書きだったとは、想像もしていなかった。このようなことを記したところで、何かがどうなるというわけでもないのですが…。


なお、次の文献の該当箇所を見てみると、

  • Vito F. Sinisi  ''''ε'' and Common Names,'' in: Philosophy of Science, vol. 32, nos. 3-4, 1965, p. 285, n. 9,
  • Jerzy Słupecki  ''S. Leśniewski's Calculus of Names,'' in: Studia Logica, vol. 3, no. 1, 1955, pp. 18-19, reprinted in Jan T. J. Srzednicki, V. F. Rickey eds., Leśniewski's Systems: Ontology and Mereology, Martinus Nijhoff Publishers/Ossolineum, Nijhoff International Philosophy Series, vol. 13, 1984, pp. 70-71,

先ほど来の小澤、藁谷両先生による試みに対し、注意すべきことが書かれている。特に後者の文献の該当ページから、ここにその注意すべき文を示しておきます*4。原文に付されている註は省きます。

 The problem of similarity or dissimilarity of the meanings of the primitive term [''ε''] of ontology and the symbol ''∈'' of the theory of sets based on the theory of types, requires a few explanatory words concerning the relation the theory of the division of objects into logical types bears to the theory of semantic categories. Notwithstanding essential differences these theories are formally alike. The analogy between them stands out clearly if we assume that to every constant symbol of logic, excepting quantifiers and the constants of the calculus of propositions, corresponds an object the name of which is this symbol, and that two objects are of the same logical type if and only if their names belong to the same semantic category.
 The primitive term of ontology as regards its meaning stands nearest to the symbol ''∈'', when used to denote the relation of membership holding between an individual and a set of individuals. But even then the meanings of these symbols are essentially different, as the symbol ''∈'' serves to denote a relation holding between objects of different logical types, while the symbol ''ε'' is a functor whose arguments belong to the same semantic category.
 Singular propositions have a simple interpretation in the theory of sets based on the theory of types. However, this interpretation deviates markedly from the intuitions which Leśniewski connected with the primitive term of his system. It consists in coordinating to the singular proposition the relation which holds between two sets of individuals if and only if the former is a unit set contained in the latter. This is of course a relation between objects of the same type. Under this interpretation the axiom of ontology is a theorem of the theory of sets.

小澤、藁谷両先生の論文冒頭部分で、先に引いたように、「存在論の公理が集合論の公理に変換される可能性は」、「存在論の "x ε w" を "x が個物の一点クラスであり、w が個物のクラスでありかつ、x ⊂ w である"と解釈することによって容易に実現する」という Fraenkel-Bar-Hillel-Levy 先生方の文が援用されていますが、この可能性をそのまま実現せしめても、これは Leśniewski の直観にまったくそぐわないということであり、それこそ Leśniewski にとって ''deviant' logic/system' どころか 'alternative logic/system' ができあがるにすぎない、ということになってしまいます。果たして Leśniewski が納得するような仕方で、小澤、藁谷両先生が所期の目的を達成できているのか、実は私は両先生の論文を拾い読みしただけで、よく読んで検討しておりませんので、その判断は控えます。また機会があれば検討してみたいです。

*1:「研究活動の概要」 http://www.math.cm.is.nagoya-u.ac.jp/~ozawa/kennkyuukatsudounogaiyou.html

*2:例の黄色本、Foundations of Set Theory のこと。

*3:小澤、藁谷、「レシニェフスキー存在論と公理的集合論」、31ページ。

*4:Studia Logica に掲載されている文と、Leśniewski's Systems に掲載されている文は、前者の double quotes が後者で single になっている以外、同じです。引用文は Studia Logica から引きました。